気狂いウルフ
「小僧っ子の新兵だろうが、無敵のマッチョ兵士だろうが、そんなこたぁ関係ないんだよっ!シンクロ率が高い人間にフェンリルを着せるしかないんだ。今までこの生体スーツを着た誰よりも君の数値は高いって言ってんだろ!いい加減、理解しろ!」
「苦しい!少尉、手を放してください」
ケイは顔を真っ赤にしてもがいた。それでもミニシャは手を放さない。
「怖がっている暇なんかないんだよ。さっき連絡が入った。カトボラが飛行体の攻撃を受けて壊滅状態だって。態勢を立て直すために現在、ブラウン大尉とダガー軍曹たちがこっちに向かって移動中だ。
前方後方とも基地が破壊されてしまったテミショアの防衛線が、一体どれだけ持つっていうんだ?軍事同盟軍がもうそこまで進行しているんだぞ!
今、ヤガタが占領されたらゼロ・ドックの開発情報が、生命体起動スーツが、全て奴らに奪われちゃうんだよ!!そんなことになったら、共和国連邦は終わりだ。
我々の故郷が、軍事同盟の植民地になってしまうんだぞ!同期率がこれだけ適合している人間は、フェンリルを装着できるのは、コストナー、君しかいないんだ!!」
ミニシャはケイを床に放り投げると、デスクの引き出しの中を引っ掻き回して注射器とアンプルを取り出した。
「コストナー新兵、注射するから腕を出して。これね、スーツとの同期率を高める薬だ。大した副作用はないから心配しないでね。おっと、その前にインナースーツに着替えなくちゃね。インナースーツには、生体スーツの人工筋肉繊維と人の動作を円滑に繋ぐ機能が備わっている。
あと、敵との戦闘攻撃の衝撃に耐えるプロテクト機能も備えている。これを着れば、新兵の君だって楽に生体スーツを動かせるようになる」
ばたばたしているミニシャを見兼ねたダンが堪り兼ねて叫んだ。
「ボリス少尉!俺がガルム2(ツー)に乗って先に出動します!俺だけじゃない、ここには四人のダガー隊が残っているんだ。こいつには、実戦経験が殆んどない!新兵のコストナーに、こんなにビビっている弱虫なんかに、無理にスーツを着せなくたって!」
俺はビビっている?
ミニシャに向かって大声を張り上げるダンの言葉に、ケイは固い拳で思い切り頬を殴られたような衝撃を受けた。
(俺は、弱虫か?)
そうさ、俺はレリックさんの死を、トゥージス曹長や小隊の皆が死ぬのを見てビビってんだ。
死ぬのが怖い。だけど、兵隊に志願した時から俺の運命は決まった。
他でもない、自分の意思で道を決めてしまった。その道を自分から歩き出したというのに、逃げ場がどこにあるっていうんだ?
(クリス。あんたは凄いよ。頭の良いあんたの事だ。兵士になったらどんな過酷な運命が待ち構えているのか、重々承知していた筈だ。それでも、自分の夢を叶える為に兵士になる道を選んだんだろう?険しい道しかなくても、夢を諦めたくないから、前に進もうとしたんだろう?)
それに比べて俺は。
(俺は、俺には何にもない。空っぽの臆病者)
(怖くて戦えませんからと、ここから逃げ出すか?俺はそんなに)
ケイは心の中で反芻した。
(俺は、そんなに、弱いのか?)
(違う!俺は弱くない。弱くなんかない!!)
「調整が、まだ終わっていないんだ」
ミニシャが苦しげに声を出した。
「だから、お前たちダガー隊に、スーツを着せる訳にはいかない。あと少し、あと少しなんだ。だけど、その前に軍事同盟軍の敵機が攻めてくる。一刻を争う状態なんだ」
(嫌だ!そんなの、認めない。認めたくない!)
