絶対者
ガグル社私設軍隊曹長ブラン・オーリクはただ一人、サル型生体スーツ(G―1)を駆ってアメリカ軍モルドベアヌ基地へと向かっていた。
トランシルバニア・アルプスの裾野に広がる広大な森林地帯に入ってからは、黒く茂った針葉樹林しか目に映らない。
「先ず、プロシア軍の所有する生体スーツにアメリカ要塞急襲の先陣を切らせる。敵軍の意表を突く為に、あいつらには最難関ルートを行って貰う。お前達には、針葉樹林が広範囲に広がる敵の監視の手薄なコースを用意した。楽なルートだぞ」
ハンヌはそう言ったが、体長が十メートルもあるG-1が森の木々を薙ぎ倒さないようにしながら進路を確保するのは容易ではない。
それでも、崖の岩肌を這うよりはずっとましだ。
プロシア軍スーツ隊の任務はアメリカ軍基地の撹乱だ。そしてオーリク部隊は、ガグル社から遁走した五人の科学者を粛正する命令を受けている。
G-2、G-3が四足の機械兵器に破壊されてしまった今、G-1だけで敵地進攻するのはかなり無謀な計画である。
だが、ハンヌの命令は絶対だ。何の成果も上げられずにガグル社に戻るとなれば、私設部隊曹長の地位ははく奪され、一兵士に戻されるのは確実だ。
(そんな屈辱は俺のプライドが許さない)
負け犬になるつもりは毛頭ない。
だから、ハンヌの捨て駒になる覚悟で、アメリカ軍基地に向かっていた。
オーリクは、フランス共和国領とルクセンブルグの国境沿いの山間にある小さな村に生まれ育った。
病弱の母と二人で、小さな借家住まいの極貧の生活をしていた。
薪拾いや牛の世話など、近隣の村人に頼まれることは何でも引き受けて、家の生計の足しにした。
十五の時に母が病いで死んだ。
母に飲ませる薬や食べ物を買う為に、町の高利貸しから借金を重ねていたオーリクは、フランス人傭兵部隊に売られた。
自分が傭兵部隊に売られたことに不満はなかった。
家が貧しくて教育を受けられない若者にとって、ロング・ウォーの戦場は、実力さえあれば立身出世が可能な場であったからだ。
だから、どれだけ過酷な命令も順守し遂行して、オーリクは地位を築いた。
ルシルとロラもオーリクと同じような境遇の若者だった。
彼らは十三の時に傭兵見習いとしてオーリクの下についた。オーリクは彼らを鍛え上げて一人前の兵士に育てた。
それから七年後。
ルシルとロラはオーリクと一緒に、傭兵団からガグル社私設軍隊に引き抜かれた。
幼馴染達は互いの手を取り合って嬉しそうにはしゃいでいた。その後は喧嘩ばかりしていたが。
オーリク達が、ガグル社私設軍に引き抜かれたのには理由があった。
ユラ・ハンヌによって新しく開発された生体スーツの人工脳とパイロットとなる人間の脳を同期させる実験が開始されたからだ。
ガグル社私設軍隊を支配し統括するようになったハンヌの実験は過酷なものであった。
野生のチンパンジーの脳幹細胞から作られた人工脳と同期出来なかった兵士は、精神に異常を来して、皆、廃人になった。
実験台になるのを恐れて、ガグル社を逃げ出す私設軍兵士が続出した。それでハンヌは他から兵士を調達する為に、外国人傭兵部隊の兵士を金で集めることにしたのだ。
大金に目が眩んだフランス傭兵部隊の長達が、戦闘能力の高い兵士達を移籍という名目で、ガグル社に売り払ったというのが真相だった。
オーリクがそのことを知ったのは、少なくない数の傭兵が実験の犠牲者となった後だった。
幸運にも、オーリクとルシル、ロラの三人が生体スーツの同期に成功したことで、ハンヌの人体実験は終了した。
実験に使われる予定だった傭兵出身の兵士は、心底安堵したと聞いている。
生体スーツの威力は素晴らしく、戦車の火力を遥かに凌駕した。
実験で失われた数多くの兵士の命は、選ばれし者に捧げられた。
オーリク、ルシル、ロラの三人に。
自分達は無敵だ。ブラン・オーリクは、そう信じて疑わなかった。
「ルシル…ロラ…」
オーリクはG-1の操縦席の中で二人の名を呟いた。
黒の四足機械兵器の戦闘能力は凄まじかった。あっと言う間に切り刻まれてたG-3の力の差は歴然としていた。
G―2単体で持ち堪えられる時間も長くないだろう。それはルシルも承知で、機械兵器に向かって行ったのだ。
他でもない、オーリクにメインプランを遂行させる為に。それと、ロラの復讐の為に、ルシルは自らを犠牲にしたのだ。
「ルシル、本当にすまない」
オーリクはきゅっと唇を噛み締めると、G-1にルートの計算を瞬時に行わせながら針葉樹の間を慎重にすり抜けた。
木々だけしか映らないモニターの画面に、突如、四角い平面が現れた。
平面は四方が五メートルの正方形。その中央に人が一人、立っている。
「人間?こんな場所にか?」
それよりも、レーダーに映っていた針葉樹林が一瞬で消えた事に驚愕したオーリクは、すぐにG-1を停止させて人の映像を拡大した。
立っているのは男だった。
歳は五十後半くらい。背が高くがっしりとした体付きが軍人を思わせる。生体スーツ(G―1)を見つめる目は威厳に満ち溢れ、恐怖の色は微塵も浮かんでいない。
(誰だ?)
