危局
「こっちはお前の相手している暇はないんだよ」
ケイは迅速にフェンリルの左右の腕からブレードを出現させた。
ケイが操縦席の中でファイティングポーズを取る前に、ヴォルクはフェンリルの間合いの中に滑り込んできた。
あまりにも迅速な動きに息を飲む。
次の瞬間には、ヴォルクの二枚のブレードはフェンリルの両肩の上にあった。
肩に刃を深く叩き込まれる前に、フェンリルは外側から機械兵器の二の腕にブレードを突き刺していた。
「ぐっ!」
両肩に激痛が襲うのを歯を食いしばって堪えながら、ケイは自分のブレードに渾身の力を込めた。フェンリルのブレードの切っ先が機械兵器の腕に食い込んでいく。
ヴォルクのブレードがフェンリルの肩を深く抉るのが先か、ヴォルクの腕をフェンリルのブレードが貫くのが先か。
二体は互いを刃で刺したまま、動かない。
ヴォルク腕から聞こえてくる破壊音に、バラノフは忌々し気に舌打ちした。
「拙いな。これ以上こいつのブレードで両腕を串刺しにされたら、ヴォルクは戦闘不能になってしまう」
バラノフはフェンリルの肩に食い込ませたブレードを僅かに持ち上げた。
「攻撃力が弱まったぞ」
ケイは、ヴォルクの両腕に刺したブレードを力任せに引き抜くと後方に飛び退いて、相手の攻撃圏から距離を取る。
「素人パイロットめ。やはりブレードを抜いたな。こっちの想定通りに動いてくれたわ!」
攻撃態勢を整える時間を与えずに、ヴォルクはフェンリルの間合いに飛び込んだ。
攻撃の先手を取ったヴォルクのブレードが大きく唸り、速度を増していく。
「こいつ、フェンリルを一撃で倒す気だな」
ケイは敵のブレードを必死で払い退けながら、反撃の機会を窺った。
しかし、ヴォルクの動きに隙など微塵もない。それどころか高速度で切りつけてくるブレードを防御する度、徐々に重量を増してくるのが分かった。
真っ向から刃を交える衝撃に耐え切れず、フェンリルのブレードが大きく外側に弾かれる。
「くそっ、早く軍曹の援護に行かなくちゃならないってのに」
今や敵の斬撃を食い止めるだけで精一杯だ。ケイが少しでも逃げの体勢を見せれば、フェンリルの首に刃を叩き込まれるのは間違いない。
どうすれば、この戦闘から抜け出せるのだろう。
右腕だけのブレードでリサーの攻撃を躱すのは容易ではなかった。
長い爪が繰り出す変則的な攻撃に、リンクスのブレードが翻弄され始めている。
攻撃どころか防御も追い付かない。左右から襲い掛かる鋭い爪をブレードで薙ぎ払う度、リンクスの足のふらつきが大きくなる。
「ふふ。パイロットの体力はそろそろ限界にきているようだな」
グラチェフはリンクスのブレードを右の親指と人差し指の爪でしっかりと挟み込んで動きを封じると、左手の四本の爪でリンクスの胸から腹を斜めに切り裂いた。
爪が向かってくる直前に、リンクスは上体を仰け反らせながら後ろに下がる。その直後、リンクスの甲冑をリサーの爪が甲高い金属音を立てて掠っていった。
「何とか上手く避けられたな」
これ以上人工神経が傷付くと、リンクスは戦闘不能に陥る可能性がある。
ダガーはモニターの表示を睨みながらリサーに抑え込まれたブレードを爪から引き抜くと、斜め上から機械兵器の手首目掛けてギロチンのようにブレードの刃を落とした。
危険を感じたリサーが即座に腕を引っ込める。
素早く動いたつもりだった。
それでもリンクスの目にも止まらぬ動きからは逃れられずに、四本の長い爪が切り落とされた。
リサーはリンクスから即座に距離を取り、指に残る爪の丸い切り口を見て、眉を顰めた。
「しぶとい奴だ。やはり、簡単には死んではくれんな」
