検査結果・2
ワンリンの遺伝子の話が続きます。
「あんたガグル社の研究員だったんでしょう?何で知らないんですか?」
いつもの口調に戻ったミニシャに、ワンリンは不機嫌そうに顔を顰めた。
「仕方ないだろう。エンド・ウォーの災厄についての情報は、ガグル社でもトップシークレットなのだ。エンド・ウォーを詳しく知っている人物は、ガグル社の最高取締役のファン・アシュケナジと、前に話した彼の補完機構構成員の三人しかいない。それでも、地球規模での大災厄がどんなものだったのかは推測できる」
「と、いうと?」
「遺伝子に付いた傷だ」
「遺伝子の、傷ですか!」
はっとした表情で、ワンリンの言葉を繰り返す。
「ふふん。きさまは劣等民族だが、一応、生化学者の端くれだからな。私の言いたいことが理解出来たようだ」
ワンリンは傲慢な笑みを浮かべてミニシャを睥睨した。
「ガグル社にいた頃の話だ。戦域で戦死したプロシア軍の若い兵士の脳から放射能で破壊されたDNA分子を見つけたことがある。どこでそんな傷が付いたのか、放射性同位体測定装置を使って調べてみた。DNAの傷はプルトニウムによって破壊されたものだった。それも、母親の胎内にいた時からあったことが判明したんだ」
世紀の大発見だとでもいうように、ワンリンはきらきらした目で研究室の天井を仰いだ。
「薪や石炭で、エネルギーの大部分を賄っているプロシア国の一般市民が、プルトニウムで被爆しただと?ありえな――い!だから私は仮説を立てた。この男のⅮNAの傷は遥か昔のエンド・ウォーで文明が破壊された時のものだとな。あの忌まわしき時代に使用された大量破壊兵器の影響が、世代を超えて受け継がれてしまったのだと」
ワンリンは興奮した面持ちで喋り続けた。
「ⅮNAにまで及んだ損傷は、遺伝子情報を運ぶRNAによってそのまま転写されてしまう。間違ったⅮNA情報で作られたタンパク質を持つ細胞は、癌化を引き起こす。普通に考えれば、兵士がこの世に生を受けることはない。DNAに傷を負って生まれて来た子供は赤ん坊の頃からから深刻な遺伝子異常を引き起こし、身体の至る所に癌を発症して死んでいくからだ。
なのに、その女は無事に成人して兵士を生んだ。解剖した兵士も脳腫瘍になっていない。不思議に思って、そのDNAを分析してみた。…戦争っていいよなぁ。死体が沢山手に入って、脳の解剖がやりたい放題なんだもん」
「博士、話が逸れましたよ」
恐ろしいことを平気で口にするワンリンを床に殴り倒して、その顔面を足で思いっ切り踏み付けたくなるのをミニシャは堪えた。
ミニシャの怒りに気付かないワンリンが素直に話を元に戻す。
「兵士が脳腫瘍を発症しない理由が分かった。傷付いたDNAを修復する酵素が体内で大量に作られていたからだ。DNAの修復が間に合わない場合、細胞のアポトーシスが起きるが、そのタンパク質の合成も顕著だった。何故だか分かるか?」
ワンリンに急な質問をされて、ミニシャは困ったように頭を掻きながら言った。
「分かりません。突然変異でも起きたんですか?」
ミニシャの答えに、ワンリンは首を勢いよく左右に振った。
「きさまはバカか?短期間でそんなに都合のいい突然変異が起こる筈がないだろうが!」
「そうですよね。すいません」
ワンリンに怒鳴られて、ミニシャはこめかみに青筋を浮かび上がらせながら謝った。
「兵士はDNAを改良されていたのだよ。それも、ガグル社で生まれてくる人間だけに供与される技術を使ってな」
(バカはどっちだよ。ガグル社の内情なんて、私が知るわけないじゃないか)
胸の内で悪態を付きながら、ミニシャはこくこくと上下に頭を動かした。
「私は、当時の生化学者がゲノム編集技術をガグル社の外に密かに持ち出して、お前達のような下等人間の癌の発症を抑えたのではないかと推測した」
(劣等民だの下等人間だのって好きに言いやがって。こいつ、後で絶対にぶっ叩いてやる)
ミニシャは心の中で悪態を付きながらも、神妙な顔をしてワンリンに相槌を打った。
「そこで戦死者の遺体を集めてDNA解析をしてみた。結果は、やはり一緒だった。解剖した兵士の全員が、一番最初の兵士と同じ酵素を体内に持っていたのだ」
「それは興味深いですね」
「もっと興味深いことがある。連邦軍兵士達の酵素は、ガグル社の人間のものとは型が違った。何と、お前達の酵素の方が古かったのだ!」
両手を振り回しながらワンリンが叫んだ。どうやら、話が佳境に入ってきたらしい。
「もしかすると我々ガグル社員の酵素の方が改良型かも知れないと思い、ガグル社のメイン・コンピュータに、こっそりとアクセスした」
「それで?」
「ビンゴって、わけだ!!細胞は自分が修復できない傷を持っていると判断すると、自殺するたんぱく質を合成する。大尉、その名称を言ってみろ」
