ウィーン市街戦・3
ドナウ運河の橋梁を破壊しようと中央に爆弾を仕掛けていたプロシア歩兵の一人が、首を押さえて仰向けに倒れた。
仲間を助け起こそうとする隣の兵士の頭部からも血飛沫が上がる。敵に狙撃されても橋の上では身を隠す場所もない。
運河の外側まで進行してきたロシア軍の攻撃によって、橋の上にいる兵士全員が急所を撃ち抜かれ射殺された。
「くそっ!ロシア軍の奴ら、狙撃兵を配置しているぞ。仕方がない。重機関銃で爆弾を爆破させよ」
上官の命令に、兵士が悲痛な表情で神に祈りを捧げながら味方の死体に重機関銃の引き金を引いた。
十二・七ミリの機関砲弾が死体を貫通して爆弾に命中し、橋の真ん中が粉々に吹っ飛んだ。
「よくやった。すぐにこの場から離れるぞ!」
上官である軍曹が腰を浮かせた途端、敵の戦車隊から撃ち込まれた砲弾が彼の頭に着弾した。
軍曹は消し飛び、彼の近くにいた数人のプロシア兵士の身体もバラバラになって、周辺に血肉を飛び散らせた。
「橋を破壊するのに躍起になっているな」
ドナウの外側からビノクラーを両目に当てたロシア軍少尉が面白くなさそうに呟いた。
「それはそうでしょう。我々が運河を渡れば、後に配置した自動化戦車がウィーンを徹底的に破壊する。市街地はただの瓦礫の山になる。それにプロシア第二首都を陥落させれば、主要道路を使ってプロシア本国まで一気に進軍できますからね」
「そうだな。ふふん、プロシアの貴族らめが。属州から富を吸い上げる為に作った輸送道路が仇となったな。この道はベルリンに一直線だ。北上されたらどうなるか、さすがに気が付いた頃だろう。奴ら、上を下への大慌てだろうさ」
少尉は愉快で堪らないと、笑い声で腹を上下に揺すってから、軍曹に次の命令を下した。
「確保した橋を機甲歩兵に防御させろ。ウィーン市街に戦闘車及び戦車隊で進攻を開始する」
「了解しました(イェスチ)、少尉」
軍曹が歩兵戦闘車の脇で待機している部隊に向かって手を振った。
機関銃を構えた機甲歩兵が橋を渡って配置に付く。
プロシアからの攻撃はなく、ロシア軍はドナウ運河の橋を悠々と渡り始めた。
「戦車隊は一斉に前進し、二階以上の建物は全て破壊せよ!」
橋の袂に待機している戦闘車のハッチから少尉が大きな声を張り上げた。
戦車は縦列で次々とウィーン市街に侵入すると、戦車砲を建物に向けて無差別に砲撃を始めた。
轟音が切れ目なく続き、ウィーンの一等地に並ぶ荘厳な建物が見るも無残に崩れていく。
街の中心には人影はなかった。ウィーン郊外にロシア軍が侵入したのは数時間前。その間、中心部に住む裕福な上級市民は大多数が逃げ出したようだ。
「何の抵抗もないとはな。気抜けしちまうぜ」
戦車の中でロシア軍の砲手が笑いながら砲撃を繰り返した。
「おい、後続の戦闘車から連絡が入ったぞ。十メートル前方の十階建てビルの上で何か光ったと…」
車長は言葉を続けることが出来なかった。自分の搭乗する戦車が砲塔の真上にロケット弾を叩き込まれて爆発したからだ。
積載している装薬に誘弾したロシア戦車が内部爆発を起こした。砲塔が派手に吹き飛んで、自らが破壊した建物の屋根に鎮座する。
「主砲の完全死角に敵発見!ビルの屋上にいるぞ!」
先導車が破壊され、後続の戦車と戦闘車が慌てて操向レバーを切った。
右に左に進路を変え、ヘリンボーン・フォーメーションで崩れた建物を遮蔽物にして敵の攻撃を躱そうとする。
戦車隊の模範的な行動が敵の思う壺だと理解するのに数秒もかからなかった。
崩れたレンガの建物の陰から巨大な何かが立ち上がった。
