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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第一章 長い戦争(ロング・ウォー) 
20/303

出撃



 ダガーの声だった。

 ケイは驚いて辺りを見回した。ゼロ・ドックのパネルの扉が開いて、肩を怒らせ走り寄ってくる軍曹の姿が目に入った。

 憤怒を身に纏い、猛獣のように突進してくる。ダガーの気迫に押されたケイは、途中まで登ったスーツに張り付いたまま身を竦ませた。 


(軍曹、何であんなに怒っているんだ?俺、何か拙いことしたのかな…)


 いつの間にかケイの傍らにダンがいて、ケイのインナースーツに包まれた足を小さく引っ張っている。 その顔はびっくりするほど真っ青だった。


「ヤバいよ。お前、フェンリルから降りた方が、いいかも」


「どうして?」


「コストナー、そのままフェンリルに搭乗しろ!」


 低音だが、よく響く声が研究室に響き渡った。

 ダガーの後ろからブラウンが追い掛けて来て、ケイに叫んだのだった。その背後には、ブラウンとそう変わらない偉丈夫のポニーテールの男と、ダンと同じくらいの背格好をした男が慌てた様子を隠そうともせずに走ってくる。


「えええっ?」


 ダガーとブラウンから反対の事を言われて、ケイは酷く困惑した。恐ろしい顔をしたダガーがケイに大股で近づいて来る。

 鬼のような気迫のままだが、鳶色の瞳には怒りだけではない、何か別の感情が浮かんでいた。


「お前にフェンリルの操縦は無理だ。フェンリルには俺が乗る!だから早く降りろ」


 ダガーが噛みつくように叫んだ。


「フェンリルを操縦するのはコストナーだ!ダガー、コストナーから離れろ!」


 ブラウンが叫ぶのを無視して、ダガーはケイの身体を生体スーツから引きずり降ろそうとした。追い付いたブラウンが、ダガーの肩を後ろから強く掴んで、ケイから引き離そうとする。


「落ち着け、ヴァリル!何やっている!上官命令に従えないのか!!」


 ブラウンに強引に後ろから肩を引っ張られて、ダガーはバランスを崩した。危うく尻餅を突きそうになるのを、背筋と両腿に力を入れて防いだ。

 そのまましゃがみ込んで身体を回転させてブラウンに向き直ると、跳ねるように直立してから、思い切りブラウンの顎を拳で殴った。


 誰も止める間もない出来事だった。


 ジャック、ビル、ダン、そしてケイとミニシャが息を飲んで見守る中、よろけて二、三歩後退りはしたが、ブラウンのがっしりとした長身が床に沈むことはなかった。


「次にフェンリルに乗るのは俺だと、ウェルク!あんたは、約束した筈だ!」


 ダガーの悲痛な声がゼロ・ドックに響く。


「それは、お前より同期率が適合する人間が現れなかったらの話だ。状況を鑑みろ。冷静になれ。敵はすぐそこまで来ているんだぞ」


 ブラウンの低く抑えた、だが明瞭な声を聞いて、ダガーはたった今思い出したという表情をして顔を硬直させ、正面にあるブラウンの顔を見つめた。

 ブラウンの口の端に血が滲んでいる。上官を殴った己の拳に目を落とし、隊の部下が血の気のない顔で自分に視線を集中させているのに気が付くと、ダガーはぎゅっと目を瞑り、歯を食い縛って、がくりと頭を垂れた。


「コストナー新兵、フェンリルに搭乗したまえ。ボリス少尉の指示に従うように。ロウチ、レイノルズ、ダガーを向こうに連れて行け。軍曹には少し頭を冷やしてもらおうか」


 ブラウンが威圧的な低声で命令した。ダガーは激情を嘘のように静めて、両腕をだらりと垂らしたまま、ケイを生体スーツの足元から見上げている。アウェイオンの戦場で初めて出会った時と同じ、落ち着いた表情に戻っていた。


