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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第五章 武器を抱いて炎と踊れ
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片思い


 ミニシャが出て行ったドアを暫し眺めてから、ケイはエマに視線を戻した。

 瞬きすることなく薄く開いた目があまりにも痛々しい。美しい緑の瞳を乾燥から守るために、ケイはエマの瞼を指でそっと撫でた。

 眠っているようにしか見えないエマの白い頬に、ケイは自分の掌を押し当てた。

 エマの頬は冷たかった。エマの腕の静脈に差し込まれた針に目を移した。

 テープで固定されている点滴針から細いチューブを辿(たど)って、金属のフックの先にぶら下がっている点滴袋を見上げる。


「エマ…」


 自分の部屋に尋ねて来た時のエマの表情を、ケイは思い出していた。

 零れ落ちそうな大きな瞳で、下からすくい上げるように自分を見た、あの表情を。


「可愛かった」


 あんまり可愛いので、どうしていいのか分からなかった。

 顔を真っ赤にしながらベッドの端まで腰をずらして逃げるしかなかった自分は、とんでもなく滑稽だったろう。


「だってさ、女の子に肩と肩が触れるほど接近されて、あんなことを言われたのは…俺、初めてだったし」


 ねえ、ケイ。お・ね・が・い。


 あの言葉で、魔法に掛かったようにぼんやりしてしまった。

 そうだ。あれは魔法だ。

 あの呪文のせいで、ケイは今まで誰にも話した事のない自分の身の上をエマにべらべらと喋ったのだから。


「…女の子って、ああやって男を思い通りにするんだな」


(君はエマが好きなんだよ)


 唐突に、ミニシャの言葉が耳元に甦り、ケイの頬が熱くなった。


(そうです、ボリス大尉。俺は、エマが好きなんです)


 自分の心に気付かなかったわけじゃない。

 だけど。


(エマには好きな人が…いる)


 貴族の邸宅で出会った青年将校。

 たった一度だけしか会ったことのないその男を、エマは三年も想い続けている。


「エマが一瞬で恋に落ちるくらいだから、そりゃあもう、いい男なんだろうな」


 ふう、と溜息を吐いて、エマの顔をじっと見つめる。


「エマの好きな将校の人、雰囲気が軍曹に似ているのかな」


 ダガーを尊敬していると言ったエマの頬が薄紅色に染まるのを、あの時、ケイはしっかりと目に焼き付けていた。

 ちりりと胸が痛む感覚と一緒に。


「だったら、俺なんかが太刀打ちできる相手じゃない、よな」


 溜息が再び口から洩れた。


「それでも、俺は」


 エマが好きだ。大好きだ。

 口に出さない言葉で心の中が氾濫しそうになる。


「君を守りたい。エマ、俺は、君を守れるかな」


 ケイはエマの指を自分の手で包み込むと、そっと握りしめた。

 エマの細い指先がぴくりと動いた。

 ケイは驚いてその手をしっかりと握りしめた。


「エマ!分かるかい?俺だ、ケイだよ!」


 声を張り上げてエマの名を繰り返し呼ぶ。どんなに呼び掛けても、エマは目を閉じたままだった。

 握りしめた手もさっきのような反応はない。

 ケイの目から溢れた涙が二粒、エマの頬に落下した。


「エマ、俺は君を守る。君の意識が戻るまで、目を覚ますまで、俺は君を守り抜く。だから、今は、ゆっくり休んでいてくれ」


 自分の落とした涙を、ケイはエマの頬から指の腹でそっと拭った。

 けたたましいベルの音が病室の外で鳴り響くのを耳にして、ケイはエマから顔を上げた。


「何だ?」


 基地内で非常事態が起きたようだ。

 ケイは慌てて耳元のイヤホンをオンにした。すぐにリンダの緊迫した声が飛び込んでくる。


「ああ、ケイ!無線が通じて良かった。あなた今どこにいるの?」


 いつになく厳しい声に、ケイは驚きながら答えた。


「えっと…部屋に、います」


 エマの病室だと言えなくて、少し躊躇してからケイはリンダに返事した。


「大尉からの命令よ。白銀色の人体装着型スーツを見かけても、手出し無用で通過させるようにって」


「人体装着型スーツ?一体何があったんです?」


 ケイの問いに答えるリンダの声が一層厳しくなった。


「ユラ・ハンヌが中佐を銃撃して基地からの逃亡を図っているのよ」


「ええっ、あのユラ・ハンヌが!どうしてです?」


 息せき切って尋ねるケイに、リンダは口速(くちばや)に説明した。


「ハンヌがヤガタに来た理由はヤガタを援護する為ではなかったの。チームαの生体スーツのデータを手に入れるのが本当の目的だったのよ。私達に協力して油断させてね」


「何だって!それで、スーツのデータはどうなったんですか?」


「奪い取られたわ」


 悔しさが滲むリンダの声が耳に届いた。ケイは思わず声を荒げた。


「そんな。だったら、早く取り返さなくちゃ」


 ケイは、拳銃を装備した腰のホルスターに手を置いた。


「だめよ」


 リンダにぴしゃりと言われて、ケイは口を噤んだ。


「大尉は追撃は許可していない。ハンヌは特殊な金属で作られたパワードスーツを着装していて、拳銃のような武器では全く歯が立たないわ。スーツには私達のスーツと同じく両手の甲にブレードが仕込んであるから、生身の兵士が攻撃しても返り討ちにあうだけよ。我々が手出ししなければ、ハンヌは攻撃してこない。大人しく道を開けて彼を通すしかないの」


「だけど…」


「ハンヌはヤガタ基地から速やかに退出させる。これは、ヤガタ基地司令官代理ボリス大尉の命令よ。だから、ケイ、次の指示があるまで絶対に部屋から出ちゃだめ」


 リンダの音声は、そこでぷつりと切れた。


「くそ!あのチビ、連邦軍の味方じゃなかったって?」


 ケイはエマの広い病室を行ったり来たりを繰り返しながら呟いた。


「確かにそうだ。あれはどう見ても味方の目じゃなかった」


 ゼロ・ドックで自分を見たハンヌの目が恐ろしく冷たかった。

 敵意と猜疑心。その言葉がぴったりと当てはまる目付きだった。

 そわそわしながら病室のドアを見た。扉の向こうからは何の音も聞こえない。

 この病室は上級貴族用だ。基地の中でも一番安全で静かな場所に作られて、基地の出入り口からはもっとも遠い場所にある。

 だからハンヌは、この通路を逃げ道には使わない。そう確信して、ケイはそっと扉を開けてみた。

 扉を開けたケイの目の前に、白銀に光り輝く甲冑が立っていた。

 まるで、天空から大天使が降臨したかのような荘厳な姿に、ケイは息を飲んだ。


「見つけたぞ、ウルフ・ボーイ」


 甲冑が自分の胸元を押すと、兜が折り畳まれてハンヌの顔が現れた。


「ユラ・ハンヌ!お前、どうしてこんな所にいるんだ?」


 予期せぬ来訪者に驚愕したケイだが、すぐに病室から出ると後ろ向きで扉を閉めた。


「俺がどうしてこんな所にいるかって?それはきさまに用があるからだ」


 ハンヌはブレードの切っ先をケイの喉元に突きつけた。



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