捕虜と裏切り者
ヤガタ基地にある地下の一室にブラウンは座っていた。
天井が高く、広い部屋の真ん中に、簡素な机が一つ置いてある。机を挟んで簡易椅子が二つ。その他には何も置いていない。
壁、床、天井の全てが灰色のコンクリートで覆われた、恐ろしく殺風景な空間だ。
ここがヤガタ基地の捕虜収容所の一室であり、尋問部屋だと聞けば、誰もが納得するだろう。
天井には監視カメラが四つ。カメラの他に取り付けてあるものを目の当たりにすれば、恐怖に身を竦ませる筈だ。
両手を後ろで拘束された痩身の男が、二人の兵士に付き添われてブラウンの前に連れてこられた。
「アメリカ軍の捕虜を連れてまいりました!」
兵士がブラウンに敬礼する。
「ご苦労。捕虜を椅子に座らせろ」
兵士は抵抗する捕虜を無理やり椅子に座らせると、椅子の背もたれの後ろにその両手を回して紐で乱暴に縛り付けた。
捕虜の男は不貞腐れた表情で、目の前にいるブラウンを睨み付けた。
「私はヤガタ基地司令官、ウェルク・ブラウン中佐です。貴方の名は、シン・ワンリン。アメリカ軍に所属する科学者の一人ですね」
「お前のような小汚い格好の人間に名乗るつもりなど、毛頭ないわっ!」
ワンリンがプイと横を向いて、口をへの字に曲げた。
「それは失礼。着替えている暇がなかったものですから。言わせて貰いますが、貴方も私と負けず劣らず酷い格好ですよ」
ブラウンは全身が煤だらけになったワンリンを、愉快そうに眺めた。
「お前達が指令コンテナに砲弾を撃ち込んだからだ!お陰で危うく死にかけた」
真っ黒な煤を顔に塗りたくったワンリンが、歯を剥き出して怒り出す。
「それは失敬」
ブラウンは苦笑しながら、自分の砂埃で茶色く変色した軍服を軽く叩いた。砂が机の上にパラパラと落ちるのを見たワンリンが思いっ切り顔を顰めた。
「黙っていても、我々は貴方の情報を掴んでいる。貴方は十年前にガグル社から逃亡した五人の科学者のうちの一人だ。アメリカ軍の庇護を受けて新兵器開発に携わってきた。どうですかな?」
「情報を訂正しろ、無礼者が!私の頭脳を他の奴らと一緒にするんじゃない。いいか、よく聞け。私は、て・ん・さ・い脳科学者、シン・ワンリンだ!」
ワンリンは吊り気味の目尻をもっと引き攣らせて、地団駄を踏んで喚きながら、がたがたと椅子を揺らした。
「その天才脳科学者のワンリン博士に聞きたいことがあるのです。教えて貰えますかね」
「何を聞きたいのか知らないが、手の拘束している縄を解け!お前ら、私が誰だか知っていてこの扱いか!この蛮人どもめがっ!私にこんな狼藉を働いて、ただで済むとは思うなよ」
「この状況でただで済まないのは貴殿の方だが?」
ブラウンは不気味なくらい穏やかな口調で言ってから、天井を指差した。
ワンリンが目を上に向けると、天井には長くて太い金属のパイプが吊り下げられていた。鉄の棒には鎖がぐるぐると巻き付けられてある。
「あの鉄棒と鎖が何の為に天井に備え付けられているか、お分かりかな?勿論、貴殿に逆上がりの練習をさせる為ではありませんよ。どんな格好で、あのパイプに縛り付けられたいですか?頭は上、それとも下がいいですかね」
顔を蒼白にしたワンリンが甲高い悲鳴を上げた。
「き、きさま、私を天井から逆さに吊るして、拷問するつもりか?!」
「場合によっては、そうなるかも知れません」
慇懃な態度を崩さないブラウンを見て、ワンリンは恐怖に震え上がった。
「捕虜を拷問するのは戦域協定違反だぞ。それに私は貴様らのような使い捨ての雑兵ではない。ガグル社出身の天才脳科学者だ。私が拷問で死んでしまったら、中佐、お前は国際法に掛けられるからな。縛り首か銃殺の極刑になるぞ」
「それはどうでしょうか」
ワンリンの脅しにブラウンは飄々とした声で返した。
