ウィーン市街戦・1
「ウィーンが戦場になっているだと?!」
想定外の話に耳を疑ったブラウンは、思わずスピーカーを怒鳴りつけていた。
「ちょっと!ロシア軍にウィーンに侵攻されたって、何でそんなことになってんの?!ポーランドの反勢力ってなんなのよ?」
ミニシャもスピーカーに向かって大声を上げたが、砂嵐状態になった音声にいくら聞き耳を立てても何も分からない。ブラウンはミニシャとチームαの面々に説明し始めた。
「反勢力か。ウィーン一派が武装してプロシア政府に反旗を翻したのかも知れないな。ポーランド州に広大な直轄地を持つハプスブルグ家を筆頭に、彼の地を支配する有力者がプロシアからの独立を望んでいたのは周知の事実だ。ロシア侵攻を好機と見たハプスブルグ家が率先して動いたと見ていいだろう」
「中佐はポーランド州がロシア軍に与したとお考えなのですか?」
動揺しているのを見せまいとして腕を組み下を向くブラウンに、ハナが質問をぶつけてくる。
ブラウンの様子に変化を感じたのだろう、無言で見つめてくるダガーから目を逸らし、ブラウンは軽く咳払いをしてからハナに答えた。
「そう考えて差し支えないだろう。アウェイオン戦で大敗した連邦軍は軍事同盟軍、いや、ロシアにポーランド分割を持ち掛けられた。当時の首相だったハインラインは、プロシア本土を守る為にウォシャウスキーに譲歩して、ポーランドの一部をロシアに差し出す案を議会に提出していた。それに怒り狂ったハスプブルグ家がウォシャウスキーと裏で取引したに違いない」
砂嵐状態だったスピーカーが、突然、明瞭に喋り出した。
「ウェルク・ブラウン中佐、こちら共和国連邦副参謀のノイフェルマンだ」
「ノイフェルマン閣下!」
思いもよらぬ人物の登場に、執務室の一同は緊張に包まれた。
「中佐、ヤガタは守り切ったようだな。さすが、プロシア軍一の知将と謳われる人物のことはある。誇りに思うぞ」
スピーカーから流れる声に、ブラウンが敬礼する。後を追うように、ダガー、ビル、ハナ、リンダ、ダンとケイが右手をこめかみに当てた。ワンリンがその様子を目をぱちくりさせながら眺めている。
「勿体なき賛辞を頂き、恐悦至極に存じます」
「それで、中佐、先ほどの応援要請だが、すぐに生体スーツをウィーンに向かわせて欲しい」
冷静な口調だが、ノイフェルマンの声は深刻だった。
「君も知っての通り、ロシア軍はポーランド州とウクライナの国境付近にあるラヤスクに戦車を結集させていた。我々はポーランド州とスロバキア州の国境沿いに三個中隊を待機して様子を窺っていたのだが、ロシア軍はポーランド州の幹線道路を横断して、スロバキア州、…ここはプロシア領であってもポーランド州の影響下にある州だからな…そこから一気に南下してウィーンに侵攻を開始した」
信じられない不測の事態に、皆が息を飲んだ。
「現在、ウィーンの街は成す術もなくロシア軍に蹂躙されている。ウォシャウスキーが直接指揮を執り大隊を動かしているが、ロシアの戦車に苦戦を強いられている。それで指名付きで援軍を要請してきた。そう、君達をだ」
「ロシア戦車は旧態依然の代物だ。プロシア国防軍には人員装備共に完全充足した最新鋭の戦車部隊があるのに、何故、ウィーンに侵攻を許したのです?!」
プロシアの最高司令官ですら歯に衣着せずに舌鋒を放つミニシャに、ノイフェルマンが低く唸った。
「それは戦域での話だ。彼らは最新式の戦車を極秘に開発していたのだよ。我々連邦軍よりも高度な戦力を保有していたのだ。戦車だけでない、未確認ながら極めて殺傷能力の高い武器の存在も報告されている。このままだと、ウィーン市街の壊滅は時間の問題だ」
「ウィーンが壊滅?」
ブラウンの目の前にエリカの顔が浮かんだ。
(エリカ、まさか…)
言葉を失っているブラウンの前に、ダガーが滑り込んだ。スピーカーの前に立って即座にノイフェルマンに回答した。
「了解いたしました。副参謀閣下、直ちに生体スーツをウィーンに出動させます」
「うむ。頼んだぞ」
ノイフェルマンとの会話が終わった後も、ブラウンはスピーカーを凝視していた。
いつもと様子が違うのに気が付いたミニシャが心配そうに声を掛けから、ブラウンの腕をそっと掴んだ。
「大丈夫かい、ウェルク。顔色が悪いよ」
「あ?ああ。すまん、貧血だろう。少しぼんやりした」
貧血と聞いてミニシャの顔が強張った。
「貧血って、ウェルク、何を言っているんだい!君はハンヌに脇腹を銃で撃たれて、かなり出血したんだぞ。そのうち熱も出てくる。いくらガタイがいいからって、これ以上無理して動くと大変なことになるよ」
ミニシャに呼ばれたビルがブラウンの両腕を掴んで椅子に座らせた。