この地はアメリカ軍の支配領域に近い。到底、味方とは思えない。
G-1に赤外線スキャンをさせると、男は銃器を帯びていなかった。だが、こんな森の奥に一人でいる人間が丸腰の筈がない。
(どこかに武器を隠しているに違いない)
オーリクはG―1に攻撃体勢を取らせたまま、相手の様子を窺った。
よく見ると、男は丈の長いゆったりとした上着を羽織っている。
(あの、ローブのような服は…)
その服装が、ガグル社の上級職が身に付けている衣服に酷似しているのに、オーリクは気付いた。
「ガグル社私設軍曹長、ブラン・オーリクだな」
男の高らかな声が、オーリクのイヤホンに響いた。
自分の名を呼ばれたオーリクは仰天した。
「俺の名を知っているのか?お前は誰だ!」
男はG―1に向かってゆっくりと歩き出した。
「私は、ファン・アシュケナジ」
「ファン・アシュケナジ…」
男の名を聞いて、オーリクは衝撃に息を飲んだ。
ガグル社に身を置く者なら、どんな末端の社員でも知っている、創設者の名だ。
「あなたが」
まさか。そう言い掛けた口を、オーリクは慌てて閉じた。
(あの壮年の男が、本当にファン・アシュケナジだとしたら)
すぐにアシュケナジの映像をG―1の人工脳で検索する。モニターに映ったアシュケナジの顔と、G―1の前に立っている男の顔が、ぴったりと重なり合った。
「こ、これは!」
データと目の前の男の容貌の全てが一致して、G―1の人工脳が本人と断定を下した結果にオーリクは驚愕した。
G―1の攻撃体勢を急いで解くと、飛び出るようにコクピットから降りた。アシュケナジの足元に駆け寄って地面に膝を付くと、オーリクは深く首を垂れた。
「大変ご無礼仕りました。私はガグル社私設軍曹長ブラン・オーリク。閣下自ら名を呼ぶべきもない身分の者にございます」
深々と頭を下げるオーリクに、アシュケナジは小さく頷いた。
「ハンヌが新しく編成した生体スーツの部隊の事は知っている。戦域での戦闘で、三体のスーツのうち二体もがアメリカ軍の機械兵器に完膚なきまでに破壊されたこともな」
(ロラだけでなく、ルシルも死んだのか)
青の戦域で死んだ傭兵は天国へ直行出来るという。
プロシア傭兵達が真顔で言うのを聞いた時には、下らない迷信だと思わず嗤笑した話を、今は信じたいと切に願った。
(ルシル、ロラ、)
手を震わせて地面を睨み付けているオーリクに、アシュケナジが静かに語り掛けた。
「ずば抜けた機動力を持っている生体スーツであっても、スーツの能力を上回る兵器があることを思い知ったろう。次の戦いでは心しておくように」
「は」
アシュケナジの言葉に、オーリクはきつく唇を噛み締めて頷いた。
「ブラン・オーリク。今からお前を私の直属の部下とする。よって、ハンヌの本来の任務は直ちに解除する。私の命令のみを絶対順守することを、ここで宣言せよ」
「えっ?!」
オーリクは伏していた顔を弾かれたように上げて、茫然とした表情でアシュケナジを仰いだ。オーリクの呆けた顔を見たアシュケナジが微かに口角を持ち上げる。
「まだ理解出来ていないようだな。教えてやろう。ハンヌの命令は、私とオーリク隊を引き合わせる為に作られた偽のミッションだ。戦域の戦闘で、スーツが一体しか残らなかったのは心許ないが、お前には三人分の働きを期待しよう」
自分を睥睨するアシュケナジの冷ややかな瞳からは、何も読み取れない。
(メインプランが俺とアシュケナジ様を引き合わせる為の偽りのミッションだったというのか。一体、何の為に?)
兵士の勘だろう、嫌な予感がオーリクの頭を過ぎった。
だが、ガグル社創設者本人からの命令は、私設兵のオーリクにとって神に啓示に近い。
「ブラン・オーリク、アシュケナジ様の為に、この身を捧げる事を、今、この場で誓います」
「それでは早速、我が為に働いて貰おうとしようか。ブラン・オーリク」
再び地面に額を擦り付けたオーリクに、アシュケナジは満足げに口元を綻ばせた。
「この世界を終わらせる為にな」
終
第五章へ続く
次回からは第五章に入ります。プロシア国防軍とロシア軍との激突開始です。
お久のヘーゲルシュタインおじさんとウォシャウスキーおじさんが出てくるよ。
宜しくです。