「俺、やります!スーツの中に入ります!」
ケイはミニシャとダンに向かって大声で叫んだ。
二人が目を丸くしてこちらを見ている。
言ってしまった。もう後戻りは出来ない。
「え、え?!ホント?いやぁ、最初から分かってたんだよー。コストナー、君が勇敢な兵士だってことはさ」
ミニシャは大きく口を開けて驚いているダンを押し退けて、黒い色のインナースーツをケイに突き付けた。
「よぉしっ!じゃあ、服を全部脱いで、これにすぐ着替えるんだ」
「ここで、ですか?」
「グズグズするな!おまえ男だろ?恥ずかしがってんじゃないよ!コックス二等兵、こいつをひん剥いてやれ!」
狼狽えるケイをミニシャは叱咤した。ダンは暗い表情をして無言でケイを見ている。
ここまで来たら、もう腹を括るしかない。ケイは軍服を素早く脱ぎ、インナースーツで身を包んだ。ミニシャが注射器を持って待ち構えている。
「この薬、いつもは点滴で入れるんだけど、時間がないから」
腕を捲ると、すぐさま注射針を刺された。成分不明の透明な液体が、ケイの体内に注入されていく。
「どう?動悸とか眩暈はしないかい?」
ミニシャが親指と人差し指で、ケイの瞼を広げて覗き込みながら、同時に首筋の脈を取る。
「大丈夫です」
ケイはしっかりと頷いた。
「良かった。じゃあ、こっちへ来て」
ミニシャがダガー隊の生体スーツとは別の方向にケイを誘う。声も表情も恐ろしく静かで、さっきの騒がしい態度とはまるで違う。ケイは自分の後ろから黙って付いて来るダンの顔に、そっと視線を走らせた。その暗い瞳と固まった口元を、どこかで見たことがある。
そうだ。養護施設でクリスの訃報が届いた時の大人たちの表情だ。
不意に、冷たい指で背筋を撫でられた感覚に捕らわれて、身体が震えた。
「これが、フェンリルだ」
ゼロ・ドックの密集した機材から離されて、蛍光パネルの光も届かない場所に、六メートル級の高さの生体スーツが一体で立っていた。濃い灰色が、青みを帯びて鈍く光っている。さっき見た七体のスーツのどれよりも重厚なボディだ。
「北欧神話に出てくる大狼さ。あまりの強靭さに、彼を恐れた神々によって地底に鎖で繋がれてしまった怪物だ。神話に肖ってその名を付けた。最初に開発された生体スーツだ」
ミニシャは壁に取り付けてある装置のタッチキーのいくつかを素早く押し始めた。生体スーツからチューブが自動的に外されて、壁の内部に仕舞われていく。ミニシャの白い手が最後に大きなレバーを引いた。
生体スーツの胸の部分を覆っていた甲冑が肩の位置まで持ち上がり、胴体の中央に巨大な扉が表れた。落とし橋のように扉が開くと、また、次の扉が現れた。それが左右にスライドすると、人間の身体が一人分収まる狭い空間があった。
頭部も、顔の部分が上へとスライドしていく。頭部の中には無数の細いチューブに繋がれたヘルメットが内蔵されていた。細かい繊維が、スーツ内部の空間を網目状に覆っていた。
「最初にヘルメットを装着してくれ。スーツの人工脳と人工神経線維が、君の脳と身体を通して繋がるんだ。君の着ているインナースーツと生体スーツのシンクロが始まる。それでフェンリルが動き出す」
ミニシャがケイに向かって生体スーツのある部分を一つ一つ指差した。
「ほら、一定の間隔で小さな窪みがあるだろう?そこに指と足の爪先を掛けて乗り降り出来るようになっている。さあ、早く乗ってくれ。スーツの動かし方を教えるから」
ケイは生体スーツの脇を指で探った。窪みを指先で撫でた。もう後戻りは出来ない。四本の指に力を籠める。膝の高さの窪みに足の爪先を差し込み、腕の力で身体を持ち上げた。
「待て!」
誰かが叫んだ。
「コストナー、フェンリルから離れろ!」