「中佐はヤガタで休んでいて下さい。俺達だけでウィーンに応戦に行きます」
「指揮は誰が執るつもりだ?副参謀の話を聞いただろう。ロシアは高度な戦力を持っていると。いくらスーツが優れていても、彼らの戦闘能力を侮ってはならないぞ。私が行かないで誰が行くというのだ」
ダガー隊の皆がミニシャに目を向ける。ミニシャは萎れた表情で力なく項垂れた。
「君達も知っての通り、私に戦闘指揮の能力はないよ。それも市街戦なんか到底無理。基本プログラム教育すら受けていないんだから」
「やはり私が行くしかないな」
そう言ってブラウンはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「今からダガー隊チームαをウィーン応戦隊とヤガタ防衛隊の二つに編成する」
編成と聞いてハナが挙手した。
「中佐、戦域では、ロシア軍戦車隊は全滅し、アメリカ軍も相当深い傷を負って撤退していきました。傭兵部隊は機能しています。生体スーツによるヤガタ防衛は不可欠とは思えませんが」
「私も、ここ、限定戦域での戦は終了したと考えている。現にロシア軍の行動がそれを示しているからな。ただ、気になるのはアメリカ軍だ。彼らがどう動くのかが予測できない。ワンリン博士、貴方ならどのように考えますか?」
突然、意見を求められて驚いたワンリンだったが、数秒ほど目を宙に泳がせてからぼそぼそと喋り出した。
「軍曹、さっきトランシルバニア・アルプス・アメリカ基地にスーツが侵入して地下発電所を破壊したと言っていたな」
「そうです」
ワンリンの問いにダガーがしっかりと頷いた。
「ふむ。それが真実ならば、彼らは地下発電所の修復に追われているだろう。アメリカ基地は山脈の岩盤内部を削って作られた要塞だ。電気が十分に使えないとなると、換気システムと地下水を汲み上げるポンプが一度に止まってしまう可能性がある。そなうると基地は真っ暗な穴蔵になって、人の住める場所ではなくなってしまう。こんな土漠での戦争などしている余裕などない筈だ」
「そうですか。ならば、ヤガタ防衛に配置するスーツは一体でよしとするか」
「だったら、ケイ、君が残れ」
ブラウンの提案にミニシャがケイを指差した。
「フェンリルの人工脳の暴走で、君の脳と神経は大分弱っている。回復していない身体でフェンリルと同期するのは尚早だ」
「俺はそうは思いません」
ケイは真剣な眼差しをミニシャに向けた。
「何でだい?」
驚いたミニシャがケイを見つめた。それは他のチームαも同じだった。
「万が一アメリカ軍が攻めてきたら、弱っているパイロットが操縦するスーツ一体では対処出来ない可能性があります。防衛に残すなら一体でも十分に戦えるスーツにしないと」
「そんなこと言ったって、ケイ、君はまだ十分に体力が回復していないじゃないか。ヤガタからウィーンまでの距離は四百キロはあるんだぞ」
「俺はともかくフェンリルは野生の狼だ。あいつの人工脳も生体スーツの身体も、走るくらいならどうって事ありませんよ」
「そうは言ってもねえ…」
呆れたミニシャとケイの決意を固めた表情を見比べていたブラウンが、にやりと笑った。
「いやいや、コストナーの意見も一理あるぞ」
「ウェルク、あんたまでケイの屁理屈に同意するのかい?」
憮然とした表情のミニシャにブラウンはまあまあと手を振ってから、チームαに指示を出した。
「私もワンリン博士と同意見ってことさ。アメリカ軍がヤガタに攻めてくるとは思えない。だが、万が一という事もある。やはり一体のスーツに残留して貰うとしよう」
ブラウンは目の前に居並ぶダガー隊を見渡してから、一人の人物の顔に目を据えた。
「リンダ、君にその任務を命じる。君はスーツの優秀なパイロットだが、それ以上に優れた看護師でもある。基地には負傷した兵が多くいる。彼らの手当てをしてやって欲しい」
「了解しました」
リンダはぴたりと両脚を閉じて背筋を伸ばし、ブラウンに敬礼した。
「ミニシャ、君も留守番だ。ワンリン博士と共に負傷兵の面倒を宜しく頼む」
「おっけ、ウェルク。あんたも絶対に無理はするなよ」
ミニシャも肘を折り曲げて、ぴんと伸ばした指先をこめかみに当てた。
「わ、私は脳科学者だ。人の指にバンドエイドを巻いたこともないのに、負傷兵の手当てなんて出来ないぞ」
「ワンリン博士、私が指導しますから大丈夫ですよ」
狼狽えるワンリンにリンダが優しく微笑むのを見て、ダンが人知れず悔しげに歯ぎしりした。
「チームα、すぐに出撃準備にかかれ。準備が終わり次第、各自速やかにスーツに搭乗しろ」
ブラウンの命令を受けたダガー隊は、執務室のドアを大きく開け放って、駆け出した。