巨犬の群れ
犬型生体兵器の襲来に、キキとガルム1は両腕からブレードを出現させて戦闘態勢を取った。
「敵が接近していたのは分かってたけど、まさかこんな場所でアメリカ軍の狂犬生体兵器に再開するとはね」
ハナはコクピットの中で嫌そうに肩を竦めた。
死人のような灰色の皮膚を纏った怪物は背側や尻尾だけではなく、肩や脇腹にも鋭い刺を生やしている。太陽の下で見るその姿は一段と醜悪さが増していた。
巨大さと相まって、見る者を恐怖に陥れ戦意を喪失させるのは確実だ。
「それにしても、あんなに刺だらけでしたっけ?体当たりされたら、スーツが穴だらけになりそうだ」
「そうなる前に一匹残らず切り伏せてしまえばいいのよ」
ハナはキキのブレードの切っ先をティンダロスに向けた。
それを見た一際大きな犬型兵器が一声高く吠えた。合図を受けたティンダロスの群れが、キキとガルム1をぐるりと取り巻いて体勢を低くする。
「来る!」
ハナは瓦礫の上から飛び掛かって来たティンダロスを一刀両断で切り捨てた。犬は空中で腰から二つに分かれて地面に落ちた。
「姐さん、カッケー!」
「ジャック、ふざけてないで、あんたも早くこいつらを倒しなさいよ」
「了解です」
ハナに怒られて、ジャックは、ガルム1に噛み付こうと大口を開けて襲い掛かってくるティンダロスを即座に避けると、その首にブレードの刃を叩き込んだ。
首を失った犬の身体は、瓦礫に激突してから崩れ落ちた。
「よし。あと八匹」
ジャックは前から突進して来たティンダロスにブレードを振り下ろした。
ティンダロスはブレードを素早く避けると身体から細長い触手を数十本突出させて、ガグル1の右腕に巻き付けた。
「しまった」
一瞬で攻撃を封じられたガルム1は、左のブレードを出現させて、触手を切断しようとする。
だが、後ろから接近して来たティンダロスの放った触手に腕の動きを抑えられてしまった。
ガルム1を拘束した二匹のティンダロウスが左右に分かれて、その腕を左右に百八十度に広げる。無防備になったガルム1に、一番大きな犬が牙を剥いて飛び付いた。
ティンダロスは大きく口を開けると、ガルム1の肩にがぶりと噛みついた。
「ジャック!」
「う、ぐ、ああっ」
自分の肉体に襲い掛かる激痛にジャックが喘ぐ。
ハナはガルム1に覆い被さっているティンダロスに向かってブレードを振り上げた。
だがブレードがびくとも動かない。
「!」
ハナが後ろを振り返ると、別のティンダロスの触手がブレードの先端に吸い付いていた。
「くそ」
もう一方のブレードを出現させようと上げた腕を、横から飛び掛かって来た犬に噛み付つかれた。ハナの腕に激痛が走る。
「くっ」
歯を食いしばって痛みに耐えるハナのイヤホンにジャックの声が聞こえて来た。
「ハナさん、大丈夫ですか!」
「見れば分かるでしょ!大丈夫じゃないわよ!」
「すいません」
ジャックの萎れた返事に、ハナは声を荒げた。
「馬鹿!謝っている場合じゃないでしょ!あんたの方が大変じゃない」
「そうですね。でも、俺、ハナさんをすぐに助けますから。待ってて下さいよ!」
噛み砕かれそうな肩の痛みに耐えながら、ジャックはガルム1の両腕に渾身の力を込めた。
「ぐおおおお」
喉が裂けんばかりに声を放つと両腕を胸の中心に合わせ触手をしっかりと握りしめた。
ガルム1に引っ張られて、二匹のティンダロスの足がふらついた。
ぴんと張った触手が僅かに緩む。それはガルム1の身体を動かすのに十分だった。
ジャックはガルム1の肩にティンダロスを乗せたまま、軸にしたガルム1の足を回転させ始めた。
ガルム1に触手を巻き付けたティンダロスが円を描いて走り出す。回転を速めると、犬の足が地面から離れて宙を蹴った。
ガルム1の踵がドリルとなって大地に深い穴を穿つ。長い触手で互いの身体を絡み合わせた二匹のティンダロスは、投てきのように振り回されていた。
ジャックは腕からブレードを出現させて握りしめているティンダロスの触手を一気に切断した。
二匹の犬は重なり合ったまま、瓦礫の遥か向こうへと飛んで行った。