両手を振り二本足で移動する姿はまるで人のようだ。
中世の騎士のような甲冑が巨体を覆っている。黒一色の甲冑が右手に持つのは、超大型の機関銃だ。
「あれは、何だ?!」
戦車の中のロシア兵士が一様に目を剥いてモニターを凝視するのは、ガルム1の姿だった。
「うわあああっ」
悲鳴を上げながら砲手が主砲をぶっ放す。
自分に向かった飛んでくる砲弾を、ガルム1は人の目視では確認できない速さで回避した。
「あいつ、戦車の砲弾を避けたぞ!!」
戦車の中の車長と操縦士、砲手が茫然とする。
砲弾を避けたガルム1は、建物の裏に隠れている戦車と戦闘車に機関銃を向けてトリガーを三度引いた。
戦車と戦闘車が一気に爆発し、先陣を切ってウィーン市街に侵攻したロシア戦車隊の四車両はあっという間に全滅した。
黒い噴煙が縦に数本、空に向かって伸びていく。
「街の中心部で戦闘が始まったな」
戦車の砲塔のハッチから頭を突き出したヘーゲルシュタインはビノクラーを両目に押し当てた。戦車の操縦席から兵士が大声を放った。
「少将閣下、ブラウン中佐が到着されました!」
「そうか」
下を見ると、ヘーゲルシュタインの乗った戦車に軍用ジープが横付けされていた。
後部座席から出てきたブラウンが、戦車に乗っているヘーゲルシュタインを仰ぐように敬礼した。ヘーゲルシュタインもブラウンに軽く敬礼を返してから戦車を降りた。
「ウィーン市街が戦場になっていますね」
立ち上る噴煙を鋭く睨むブラウンに、ヘーゲルシュタインが厳しい表情で頷いた。
「ロシア軍戦車隊の猛攻は我々の予想を上回っている。だが、生体スーツが到着したからには敵の快進撃もここまでだ。そうだろう、中佐?」
「はい。これ以上、奴らの好き勝手にはさせません。それで、少将殿」
ブラウンはヘーゲルシュタインをじっと見据えた。
「ウィーン市街の中央に住んでいる住民達はどうなっているのでしょうか。民間人の犠牲は極力避けなければなりません」
「うむ。それについては朗報があるぞ。市街地に住む上級市民は戦火に巻き込まれないように、一人残らずアムシュッテンに避難させてある。お前の妹と子供達もだ」
だから躊躇することなく戦えと、ヘーゲルシュタインの瞳が語っている。
「ブラウン中佐、生体スーツが援軍に来たからには、連邦軍は無敵だ。我々はノイシュタットまで後退し、プロシア本国にロシア軍が入り込まないように全ての道を封鎖し、後衛陣地を張り予備隊として待機する」
「分かりました。しかし閣下、ロシア軍特殊部隊がこの地に入り込めばいくら生体スーツでも掃討には限界がある。最低でも戦車二両、戦闘車一両と、三個小隊を私にお貸し下さい」
「了承した。それでは中佐、君が希望した通りの部隊を与えよう」
ヘーゲルシュタインは戦車二両、戦闘車一両、対戦車小隊と迫撃砲小隊各一個をブラウンに渡すと、大隊をノイシュタットに向けた。
「酷えなあ。大隊の戦車戦闘車は百両は下らないのに、最小限の部隊しか残してくれないなんて。中佐、連邦軍のお偉いさんていうのは、いつもあんなにケチなんですか?」
マディが首を傾げてブラウンに聞いてくる。
いかにも傭兵らしい率直な物言いに、思わず吹き出しそうになるのをブラウンは堪えた。
「ヘーゲルシュタイン閣下にお考えがあってのことだろう」
(百両の戦車大隊を予備に回す、か。一体、何が絡んでいるのか。金か、政治か権力か?それとも…)
ブラウンは左右に軽く首を振ると、自分の部隊に命令を出した。
「ここでは戦闘状況が見えない。ノイバウまで前進するぞ」