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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第四章 新戦争(ネクスト・ウォー)
162/303

世間体


「ケイ、どうして、お前だけ、正気でいられるんだよ?!」

 

 ダンが困惑顔で声を荒げるのを、ケイは大きく目を見開いて聞いていた。


「そんなの、俺にだって分からないよ。分かる筈ないじゃないか!」


 気狂い狼。

 フェンリルが陰で呼ばれる名をケイは何度も耳にした。そして、自分の顔を見る整備兵の目に複雑な色が浮かぶのも幾度となく目にしていた。

 この子もそのうちフェンリルに脳細胞を破壊されて死んでしまうだろうと、彼らがケイを哀れんでいるのは分かっていた。


「なあ、ダン。アシュルさんの他にも、フェンリルに狂い死にさせられた兵士っているんだろう?」


 ダンの両眼をじっと見据えて、ケイは質問した。


「いや…俺は、アシュルさんしか、知らない」


 ダンの視線があちこちに動いてから床に落ちた。その狼狽ぶりが、逆にケイの推測を確かなものにした。


しか(・・)?アシュルしか名前を知らないけれど、他にも死んだ兵士がいるって事か) 


 ダンはミニシャに口止めされているのだ。多分、チームαの全員が。

 それはそうだ。

 何人も死んでいると知ったら、いくらミニシャに脅されようと、牢屋にぶち込まれようと、すぐにその場から逃げ出したに違いない。

 皆が恐れるフェンリルに自ら搭乗しようとしたのは、ダガーくらいだ。


(そういえば、生体スーツ(リンクス)があるのに、軍曹は何でフェンリルに乗り込もうとしたんだろう)


 フェンリルから引きずり降ろそうとするブラウン中佐を、ダガーは鬼のような形相で殴り付けたのを思い出す。

 色んな疑問が頭に沸き上がる。それから、さっきの夢。


(夢だと思ったけど、あれはフェンリルの記憶だ)


 人間に家族を殺された、怒りと絶望の記憶。


(人間を憎悪するわけだ。フェンリルは自分の群れと家族を殺されたんだもの…)


 ケイはベッドの上に、ごろんと仰向けに寝転がった。

 深刻な表情で天井を睨みつけて一言もしゃべらなくなったケイに、ダンがしゅんとした表情になった。


「悪かったよ。俺、いつもの癖で余計なこと口走っちまった。ケイ、お前はフェンリルと相性がいい唯一のパイロットなんだ。フェンリルはお前を相棒と認めている。だからあの狼スーツはケイのことを食い殺すなんてことは絶対しないって、ミニシャさんが断言してた。だからそんなに怖がらなくても大丈夫…」

 

 突然、バンと大きな音を立ててドアが開いた。

 ケイとダンが同時にドアを振り向くと、よれよれの白衣を着たミニシャが立っていた。


「随分元気になったね。救急で運ばれて来た時とは大違いだ」


「はい。ボリス大尉に打って頂いた注射が効いたみたいです」

 

 冷静さを装おうと、ケイはベッドからゆっくりと上半身を起こした。それでも声が震えてしまう。

 あちこちに血が付着したミニシャの白衣を見て、救護室の床に無造作に転がされていた沢山の負傷兵の姿が脳裏に甦ったからだ。


「それは良かった」


 ミニシャは疲れ切った顔を微かに綻ばせた。その表情が、多くの兵士が死んだことを物語っている。

 包帯の巻かれたケイの頭部を凝視しながら、ミニシャは突き出した親指を部屋の外に向けた。


「ケイ、エマに合わせてあげるよ。私と一緒に来たまえ」


「本当ですか!」


 ケイに無言で手招きすると、ミニシャは踵を返して速足で廊下へ出て行った。

 ケイはベッドから飛び降りると急いでミニシャの後を追った。


「おい、ちょっと!待てよ、ケイ」


 ダンは大きく舌打ちすると廊下に飛び出し、ケイを追い抜いてミニシャの背中のすぐ後ろに付いた。


「ボリス大尉、俺、頭に大怪我しているケイを部屋から出すなって、伍長から命令受けているんです。見つかったら大目玉食らっちまう」


「大丈夫だ。伍長には見つからないから安心しなさい。私はね、さっきビルが自分の部屋に引きこもったのを確認した。今頃、素っ(マッパ)になって片腕立て伏せしている最中だと思うよ」


