人間工場
ガグル社の社員は、全て人間工場から生まれてくる。
順番が回ってきた受精卵を解凍し、楕円形をしたガラスのシャーレに満たされた培養液の中で、七十から百にまで細胞分裂を始めた正常な状態の胚盤胞を人豚の子宮に着床させる。
人豚とは、雌の豚の体内に人間の子宮をもつキメラ体だ。
人と同じなのは子宮だけで、脳も内臓も、その他全てが豚である。
獣の声は人間の胎児に良い影響を与えないという理由から、人豚の声帯は潰されている。
一頭ずつ個別のクリーンルームの中で、穏やかな音階の名曲と、男女の歌手のさまざまな美声を聞聞きながら、腹の中の人間の胎児が摂取する栄養を含んだ溶液を、喉に取り付けられたチューブから十ヶ月の間流し込まれるために生きている生体機械だ。
分裂した細胞が胎児となって成長していく過程で、何らかの異常が見つかれば、人豚ごと廃棄。
人豚の腹をレーザーメスで切開して生まれた新生児を遺伝子センサーに通して、そこでも僅かな異常が見つかれば、廃棄。
子供が成長する過程で様々なテストが施行され、その知能が、その身体が、ガグル社を維持していくのに達していないと判断されたら、そこでも処分が待っている。
選別されながら十八歳まで成長できた子供たちは、ガグル社の社員という地位を得る。
最終戦争後の野卑な世界から完全に隔離され、超高度技術が集約されているメガ・カンパニーの内部で絶対服従という条件の下、飢えも病気も知らずに一生を過ごせるのだ。
その数、約三千人。
彼らの寿命は百二十歳前後。エンド・ウォー以後の人類の平均寿命より倍以上は長く生き、戦域で戦うの兵士の四倍はある。
勝者である彼らの頭脳と肉体は、ガグル社を支える遺伝子プールでもある。
サラブレッドのガグル社社員から採取される卵子と精子が次世代の頭脳を生み出していく。
それでも、優秀な人間を出現させるようにプログラムされた人工知能が、膨大なデータから選別したX、Y遺伝子を掛け合わせた胚から、ガグル社内で天才と称される頭脳を持った赤ん坊を生み出して成人まで成長させられるのはごくわずかだ。
天才を造る効率を上げるべく、施行された特殊プログラムから生まれた子供のなかで成功したのが、バートン、メイ、ワンリンの、三人のである。
(いや。あと一人いた)
プログラムの中に、自分と同じ遺伝子を受け継いだ者が。
彼も、ユーリーと同じくスーパージニアスと称賛される少年だった。
だが、彼は、十四の時に、重篤な遺伝子疾患を発症して処分されてしまった。
そのことを知ったユーリーは、ガグル社脱出計画を早めた。
人工ゲノムの高度実験体だった少年の肉体と、ただのクローン体だったユーリーの身体は分子レベルでの遺伝子配列は明らかに違う。
だが、彼と同じゲノムを持つこの身が、ガグル社から、いつ不適合の烙印を押されて処分されるか分からないという危機感を抱いたからだ。
ユーリーが、量子キーで厳重にロックが掛かっている生体スーツの基礎設計図を持ち出せなかった原因はそこにあった。
(くそ。スーツの技術さえ、手に入っていれば…)
今、そのことを、どれ程悔やんでも、過去は変わらない。
しかし。
人を人とも思わないあの男が、何故、今になって、世界に感心を持ち始めたのだろう。
(どうでもいい。俺の邪魔をする奴は、排除するだけだ)
たとえ、どんな犠牲を払っても。
「まだ手は残っていますよ」
ユーリーはウォーカーに向かって悪魔の如き笑みを浮かべた。
ウォーカーはユーリーから何かを悟ったように、ゆっくりと頷いた。
「ユーリー、君に、十八世紀にプロイセンで生まれた近代哲学の祖とされる者の、戦争についての論理を聞かせよう」
「十八世紀の哲学者の話をですか?」
何を言い出すのだろうと、ユーリーは首を傾げてウォーカーを凝視した。ウォーカーの半眼になった目が、暗い光を放っている。
「彼は、自由主義である共和国であれば、独裁国家よりは容易く戦争を起こさないと考えていた。戦争を始めることが自国にとって有益になるかどうかの議論を重ねることが出来るのなら、そう簡単には国を戦争へと突入させないだろうと。
今から四百年以上も前のことだ。当時の人々は彼の言っている意味が理解出来なかったらしい。戦争なんてすぐに始まる。国家のありようなど関係ないとね」
