沈黙の通信機
ヤガタ基地の地上指令室で、ミニシャはブラウンからの連絡を待っていた。
ダガー隊の六名と三人のプロシアの精鋭兵士を連れてヤガタを出てから五時間が経っている。
しかし、待てど暮らせど、彼らからの通信を傍受することはなかった。
プロシア軍の本営からも情報がひとつも入ってこない。
うんともすんとも言わない通信機を見つめながら、ミニシャは小さな溜息を洩らした。
誰もが無言だった。
沈黙は人を不安にさせる。指令室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
(ウィーンで予期せぬ事態が起こったのだろうか。もしそうであっても、生体スーツが六体も付いているんだ。ブラウン隊が深刻な状況に陥るはずはない…)
そう自分に言い聞かせるが、胸のざわつきを抑えられない。
(何でこんなに空虚なんだろう)
多分、自分の傍らにブラウンがいないからだ。
戦域の最新鋭の基地として建設されたばかりのヤガタに配属が決まった時の事を、ミニシャは思い出していた。
基幹基地の主任研究員という大抜擢に、若いミニシャは心を躍らせた。意気揚々とヤガタ基地に着任すると、ミニシャと同じ技術兵達が研究室に集められていた。
一番左端のミニシャを筆頭として、横一列に直立している兵士達の前に立ったのが、ヘーゲルシュタインだった。彼は新任の技術兵を一睨みしてから、高圧的な声を出した。
「我々は、ガグル社から装着型大型兵器の最新技術を譲渡された。新型兵器開発はプロシア軍が極秘で行うものとする」
耳を疑うような話に、ミニシャ達は目を剥いた。
「お前達は新型兵器開発用に選出された技術兵である。このプロジェクトには共和国連邦軍、否!ロシアと多大なる地政的リスクを抱えるプロシアの命運が掛かっておる。ボリス少尉、お前をプロジェクトの主任に任命する。スーツの開発を必ず成功させよ。もしも失敗するようなことがあれば、貴様と貴様の横に並ぶ技術兵は、歩兵として戦域の最前線に出て貰う事になる」
ヘーゲルシュタインの非情な命令に、ミニシャはその場に、茫然と立ち竦んでいた。
研究室からヘーゲルシュタインが立ち去った後に現れたのがブラウンだった。
ブラウンは、皆の腹に響くような声で名乗った。
「私はウェルク・ブラウン。ヤガタ基地所属の共和国連邦プロシア軍大尉である。スーツ開発を統括する技術部隊の筆頭責任者だ」
たった今、直属の上官になったばかりのブラウンに詰め寄ると、ミニシャは声を荒げた。
「大尉殿!この基地の上官は頭がどうかしているんじゃないんですか!私達みたいな格下の人間に生体スーツ開発の責任を押し付けるなんて暴挙にもほどがありますっ。それに開発に失敗したら、技術兵は実戦経験がほとんどないにも関わらず、戦域の最前線に投げ込まれるんですよ?そんなの酷過ぎます!」
立場をわきまえずにものを言うミニシャに、ブラウンは表情一つ変えることなく、冷静な口調で話し出した。
「ボリス少尉。正直に話すからよく聞いて欲しい。連邦軍上層部の連中は、スーツの開発が十中八九、失敗すると考えている。ガグル社の超高度技術を伝授してもらったところで、到底、自分達の手には負えないとね。だから我々のような平民出身の兵士が、国から遠く離れた戦域の研究所に極秘で集められたのだ。スーツ開発に失敗した後の始末は盤石ってことでね」
「そんなの、あんまりだ…」
ブラウンの話に、技術兵の誰かが悲痛な声を漏らした。
「だがな、私は自分や自分の部下が無駄死にするのを、徹底的に回避する主義なんだ。大人しく上官トカゲの尻尾になるつもりはさらさらない」
そこまで喋ると、ブラウンはミニシャに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「そういう訳でミニシャ・ボリス、君には私の右腕になって最善を尽くして貰うぞ」
あの時、ミニシャは、自分が迷いなく付いて行ける人物に出会えたのだと感じた。
直感は正しかった。ブラウンは皆を叱咤激励し、時には技術兵の頭脳を凌駕する知恵を出す。そのリーダーシップは完璧で、誰もが彼に絶対の信頼を置き、指示に従った。
今考えても、ブラウン無しには、スーツの開発は成功しなかったと断言できる。
(かれこれ十年になるのか。随分と長い間、ブラウンに寄り掛かってきてしまった)
改めて時の長さを感じたミニシャは、深刻な表情でうーんと唸った。
頼り切っているのは自分だけじゃない。基地の人間は、皆そうだろう。
アウェイオンの大敗退から危機的状況に陥った戦域戦で、連邦軍が逆転勝利を果たせたのは、プロシアきっての知将と謳われるブラウンが戦闘指揮を執ったからに他ならない。
(おかげでこの体たらくだ)
ミニシャは再びふうっと息を吐いた。
(ブラウンがヤガタを留守にしている間に、命令系統をしっかりしておかないとな。次に不測の事態が起きたら、基地が大混乱に陥ってしまう)
そう考えてからミニシャは慌てて頭を振った。
(不測の事態が起きたらだって?そんなことになったら、今度こそヤガタは終わりじゃないか!)
今、ヤガタは、満身創痍だ。
アメリカ軍機械兵器との激戦に次ぐ激戦で、アウェイオンの戦いで残った機甲部隊は今度こそ壊滅状態だし、迫撃砲も破損して使い物にならなくなっている。何より、負傷していない兵士は数える程しかいないのだ。
(それに加えて、ユラ・ハンヌ! あいつ、地下の通信室を、ぶっ壊していきやがった)
騙された悔しさに、ミニシャは握りしめた両手を震わせて唇を噛み締めた。
本営から武器弾薬の供給が遅れているのも問題だ。あったとしても満足に戦える兵士がいない。何より戦闘指揮を執る総司令官が不在ときている。
(何だこの状態、八方塞がりじゃないか。神様、どうか誰もヤガタに攻めて来ませんように)
ミニシャはぎゅっと目を瞑って、頭の上で合掌した両手を激しく擦り合わせた。
「ん?」
ただならぬ気配を感じて目を開くと、ミニシャの挙動不審な様子を目を丸くして見ている、一人の若い通信兵と視線がかち合った。
実戦地帯で生き残った通信兵の一人で、まだ幼さが顔に残っている。
「何だ君はっ。私なんか凝視していないで通信傍受に神経を集中させなさい!」
気恥ずかしさから、ミニシャは思わず声を荒げてしまった。
若い通信兵はぺこぺこと首を上下に動かして、ミニシャに平謝りで言った。
「は、はい。大尉殿を凝視してしまい誠に申し訳ありませんでした。それで、その、メリル一等兵殿から連絡が入りました事を、大尉に知らせたく…」
(あらやだ。今のって、パワハラになっちゃうのかしら)
「了解した。こちらで取る」
コホンと一つ咳払いしてから、ミニシャは落ち着いた表情で耳朶に装着してあるイヤホンをオンにした。
「メリル一等兵、何かあったのか」
異常事態発生かと身構えるミニシャのイヤホンに聞こえてきたのは、普段と変わらぬリンダの優し気な声だった。
「ご安心下さい。負傷した兵士達の看護は順調に進んでいます。ですが、至急大尉のお耳に入れたい話がありまして、指令室に連絡を入れました」
(至急耳に入れたい話だって?)
となれば、あの話しかない。
「分かった。今すぐそちらに行く。君達は中佐から通信が入り次第、私に回すように」
ミニシャは通信兵達に指示を飛ばしてから、すぐに指令室を後にした。




