検査結果・1
慌ただしい出兵準備の最中、火急の要件があるとだけ告げられて、ミニシャはブラウンのいる司令官執務室に呼び出された。
指令室に入ると、ブラウンは左手を腰に当て右手の指で眉間をせわしなく揉み上げながら、執務室の広い部屋の真ん中を行ったり来たりしていた。
「中佐、君はハンヌに脇腹を銃で撃たれて大怪我してるんだよ。熱もあるだろう?少しは横になったらどうだい」
「大丈夫だ。このくらいの傷でへばっているようだったら、私は戦場で何回も死んでいる」
ホント、タフだねえと言って、ミニシャは肩を竦めて苦笑した。
「で、なに?火急の要件って?」
「シン・ワンリンだ」
ブラウンは、たった一人の捕虜の名を鋭く言い放った。
「多くのものを失った戦域戦での唯一の収穫があの男だ。私自身の手で尋問したいのが山々だが、ウィーン侵攻したロシア軍の遠征に行かねばならない。ミニシャ、私の代わりに奴からガグル社の情報を聞き出してくれ」
「だけどさ、あいつが、ガグル社を逃げ出したのは十年前だって言ってたよね。組織変化を嫌う連邦軍ならともかく、あのガグル社だ。何もかも変わっている可能性が高いよ?」
「確かに、今のワンリンには最近のガグル社の内部情報を知る由はない。だとしても、我々にとってガグル社が未知の組織である以上、あの男がかなりの情報を持っているのは確かだ。それに…」
ブラウンはミニシャに顔を向けて自分の目を指差した。
「ワンリンは私の目を見て、“アガタ因子”と叫んだ。この鉄色の瞳は、劣性遺伝子が発現したものだとね。我々には従来の人間とは別の遺伝子が入っているとも言っていた。ミニシャ、お前の頭脳だったら、ワンリンの話す全てを即座に理解できるだろう」
ブラウンの声は恐ろしく真剣で、緊張したミニシャは口を真一文字に引き結んだ。
「奴はアフター・エンド・ウォーを生きる人類の秘密を知っている可能性が大きい。ユラ・ハンヌが、私をアガタの息子と言ったのも気に掛かる」
そこまで話すと、ブラウンはミニシャから、視線を外した。
「ハンヌの残したあの言葉は、一体、何なのだろう」
独白の声は驚くほど弱々しかった。ミニシャはブラウンの俯き加減の顔をそっと伺った。ミニシャが一度も見たことのない、苦しそうな表情だ。
「アガタ・スタドニク。ガグル社の補完機構の一員だとワンリンは言っていた。ハンヌが口にした名前と一緒だ。同一人物なのか、それとも偶然の一致か。その女が、私の母親だというのか?私を動揺させるために、ハンヌはわざとあんな言葉を吐いたのか?」
(ああ、そうだ。ウェルクはブラウン家の養子で、実の両親を知らないんだったっけ…)
ハンヌの事だ。生体スーツの正確な同期数値を手に入れたくて、使えそうな情報は全て入手してヤガタに来たに違いない。
「そうだ。あれは君の思考をかく乱して戦意を削ぐという、ハンヌの戦略だよ」
沈痛な表情を隠さないブラウンに、自分の言葉がどれほどの効力を持ったかは分からない。
(ブラウンは即断即決の鬼だ。ハンヌのあんな言葉で頭が鈍る程、やわではないけど)
ブラウンに少なからずダメージを与えたのは確かだ。ミニシャはリンダがいる医務室へと急ぎながら、ヤガタに謎をばら撒いて去っていったハンヌを心底恨めしく思った。
ブラウン隊四名とダガー隊チームαの六名からなる編成部隊がヤガタを出発するのを見送ってから、ミニシャは最新設備が揃う研究室にワンリンを案内した。
(さて。どうやってこの男からガグル社の情報を聞き出そうか)
ワンリンは異常なほどプライドが高い上に癇癪もちだ。
ミニシャ達が対応を間違えれば、途端に機嫌を損ねるのは目に見えている。
そうなると、ワンリンが自分の持っている情報を正直に話すかどうかは未知数だ。嘘偽りを語ったとしても、本当の事は誰にも分からないのだから。
(それじゃあ、逆手を取ってと、いきますか)
ミニシャの思惑通り、ワンリンは興味津々で研究室の中をぐるりと見回した。