 全く表情を変えずにミニシャがとんでもないことを宣うた。

 ケイとダンが目を激しく瞬いて顔を見合わせてから、ミニシャに大声で聞き返した。


「片腕立て伏せ?」


「素っ裸で??」


「そう。ビルは落ち込むと、右と左ずつで二百回、合計四百回の腕立て伏せをするクセがあるんだよ。今回は、四百回で済むかどうか」


「あのう、申し訳ありません。大尉の仰っている意味が、全く理解できないのですが…」


 口を半開きにして言葉を失っているケイの脇で、ダンがミニシャに説明を求めた。

 ミニシャは軽く溜息を付いてから話し始めた。


「ビルはドラゴンとレミィを戦わせてしまった事を、とっても後悔しているんだ。エマに交戦許可を与えたのは彼だからね」


「ああ、それで」


 ミニシャの話にダンが悲し気に顔を歪めた。


「私だって上官だ。ビルの立場だったら、レミィにドラゴンを攻撃させるさ。アウェイオン戦の時よりも、ドラゴンが巨大化して力も強くなっていたなんて、我々には知る由もなかったんだ。連邦軍の最強の武器である生体スーツが破壊されてしまうなんて、誰が想像できたと思う?」


「そうかも知れませんが、俺達がもっと早く応戦できていれば、ドラゴンにレミィをあそこまで破壊されることはなかったし、アメリカ軍の戦闘データも奪われずに済んだんです」


 ダンは握った掌を震わせながら、悔し気に声を絞り出した。


(そうじゃない。俺のせいだ)


 ケイはミニシャとダンの顔にそっと視線を走らせてから、唇を噛んだ。


(俺がフェンリルの意識に飲み込まれさえしなければ、ドラゴンはフェンリルと戦い続けていた筈なんだ。エマをあんな酷い目に合わせることもなかった)


「まあ、そんなわけで。ダン、ビルの部屋に行って、あのマゾ野郎に腕立て伏せを止めるように言って欲しいんだ」


 ミニシャは困った表情をダンに向けた。


「まだ戦争は終わったわけではない。同盟軍が体勢を立て直して再びヤガタに攻め込んでくる可能性だってある。チームαに出動命令が下った時に、ビルに腕を疲労骨折されると困るんだよ」


「えええ~。俺が伍長の部屋に行くんですかぁ?勘弁して下さいよぅ!伍長の全裸なんて見たくないですよ。ケイに行かせて下さいよ」


 もの凄く嫌そうに顔を顰めるダンに、ミニシャが追い打ちを掛けるように言った。


「ケイは自分の部屋で休養しているんでしょ?そのケイがビルの部屋に行ったら、ちゃんと見張っていなかったって、ダンが大目玉食らう事になるんだよね?」


「うう、くっそ!何でこうも損な役回りばかり、俺に巡ってくるんだよ~」


 げっそりとした表情で地団駄を踏むダンを廊下に置いて、ミニシャとケイはエマの病室に向かった。


「ここだ」


 エマの病室の前まで来るとミニシャが足を止めた。

 ミニシャが病室の白い扉を開けるのを、ケイは固唾を飲んで見守った。。

 ケイの部屋の倍くらいの面積がある病室で、エマが一人、医療用のベッドに寝かされていた。薄い毛布の下からは細い管がいくつも伸びて、医療器具と繋がっているのが痛々しい。


「エマ!!」


 ケイはエマに駆け寄った。エマはケイの声にも全く反応を見せなかった。僅かに開いた瞼から緑色の瞳が覗いている。瞳は天井に向いたまま微動だにしなかった。白い肌に血の気はない。まるで等身大の人形のように見える。


「ボリス大尉!エマの、この状態は、一体…」


 血相を変えて自分に詰め寄るケイの肩を、ミニシャは()なすように軽く叩いた。


「そんなに取り乱す必要はないよ、ケイ。レミィは、あの子猫の人工脳は、野生狼であるフェンリルの人工脳とは違う。レミィは主人思いの飼い猫だ。脳神経を暴走させて、エマの脳を侵食するようなことは決してしない」