 ビルとジャックに二の腕を取られて、大人しくフェンリルから離れていく。ただ、ケイを見る鳶色の瞳の表情は、さっきとは変わっていない。


 怒りか、憎しみなのか、それとも悲しみか。


「了解しました」


 ケイは、まだ傍らに立って自分を見据えたままでいるダンに言った。


「ダン、俺はビビってなんかないよ」


「何だよ、おい。呼び捨てかよ。この弱虫の、ゲロ吐き野郎が」


 ダンは噛締めた歯を剥き出して怒りの表情を作ったが、顔は青いままで、悪態にも力が入っていなかった。


「俺は、弱虫なんかじゃない。それから、ダン、俺をゲロ吐き野郎って、二度と言うなよ。今度言ったらぶん殴るからな」


 ケイは生体スーツを登ると、コクピットの内部の人一人が入れる空間に身体を滑りこませた。


 縦長の座席にケイが腰を据えると、それは骨盤と背骨に密着した。両脇腹の後方から細長い繊維が網目状になって、インナースーツの上を這い、両手足を覆うように絡み付いた。

 同時に頭上から降りて来たヘルメットがケイの頭を包み込み、大きなゴーグルがケイの顔半分を覆う。開いていた胸部と腹部が閉じ、最後にスーツの頭部が頭上から降りてくる。


 カチリと微かな音がしてスーツがロックされたのが分かった。ヘルメットの分厚いゴーグルの内側が膨張して両目に押し当てられる。一瞬の暗闇が顔を這ったかと思うと、黄金色の閃光がケイの眼球を貫いた。反射的に閉じた瞼をこじ開けて、瞬きをする。


「おーい、コストナー。イヤーピースの状態はどうかな?私の声、聞こえる?こっち、見えるかい?」


 声の主の姿を見ようと、ケイは首を下に向けた。ケイの足元で、小さなミニシャが両腕を振り上げて叫んでいる。


「視界は良好です。少尉の声も、はっきり聞こえます」


「良かった。君の脳神経とフェンリルの人工脳神経がうまく繋がったようだね」


「けど、みんな小さく見えて、何か変な感じです」


「そりゃあ、あんたはその高さから私たちを見下ろしているんだからね。すぐに慣れるよ。ゆっくりでいいから、手を動かしてごらん」


 言われた通り、ケイは手を動かした。絡み付いた人工神経繊維のせいで筋肉が圧迫される感覚に戸惑いながらも、五本の指を動かした。腕も上下に動かしてみる。慣れて来たのか、今度は少し楽に動いた。


「大丈夫そうだね。じゃあ、歩いてみて」


 ミニシャの指示通り、実験室の床から足を放し、持ち上げてからゆっくりと降ろした。


「オッケー。うまくいっている。身体を動かしたときの違和感はどう?」


「そんなに感じません」


「君の身体がスーツに馴染んでいる証拠だよ。シンクロ適合率が良好だから、初めてでも違和感なく滑らかに動くんだ!」


 ミニシャは一瞬、嬉しそうに相好を崩したが、すぐに厳しい表情に戻った。


「武器についてだが、今は一つ一つを説明している時間がない。君には生体スーツ用のマシンガンを携帯して戦場に出てもらう。君自身が取り扱いに一番慣れている武器だろうから、スーツも素早く反応する筈だ。君の着ているスーツ、フェンリルは敵との戦い方を心得ているから、最初は素直に身を任せるんだ。

 コツを掴めば君の意思でスーツは動く。いいかい、コストナー。ここからが重要なことだから、よく心して、聞いてくれ」

 

 ミニシャは深く息を吐いてから、睨み付けるようにケイを仰ぎ見た。その表情に言葉に、押さえつけていた恐怖心が頭を持ち上げる。

 ケイは思わずミニシャから目を横に逸らた。

 少し離れて立っているブラウンが視野に入った。腕を組んだまま、少し俯き加減でブラウンは立っている。刃の切っ先のように光る灰色の眼がケイに注がれていた。

 