「ふうむ…。アメリが軍のものよりは多少見劣りすぐが、まあまあの研究設備だな」
そうワンリンは嘯いていたが、一台の大型精密機器を目にすると「おおっ!この装置はっ」と声を上げて駆け寄った。顔が興奮で赤く上気している。
(ほらほら、目の色が変わったぞ。そりゃあそうだ。ここは、生体スーツの人工脳同期装置を開発した研究室だからな。奴がよだれを垂らしそうな顔で見ているのは、ガグル社最新型のⅮNA解析機。細胞を素粒子レベルまで分析できる唯一の装置だ)
箱型のDNA解析機を嬉しそうに撫で回しているワンリンにミニシャが近寄った。
「博士、ブラウン中佐と契約した通り、あなたはヤガタ基地専任研究員だ。ここは今からあなたの研究室になります。機材は好きなだけ使ってくれて構わない。但し、実験結果や研究成果は、全て我々に報告してもらいますよ」
「私は実験や研究が出来るのなら、どこの所属だろうが頓着はしないからな。報告はするから、安心するがいい」
助手にリンダを付けるというのも、ワンリンは嫌がらなかった。
「それでは手始めに、これを調べて貰いますか」
ミニシャがワンリンに二つのシャーレを手渡した。ガラスの蓋をされたシャーレの中には血の滲んだガーゼが一つずつ入っている。
「なんだ、血か。脳じゃないのか」
ワンリンは、あからさまにがっかりした表情になった。
「博士、これは普通の人間の血液ではありません。一つは暴走したフェンリルの人工繊維がパイロットの額を突き刺した時に出血したもの。もう一方は、あなたがアガタ因子が発現したと言ったブラウン中佐の血液だ」
「なるほど。少しは興味が持てそうだな」
ワンリンがいそいそと実験台に向かう。後は頼んだとリンダに目配せしてから、ミニシャは指令室に戻ったのだった。
それから五時間後。ミニシャはワンリンに貸し与えた自分の研究室にいた。
「大尉、二つの血液からは思った以上に興味深い結果が出たぞ」
ワンリンはコンピュータからはじき出されてくる化学構造式をプリントアウトして、ミニシャに差し出した。
「まず始めはブラウン中佐の血液だ。ヒトのタンパク質を形作る原子と原子の間には、ある特定の性質で働く力がある。その力の性質を利用して、奴のタンパク質の分子が存在し得るのに最適な立体構造を、コンピュータでシミュレーションしてみた」
手渡されたプリントを見て、ミニシャは目を見張った。
「博士、こんなⅮNAの立体構造式は初めて見ました」
「驚いたか?これはガグル社内でも、私のような超優秀な学者にしか解析できない代物だ。おまえの頭では、紙に印刷された化学構造式を見せられてただけでは、ぴんとこないだろう。コンピュータで三次元画像を作ったから、それで説明してやろう」
ワンリンは得意げな顔でパソコンのキーを押した。パソコンの隣に設置してある、二回りほど画面の大きなモニターに映像が現れる。
「普通のⅮNAは右巻きだが、これは左巻きだ。Z型ⅮNAという。右巻きのⅮNA…B型というのだが、身体の中で働いているⅮNAのほとんどがB型の立体構造をとっているのは、お前も知っているだろう」
「はい」
ミニシャが素直に頷く。それに気を良くしたワンリンは嬉しそうに口元を緩めてから、軽く咳ばらいをした。
「では、何故、中佐からZ-DNAが検出されたのか。大尉、私がこれからする説明はかなり長い。だから一回しか話さないからな。よぉぉく集中して聞くのだぞ。分かったか?」
「はい。分かりました」
偉そうに踏ん反り返るワンリンを蹴り飛ばしたい衝動を抑えながら、ミニシャは笑顔で答えた。
「我々は最終戦争で生き残った人類の子孫だというのは承知しているな?」
「ええ、それは、よーく承知してまっせ」
ミニシャは揉み手をしながら、得意満面でふんぞり返っているワンリンににじり寄った。
「何故、文明が破滅するほどの世界戦争が起こったのでしょうか?教えて下さいワンリン博士」
「実は何も知らんのだ」
(知らんのか―――い!!)
思わず、ずっこけそうになるのをミニシャは堪えた。