操縦席の中で小さく独り言ちてから、胸の中心から外側へと右手を大きく振ると、銀色に光るブレードを出現させる。
「次の攻撃で、お前を必ず倒す。私の技を存分に食らうがいい!」
グラチェフは素早いステップでリンクスに接近すると、リサーの機体を高速回転させて、右のブレードと左の爪を交互に操る技を繰り出した。
バレエダンサーとして鍛え抜いた鋼の身体と連動させた高速技である。
チェインソーのように激しく回転するリサーの攻撃に、リンクスの超硬質ブレードがいとも簡単に弾かれた。
「ヂェーブシカ、私の足技から叩き出される刃の味はどうだ?」
リサーの猛攻に全く手が出ない。危うく切り刻まれそうになったのを紙一重で躱したダガーは、リンクスの体勢を立て直そうと後ろに跳ねた。
「アントルラッセ!」
グラチェフは叫んでから、リンクスの後を追うように片足で大地を踏み込むと、高くジャンプした。
リサーの機体を空中移動させながらリンクスの胴体にブレードと爪を突き入れるべく、弾丸のように宙を飛ぶ。
空中で二枚のブレードと四本の長爪が絡み合った。
リサーは腕に反動をつけると、リンクスの頭上で大きく一回転してからリンクス背後に片足で着地した。
まるで白鳥が舞い降りるような優雅な動きである。
リンクスはリサーの五メートル手前で失速し、落下するように両足で着地した。リンクスの上半身が大きく揺らぐ。直立出来ずに両膝を地面に落とした。
「くそ、読み違えたか…」
ダガーは上半身を貫く激痛に、自分の胸を思わず右手で掻き毟った。
防御に成功したと思った。だが、敵の爪とブレードがリンクスに同時に振り下ろされたのは、リンクスのブレードを完全に封じ込める策だったのだ。
グラチェフは、リンクスのブレードを己のブレードで力任せに固定してから、瞬時に爪を後ろへと引いた。
金属の激しい摩擦でブレードから火花が散るのを見たダガーがブレードを反転させる前に、四本の爪を無防備になったリンクスの右胸に深々と突き刺した。
動きの止まったリンクスから爪を引き抜いたリサーは、その頭上を跳び越えて、背後に降りて距離を取ったのだった。
時間にして、僅か三秒。
両膝を付いたまま動けなくなったリンクスの操縦席に、甲高い電子音が鳴り響いた。
『人工胸筋損傷度レベル3。胸筋内人工神経線維切断。生体スーツの総損傷度レベル2に上昇。直ちに戦闘から離脱し、機体の回復に当たれ』
「離脱しろ、か。それは不可能だな」
人工神経線維の強い収縮はスーツの防衛本能だ。
生き残っている神経同士が収縮し結合することで、切断された神経線維を補完し機能を蘇らせようとする。その線維の動きは波となって、生体スーツとパイロットを繋ぐ神経線維にも押し寄せる。
結果、副作用として捩じ切るような激痛がパイロットの身体を苛む。
あまりの痛みに息が止まり、頭が朦朧としてくる。
ダガーは唸り声を上げてから、意識が飛ばないように右手で自分の頬を力一杯殴り上げた。
口の中が切れ、鮮血が溢れ出る。
今にも崩れ落ちそうなリンクスを、大地に突き立てたブレードで何とか支える。
「今度の攻撃はさすがに効いたようだな。右のブレードだけで防御出来ると思ったか」
嬉し気に口元を緩めてから、グラチェフは爪を指の中に収めると、ブレードを出現させた。
「麗しきヂェーブシカよ。最初に言った事を、私は今から実行するよ」
美しい顔にぞっとする笑みを浮かべたグラチェフが歌うように言った。
「その白灰色の美しい機体を、パイロットごと一緒にスライスしてやろう」
地面に蹲ったまま動かないリンクスに向かって、二枚のブレードを振り翳したリサーが駆け出した。