ウォーカーはそこで言葉を切ると、少しばかり俯いて腕を組んだ。冷めた紅茶を眺めながら、二度ほど目を瞬かせる。
「二十世紀に入って、破滅的な大戦を二度経験したことで、世界は少し前を向いた。特にヨーロッパは。その哲学者が言った通り、戦争を避け合う方向へと進んだのは確かだ。民主主義が根付いたからともいえる。…まあ、かの哲学者は、民主主義は独裁であると切り捨てていたのだがな。それでも、貧困から遠ざかった国民が多数を占める国家で機能していたのは確かだ」
ウォーカーの俯いた顔はそのままで、上目遣いでユーリーを見る目に鋭さが戻っていた。
「しかし、だ。現在は民主主義も自由主義も、まともに機能している国は殆んどない。ロング・ウォーのせいで、軍人がどの国でも幅を利かせるようになった。
大国プロシアも、軍が台頭してから随分と経つ。お飾りの議会ですら我が物であると、ノイフェルマンが堂々と宣言した。ロシアの軍事独裁は今に始まった事ではないが、イギリスやフランスも、国家の主権は軍と結託した党にある」
「領土を疲弊させないようにと限定戦域で始めた戦争が長期化し、自国の経済を圧迫させている。戦争の恩恵を受けているのは共和国連邦の軍閥どもとガグル社だけですからね」
ユーリーはウォーカーの言葉を引き継いで喋り始めた。
「特にガグル社は異常なほど肥え太っている。奴らは気の遠くなるような巨万の富をため込むだけため込んで、戦争で疲弊した一般市民、それも老人や病人、親を失った子供にさえ還元しようとしない」
「還元する気がない、か…。君はその理由を知っているのかね?」
組んだ足に片肘を突き、手に頬を乗せたウォーカーが聞き返す。
「この世界が、ガグル社にとって必要のないものだからです」
ユーリーの躊躇のない言葉を聞いたウォーカーが、手から顔を上げ、氷のような笑みを浮かべた。
「ユーリー、打つ手はあると言ったね。私も君の考えに賛同している」
ウォーカーの口角が持ち上がるのを、ユーリーは黙って見ていた。
「だが、私はアメリカ副大統領だ」
(なるほどな。歴史に汚点を残したくないという訳か…)
歴史が続けばの話だが。
「私をアメリカ軍の総司令官として、あなたの次に軍の全権を委譲して頂けるのなら、この命を懸けて、全ての責任を負う覚悟は出来ています」
ウォーカーが一番聞きたいであろう言葉を、ユーリーは迷いなく口にした。
「そうか。よろしい。ユーリー。君を、アメリカ軍の総司令官に任命しよう」
「ありがとうございます。閣下」
ソファから立ち上がると、ユーリーは慇懃な態度でウォーカーに深々と首を垂れた。腰を折り曲げたユーリーの顔に、艶やかな黒髪が落ちる。
ユーリーの言動に満足したのだろう。ウォーカーがティーカップに手を伸ばし、ぬるくなった紅茶を口に含む。
(ララの言った通り、好機は逃さずに、だ)
僅かに歪んだユーリーの口元が何を意味するのか、ウォーカーは知る由もなかった。
「ベルリンがロシアのミサイルで攻撃されるだと?!」
ブラウンは茫然とした表情で、蒼天を飛ぶミサイルを眺めていた。
三十年前、戦争行為は限定戦域でのみとの条約が制定されたのは、こんな悪夢を避ける為だったはずだ。
(そうか!条約を一方的に破棄する意味も含めて、ロシア軍はウィーンを壊滅させたのか)
長い戦争の終結を意味するのが、ロシア軍の長距離ミサイルによるプロシアの首都攻撃だったとは。ブラウンは唸り声を上げながら、ミサイルを睨み付けた。
「…俺達は、共和国連邦軍は、負けるのか?」
マディの呟きが嫌でも耳に突き刺さる。
「いや…。断じて…断じて、そんなことがあっては、ならない…」
苦し気に呻いたブラウンの声は、成す術もなく空を見上げる兵士の耳には届かない。
「中佐!東南、九時の方向から、強い燃焼反応を感知しました!」
ジャックの緊張した声が重い沈黙を破った。
「九時の方向だと?その場所は、もしかして、ノイシュタットか!!」
「はい!ヘーゲルシュタイン閣下の大隊が待機している場所です」
「少将の軍とロシア軍戦車が激突したのかもしれない」
ブラウンは急いでノイシュタットへと、生体ドローンを飛ばした。
鷹の姿をしたドローンが、翼を強く羽ばたかせて、大空へと一気に舞い上がった。