死に急ぐ上官
リンクスの左腕が動く様子はなく、ぶらりと落ちたままだった。
ダガーとケイが互いを防護しようと、スーツを背中合わせにした体勢でブレードを構える。
それを取り囲んだ三体の機械兵器が攻撃の輪をじりじりと縮小させていく。
片腕になったメドヴェージが右側から、リサーはその左に陣取ってリンクスに狙いを定めている。
リサーとメドヴェージが同時に動いた。
長い爪でカチカチと音を立てながらリンクスとの間合いを詰める。
右左からの攻撃で、リンクスを一気に倒すつもりなのだと分かった。
右は防御できる。しかし、動かない左腕側から攻撃を受ければ、ダガーの驚異的な俊敏さをもってしても、敵を躱し切れないだろう。
(弱ったリンクスを先に倒し、残ったフェンリルに全員で一斉攻撃をかける、か…)
そう呟いて敵を睨むケイに、ダガーから通信が入った。
「コストナー、ここは俺だけで対処する。お前は直ちにフェンリルを退避させろ」
ダガーの無謀な指示に、思わずケイは声を荒げた。
「は?軍曹、何、言っているんですか!リンクスは左腕が使えないんですよ!三体もの機械兵器を相手にどうやって戦うつもりですか!」
声を荒げるケイに、ダガーが抑揚のない声で言った。
「よく聞け、コストナー。このままだと、最悪、スーツを二体失う事になる。俺がこいつらを足止めするから、お前はキキ達と合流しろ。戦闘指揮はハナに取らせる。体勢を立て直すんだ」
(この人は、俺に…)
目の前の敵を凝視しながら、ケイは奥歯をぎりっと噛みしめた。
(俺に一人で逃げろっていうのか?)
突然、アウェイオンでの戦いで、ドラゴンの放つ兵器に身体を撃ち抜かれ次々と死んでいく兵士の悲鳴がケイの耳の奥から湧き上がった。
「逃げろ、コストナー!早く逃げるんだ!」
逃げろ。逃げろ。
レリックが必死の形相で放った言葉。
ドラゴンの襲撃にただ恐怖するばかりだった自分は、どれほどみじめな表情をして震えていただろう。
兵士達の悲鳴が戦場の凄惨な映像へと変わっていく。
目の前に広がるのは兵士の変わり果てた遺体だ。その中で、ケイは銃を放り出して血塗れのレリックを呆然と抱えていた。
そして。
そんなケイの前に現れたダガーの冷静な態度に、自分は憧憬の念を抱いたのだはなかったか。
《戦場で携帯した武器を失えば、味方も巻き添えにして確実に命を落とす》
味方。
(そうだ。戦場で、自分一人が戦っているわけじゃない)
ダガー隊、チームαに入隊した時の皆のにこやかな表情が、ケイの脳裏に鮮明に浮かび上がった。
《ようこそ、ケイ》
《よろしくな、ケイ》
挨拶の最後に、胸に刻み付けられたダガーの言葉。
《俺達は仲間を守りながら敵を撃滅させる。それがチームαの神髄だ》
仲間がいるから、守り守られ、辛うじて命を繋いできた。
残酷極まりない戦場で、何とか正気を保っていられる、大切な理。
(軍曹、あなたがそれを俺に教えてくれたのに)
ケイはフェンリルの操縦席で怒りに震える両手を硬く握りしめた。
「無理です!軍曹を残して俺一人で退避だなんて、そんな事、出来るわけない!」
「コストナー、これは命令だ。そうでないと、ここでお前も死ぬぞ。死ぬのは俺だけで十分だ」
ダガーが平然と死を口にする。
いつもとは別人のように穏やかな口調に、ケイは身を震わせた。
(この人は死を覚悟している。だけど、何で、こんなに平穏でいられるんだ?)
己の死と引き換えにケイを救えば、ダガーは満足なのか。
(俺は嫌だ。軍曹の命を犠牲にして自分だけ生き延びるなんて、そんなの絶対に嫌だ!)