ガルム1の肩に噛み付いたまま離れないでいる犬の胴体の両脇からブレードで串刺しにすると、ジャックは一気に切り離した。
「ハナさーん!今、助けに行きますからね――!」
ブレードを振り上げて雄叫びを上げたジャックの隣に、キキがいつの間にか立っていた。
「気遣いは無用よ、ジャック。さっき、全部片付けたところだから」
「へ?」
ジャックの目に映ったのは、ハナが十字に切り刻んだティンダロス三匹の死体だった。
「身体の痛みも引いたし、そろそろ戦闘に復帰するか」
ダンは半壊したビルの後ろから這い出して、ガルム2を立ち上がらせた。
『百メートル上空ニ未確認飛行物体発見。時速五十メートルデ自機スーツノ半径三十メートル内ニ接近中』
モニターの警告に、ダンは頬を引き締めた。
「もしかしてドラゴンか?」
急いでスーツの人工眼を空に向けると、確かに奇妙な物体が空を飛んでいた。
翼はなくドラゴンよりもかなり小さい。
どう見ても恐怖のアメリカ生体兵器とは程遠い物体だ。
ダンは次第に近づいてくる物体をぽかんと眺めた。
「何だあ、あれ?」
人工脳も解析不能との表示に首を傾げていると、突如、コクピットに警戒音が鳴り響いた。
『危険。未確認飛行物体ガ四十二・五ノ角度デ落下開始。当機トノ衝突率百パーセント。速ヤカニ回避セヨ』
「え!ここに落ちてくんの?」
ダンが慌てて飛び退くと、数秒後にガルム2の立っていた場所に巨大な物体が激突した。
落下の衝撃で地面が陥没し、物体がバラバラに砕けて飛び散る。
いくつもの破片がガルム2に弾け飛んでくる。大きな塊がガルム2の上半身にぶち当たると、スーツの人工脳の音声モニターがけたたましく喋り始めた。
『未確認物体ノ解析終了。生物由来ノ有機物を確認。哺乳類八十パーセント、爬虫類十一%、両生類九パーセントノⅮNAを検出』
「…え、えっ?」
何やら異様な感触に、ダンはスーツに人工眼を下に向けて恐る恐る覗き見た。
ガルム2の胸の甲冑に、半分潰れた巨大な犬の頭がべったりと張り付いている。
「うぎゃああああっ」
断末魔のような悲鳴を上げながら、犬の頭を引っ掴むと夢中で道路に放り投げた。
その後、急いでイヤホンのスイッチをオンにする。
「ダン、どうしたの?」
全身から冷や汗を噴き出しているダンの耳に、ハナの涼やかな声が入ってきた。
「ハ、ハ、ハ、ハナさん!でっかい犬が二匹、空から降ってきましたあぁっ!」
「あ、それ、アメリカ軍が開発した犬型生体兵器よ。ジャックが空に放り投げたのがガルム2の近くに飛んで行っちゃったのね」
「犬型って、アメリカ軍はドラゴンの他にも別な生体兵器を開発してたって事ですか?」
こんな怪物にプロシアの部隊が襲われたらひとたまりもない。
ダンは驚いた表情で巨大な犬の死骸を見つめた。
「ええ、そうよ。モルドベアヌ基地襲撃時に、同じ生体兵器と交戦したわ」
さらりと宣うハナに、ダンが顔を顰めた。
「しかし、こんな恐ろしい兵器を居住区に放つなんて信じられに。軍事同盟軍は民間人の命を完全に無視していますよ!」
「彼らがエンド・ウォーの災厄のような戦争をこの地で望んでいるとしたら、人の命を気にすると思う?」
「…思えません」
ぎりっと奥歯を噛みしめてから、ダンは唸るような怒声でハナに返事した。
「そう。だから、ここで、私達がロシア軍の侵攻を食い止めなくてはいけないの。ダン、ガルム2は戦闘に復帰できるかしら?」
「できます」
ダンはしっかりと頷いた。
「単体で戦うのは不利だわ。ダン、早く私達と合流して」
「了解です」
ハナとの交信中にガルム2がキャタピラの音を捉えた。戦車がこっちに向かって来るのだ。
「敵か、それとも味方の戦車か」
ガグル2を半壊したビルの陰に隠して様子を窺う。
戦車が轟音を立てながら現れた。長い隊列が、道に落ちているティンダロスの頭を踏み潰していく。車体に描かれたマークは赤のペンキで描かれた鎌で全て統一されていた。
「これ全部が、ロシアの戦車なのか?」
途切れることのない機甲車両の大行進を目の当たりにして、ダンは戦慄した。