「P53腫瘍仰制因子というたんぱく質ですね」
正解と言って、ワンリンは満足げに笑った。
「それだ。その因子を増殖させるのに成功した生化学者がアガタ・スタドニクだ。何と彼女は、エンド・ウォーの災厄の救世主だったのだ」
感動を現そうと大仰なポーズを取るワンリンに、ミニシャが疑問をぶつけた。
「博士、あんたはさっき、ガグル社のCEOはファン・アシュケナジって言いましたよね?人類の救世主であるアガタが何故、ガグル社の総帥にならなかったんでしょうか」
「私もそれを疑問に思って、再度コンピュータにアクセスして調べた。コンピュータからは、全く理解できない解答が返ってきた」
ワンリンが残念そうな表情をした。
「アシュケナジとデューク、ウェインライトは、ガグル社に必要な人間だけを救済するつもりだったようだ。アガタはガグル社の選民主義に反対だった。それで三人の反対を押し切って、人種や貧富に関係なくお前達の先祖の遺伝子を改良した」
「では、アガタは、私達の救いの女神という訳ですね」
「そうだ。何故、劣等遺伝子を持った人間を救おうとしたのか、理解に苦しむが」
無意識のうちに拳骨になったミニシャの手が、ワンリンの頭上へ持ち上がっていく。リンダが笑みを浮かべながらミニシャに近付いて、手首を掴んでそっと下ろした。
「怒ったアシュケナジは、ガグル社の所有するゲノム編集技術に使う機器を全て使用禁止にしたらしい。それでもアガタは一般人の遺伝子改良を決行した」
「アガタは一体どうやって、我々の先祖を遺伝子改良したのでしょう?」
「詳しいデータは入手できなかったが、どうやら無毒化したエボラ・ウイルスを使用したようだ。エボラ・ウイルスは出血熱に罹患した人間の瞳の色を変えることがある。そのエボラの特性を受け継いだ劣性遺伝子が発現すると、目の色が変化する」
「では、ブラウン中佐の瞳の色が、そうだと?」
「おそらくは、そうだ」
(それでこいつは、ブラウンをアガタ因子と叫んだのか…)
「まだあるぞ。アガタ因子が発現した人間は、左巻きのZ-ⅮNAを持っている。それが何を意味するのか、いくらコンピュータで検索してみても出てこなかった。何らかの遺伝子発現スイッチになっている可能性があるのは、確かなのだが」
「では、ユラ・ハンヌが、中佐を“アガタの息子”と呼んだのはどういう意味でしょう。アガタはエンド・ウォーの時代の科学者だ。今、生きているとは思えません」
ハンヌの名に、ワンリンがあからさまに嫌な顔をした。
「ハンヌの事など知ったことではない。好奇心の赴くままにアガタ因子を調べたせいで、私はガグル社の不興を買って、ヒラ研究員に身分を落とされた。感情で超天才を左遷するなんて、全く愚かな会社だ!」
両腕を組んで口をへの字に引き結んで黙ってしまったワンリンを、ミニシャは重苦しい表情で眺めた。
(エンド・ウォーにまで話が遡るとはな。ブラウンが聞いたら、どれだけ驚くことか)
開いた扉の先に、再び閉じた扉が顔を出す。
謎だらけだと、ミニシャは小さく身震いした。
そして、まだ開けていない扉が、一つ。
「ワンリン博士のような超天才の頭脳を飼い殺しにするとは、ガグル社もアホですねえ」
またしても、ミニシャの追従が効いたらしい。ワンリンは不機嫌な表情を笑顔に変えた。
「それで博士、ケイ…生体スーツ、フェンリルのパイロットの遺伝子解析の方はどうなりました?何か見つかったのですか」
「ああ。彼の遺伝子からも、実に興味深い結果が出たよ」
「興味深い?」
怪訝そうな表情のミニシャとリンダを交互に見ながら、ワンリンは満足げに口を開いた。
「狼スーツのパイロットの遺伝子の型は、フィオナの遺伝子と共通部分が多いのだ」
初めて聞いた名前だった。ミニシャは目を瞬たかせながらワンリンに聞いた。
「あのう…。フィオナって、誰ですか?」
「ユーリーが複数の生物の遺伝子を合成して誕生させた、ヒト型の人工生物だ。今年で十三歳になるのだったかな」
人工生物。それを聞いてミニシャははっとした。
ドラゴンの硬い皮膚の遺伝子を調査して、ブラウン達に説明する時に自分も使った名称だったからだ。
「ドラゴンにも人由来の遺伝子があった。もしかして、それが…」
「フィオナの遺伝子だ」
ワンリンが当然だとの表情をする。
「ドラゴン…ニドホグは、ミニシャの細胞から派生させた人工生命体だ。だからあの怪物はフィオナの子供のようなものだ。まあ、フィオナは、ニドホグを弟と思っているがな」
(派生?少女の姿をした人工生物から巨大なドラゴンを派生させた、だって?)
「では、ケイ…フェンリルのパイロットとフィオナという人工生物の少女との遺伝子上の関係とは、何なのですか?教えて下さい、ワンリン博士!」
顔を強張らせ、上擦った声のミニシャに、ワンリンは驚愕の言葉を放った。
「兄と妹だ」