 多分、最初からそうやって、ケイの一挙一動を見ていたのだろう。

 そのことに気が付いたケイは身体を震わせ、ごくりとつばを飲み込んだ。 


「正直に言うよ」


 ミニシャが大きな声で言った。


「三十分だ!多分それが、君が戦闘モードに入ったスーツに耐えられる時間だ。それまでには必ず、生体スーツを装着したダガー隊、チームα(アルファ)を出動させる。基地の兵士と砲撃隊を使って可能な限りの後方支援もする。だから三十分間だけでいい、戦い抜いてヤガタを守ってくれ!!」


了解しました(ラジャー)!」


 恐怖を吐き出そうと、ケイは大きな声でミニシャに返事をした。そうだ。俺は一人で戦うんじゃない。基地には味方が大勢いるんだ。だから、怯えるな。


「地上に出すぞ!コストナー、ワイヤーポールエレベーターに掴まって」


 ミニシャは壁の大きな赤いボタンを押してから、レバーに手を掛けてケイに叫んだ。耳を劈くような警戒音が辺りに鳴り響き、ゼロ・ドックの床から巨大な金属製のポールが突き出してくる。フェンリルとシンクロしたケイの手が、金属製の太いポールのタラップに足を乗せてハンドルをしっかりと掴んだ。


 薄暗かった壁が、足元から強烈な白光を放って闇を消しながら天井に向かって伸びていく。

 天井に達した光は四方の壁から直角に曲がり、中央で繋がった。光の終着点が照らし出したのは巨大なドームだった。光が繋がった途端、それは真っ二つに割れて、青い空に向かって大きく口を開いた。太陽の光がスポットライトのようにドッグに注がれる。


「発進‼」


 ミニシャがレバーを引いた。





「テミショアから連絡がない」


 ブラウンが重い口調で言った。


「防衛線は破られたと考えていいだろう。推測だが、二足走行兵器の攻撃を受けたと思われる。敵の大型戦車が樹木の密集しているテミショアの山中を、これだけ早く躍進してくるとは到底思えない」


「そのようですね。軍事同盟軍は、すぐにヤガタまで進行してくるでしょう」


 ミニシャは全てのパネル表示を外界モニターに切り替えて、地上に降り立ったケイの様子を食い入るように見詰めている。ブラウンに対する返事もどことなく上の空だ。


「ボリス少尉、コストナーとフェンリルの同期の数値はどれだけあるんだね?」


「四十三・五パーセントです」


 パネルに写る生体スーツを凝視しながら、ミニシャは鷹揚のない声でブラウンに答えた。


「その数値は、我々が期待して良い値なのか?」


「多分」


「多分か…」


「生体スーツを操縦する訓練を全く受けていない兵士で、この数値が出た人間はいません。アシュルの数値は四十八でした。コストナーより数値は高かったが、それは訓練の賜物です。それにアシュルがいない今、彼がフェンリルを操縦するのに最も適した同期率を持っている。その筈です」


 噛んで含めるようにミニシャが言った。


「もしかしたら、アシュルよりも」


「そうだな。アシュルよりも適しているかもしれない。いや、その筈だ」


 ブラウンは、ミニシャの言葉を同じく返すしかなかった。


「実戦経験ゼロの少年兵だが、兵士の中では、コストナーの数値は突出している。そして我々は今、共和国連邦軍の命運を、その数値に掛けるしかない状況に陥っている」


 口を引き結んだままパネルを見ていたダンが、小さな声でミニシャに問うた。


「コストナーは、アシュルさんのようになっちゃうんですか…」


「そんなことにはならない」


 ミニシャは握り締めた手を強く胸に押し当て、奥歯を噛み締めた。


「私が、させない」


「コックス二等兵、君も出撃の準備をするんだ」


 鋭い口調でブラウンが命令した。


「コストナーのタイムリミットが超えないうちに軍事同盟を撃滅させろ。それが君たちに課せれた任務だ」


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