「なら、どうして、エマの意識が戻らないんですか?」


 落ち着いた様子のミニシャに苛立って、ケイは噛みつくような口調で尋ねた。


「ドラゴンにレミィの腕を()ぎ取られたからだ。レミィと同期していたエマは、レミィの人工繊維が切断される強烈な痛みを全身に受けてしまった」


 ミニシャは沈痛な表情で、エマの髪をそっと撫でた。


「これは仮説なんだがね。レミィは、肉体が耐えられないほどの激痛に襲われたエマの意識と、自分の人工脳の同期をシャットダウンさせて、彼女をショック死から守ったんだと思う。時間が経てば、脳の活動は通常に戻る。そうすれば、エマは必ず目を覚ます」


「本当に?」


「本当だよ。МRIで調べたら、彼女の脳には、出血などの重篤な損傷はどこにもなかったからね」

  

 ミニシャがしっかりと頷いた。ほっとしたケイは、改めてエマの病室に目をやった。

 病室の床には薄桃色の絨毯が敷かれていた。

 壁側には猫足のチェスト。その隣には優雅な直功を施された椅子が二脚並んでいる。チェストの上の花瓶には薔薇が活けられてあった。


「とても綺麗な部屋ですね。基地の病室じゃないみたいだ」


 高級な調度品を見渡しながら、ケイは思わず感嘆の息を漏らした。


「ヤコブソン家は準貴族だ。貴族としての地位は高くないが、かなりの財産家で高位の名門貴族の多くと懇意にしている。その中には政権や軍に直接口を出せる権力者もいるんだよ。プロシア軍としても、エマが二等兵だからって無下な扱いは出来ないのさ」


 ミニシャはケイに説明しながら、エマのベッドの脇にある最新の医療機器に目をやった。


「ケイ、兵士になったことで、エマが生家から絶縁されているのは知っているね。そうは言っても、ヤコブソン家が一人娘を見殺しにすることはない。そんな体裁の悪い事をしたら、家名に傷が付くからね。でも、彼女を傍で守る家族は誰もいない。父も母も兄達もね」


「それは…」


 ケイは、はっとした。

 名門侯爵家の年嵩の男と結婚させられそうになって、兵士になったエマの話を思い出したからだ。


「エマはプロシアの為に戦ったんですよ!それなのに、貴族の世間体の為だけに、エマの家族はエマを見放すんですか。そんなの酷い、酷過ぎる!」


 怒りで肩を震わせているケイの目に、うっすらと涙が浮かんだ。


「だから、ケイ、君がエマを守れ」


「え?」


 意外な言葉がミニシャの口から飛び出した。

 ケイは瞬きを忘れるほど驚いて、ミニシャを見つめた。


「あれ、やだなあ、気が付いてないのかい?私の観察眼が正しければ、ケイ、君はエマが好きなんだよ」


「ボリス大尉!い、いきなり、な、何を言い出すんですか?!」


 混乱して口が回らないケイを見て、ミニシャはにっこりと微笑んだ。

 だが、その瞳は何故か少し寂し気だ。


「ケイ、エマを宜しく頼むよ。大切にしてやってくれ」


「た、大切って、ちょっと、大尉、どこ行くんですか?」


 ミニシャは顔を真っ赤にしてベッドの脇に立ち竦んでいるケイに悪戯っぽくウィンクすると、身を翻して病室を出て行った。


 ウィザードオブクリスパー、№3を少し改稿しました。クリスパ―・キャス9という最初のゲノム編集技術が改良、開発されて精度が高くなったそうです。その新手法が「プライム編集」というそうで、まだ確立していない遺伝子治療の道を開くとか。

 で、そこら辺をちょっと追加してみました。文章は大して変わっていませんが。サプリ―ム編集は創作で作りました。ので、あしからず。

 すごいですね。ゲノム編集にムーアの法則が当てはまってしまったとしら、数十年後にはX-MENの世界が現実になるんですかね?ちょっと、怖い。

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