「軍曹!俺は絶対に一人でなんか退避しませんからね。フェンリルはリンクスと一緒に戦うんだ!」
ケイは声を震わせて叫んだ。
ケイの雄叫びに反応したフェンリルが、身体を大きく揺らした。
機械兵器と対峙して、今まで隙のなかったスーツの攻撃のフォームが崩れたのを、バラノフが見逃す筈もなかった。
均衡が破られた。
ヴォルクが足を踏み込んだ。フェンリルに向かって一気にブレードを突き入れてくる。
リサーとメドヴェージも同時に動いた。
ケイの想像した通り、リンクスの両脇から鋭い大爪を伸ばしてくる。
ケイはリンクスと背中を合わせたままヴォルクのブレードを受け止めると、もう片方のブレードで、左側からリンクスに襲い掛かるリサーの爪をガードした。
左の防御が必要ないと瞬時に悟ったダガーは、メドヴェージの片腕の攻撃のみに神経を集中させた。
「きええいっ!」
鋭い咆哮を上げながら、ダガーはリンクスに襲いかかってくる鉤爪を超高速で躱した。
リンクスの右のブレードを稲妻の如く閃かせ、メドヴェージのもう片方の腕を肩の付け根から叩き落とした。
一瞬だった。
自分の操縦する機械兵器に何が起こったのか理解できないまま、イリイーンはリンクスに攻撃を掛けようと、メドヴェージの動体連動装置を装着した己の腕を必死で振り回していた。
「アーチャ!」
イヤホンを通じてグラチェフの悲痛な叫び声が耳の中に響き渡ったのと、メドヴェージの機体に二度目の衝撃を感じたのが、同時。
操縦不能となったメドヴェージの中でイリイーンは恐怖の金切り声を上げていた。
「ヴィーニャ!助けて、兄さん!」
メドヴェージは胴体を真っ二つにされて地面に転がった。
リンクスから飛び退いたリサーはすぐにメドヴェージの上半身に駆け寄ると、その機体から操縦席を包んでいる装甲カプセルを力任せに毟り取った。両腕にカプセルを抱えて脱兎の如く跳ね上がる。
リサーのジャンプと前後するように、メドヴェージの上下に分離した機体が同時に炎を噴いた。
それが合図となって、ヴォルク、リンクスとフェンリルが、メドヴェージから飛び退る。
次の瞬間、メドヴェージは見るも無残に吹き飛んだ。
激しい爆発音と共に、爆風で飛び散ったコンクリートの塊や折れた鉄鋼が、弾丸のようにスーツと機械兵器に飛んで来る。スーツを守る為、半壊したビルの後ろに避難する。戦闘は小休止となった。
「イヴァン、アーチャは無事か?!」
三階建てのビルの陰で爆風を避けているバラノフから通信が入った。
「ああ。大事ない。気を失っているだけだ」
グラチェフはイリイーンの状態を確かめると、主戦場から離れた民家の脇に装甲カプセルをそっと置いた。
「ヂェーブシカ、お前のスーツも胴体から真っ二つに切り離してやる!」
怒りで鬼の形相になったグラチェフは、リサーを素早く立ち上がらせた。
白灰色のスーツを睨み付ける。メドヴェージを倒すのに渾身の力を振り絞ったようで、左腕と片膝を地面に付けたまま動かない。
グラチェフはリサーの腕を外へと振って、四本の指から二メートルはある長さの爪を出すと、リンクス目掛けて突進を開始した。
「軍曹!危ない!」
ケイはフェンリルを大きくジャンプさせて、瓦礫の山を飛び越えた。
自分との戦いを放棄してリンクスの援護に向かうのを察知したバラノフが、素早くヴォルクを跳躍させてフェンリルの前に降り立ち進路を塞ぐ。
「灰色!お前の相手はこのヴォルクだ」
バラノフは両腕から二枚のブレードを素早く突出させた。