「アメリカ軍の生き残りは博士を置いて撤退した。連邦軍の高射砲の攻撃で貴方が死んだと判断したからでしょう。アメリが軍が既に死んだと思っている人間を我々が拷問して葬り去ることになったとして、一体、どこから文句が出ると思いか?」
「うむむっ」
ワンリンは机に突っ伏すと頭を抱えて肩を震わせた。ぶつぶつと独り言を呟いていたが、おもむろに顔を持ち上げると、ブラウンに大声で言い放った。
「中佐、私と取引しよう!君が私を拷問及び殺害という暴挙に出ないと誓うのなら、私は知っている限りの情報を君に与えてやってもいい」
目の前に座っているブラウンの顔を不躾にじろじろと眺め回しながら、ワンリンはにやりと笑った。
「お前達蛮人が私のような天才の話を聞いて、理解できるのかも、興味深いしな」
「誓いましょう。私もこれ以上、人の死ぬのを見たくないのでね。ワンリン博士、我々に協力的ならば、それは紳士的な対応で答えますよ」
ブラウンがしっかりと頷くのを見たワンリンは、余裕のある表情に戻って椅子の背もられにふんぞり返った。
「取引成立だ。では、尋問の前に私の手の拘束を解け。それから温かい食事と飲み物を持ってこい。おっと、その前に煤だらけの身体をどうにかしなくちゃな。風呂に入らせて貰おうか。あと、清潔な服も用意しろ」
両隣の二人の監視兵が呆れた顔を互いに見合わせているのを知ってか知らずか、ワンリンは思いつく要求を次々と口にしていった。
「相変わらず自己中心的な奴だ。図々しい性格も十年前と全く変わっていないな」
地下指令室でモニターに映るワンリンを眺めながら、ハンヌはふんと鼻を鳴らした。
捕虜を収容する部屋は指令室よりもっと下の、地下四階の一番隅にある。その隣の尋問部屋に設置されてあるカメラが、前後左右からワンリンを捉えていた。
「ガグル社から逃げ出した研究員か。あの男からアメリカ軍の有意義な情報が引き出せますかね?」
モニターを覗き込んでいるハンヌの隣で、ブラウンとワンリンのやり取りに耳を澄ましているミニシャが質問する。
ハンヌはモニターからミニシャに目を移すと、つまらなそうな顔をした。
「アメリカ軍の機密情報全般を喋って欲しいところだが、あいつは脳しか興味のない学者だからな。詳しいのは脳に関する事ばかりだから、中佐が期待するような情報は殆んど持っていないだろう。機械兵器のパイロットを一人ぐらい生かしておいた方が、貴重な情報源になったろうな」
まあ仕方がないさと、ハンヌはモニターパネルに映るワンリンに視線を戻した。
ワンリンは要求の数を増やして兵士達を困らせている最中だ。
「私としては、脳科学の最新情報は喉から手が出るくらい欲しいですけどね」
「ガグル社の研究レベルからしたら、マッドサイエンティストの頭の中身など高が知れている。そんな事より、だ」
ハンヌは小馬鹿にしたようにくすりと笑うと、映像モニターのスイッチを切った。
「ボリス大尉。末席とは言えど、ガグル社の役員である俺は多忙な身でね。戦域での戦闘は連邦軍が勝利したことだし、すぐにでもガグル社に戻らねばならない。戦闘が始まる前にした話を、お前は忘れてはいまいな?」
寝返りの催促がハンヌの口から飛び出した。
世間話でもするような落ち着いたハンヌの態度に、ミニシャの心音が極端に早くなった。
「…はい。勿論、覚えております」
緊張のあまり上擦った声で何度も頷くと、ミニシャは指令室にいる通信兵達を見回した。誰もが自分の仕事に没頭していて、ハンヌとミニシャが喋っているのに気を取られる様子もない。
「重要な話があると言って、ブラウンの奴を尋問部屋から連れ出してこい。場所は俺とお前が約束を交わした貴族将校の部屋を使え。あそこは人の出入りがないからな」
「了解しました」
青い顔で頷くミニシャの耳元にハンヌは顔を近づけて、涼やかな声で耳打ちした。
「ことが成功すれば、お前は晴れてガグル社の正規研究員だ。俺はとても楽しみにしているぞ、ミニシャ・ボリス」
「私が、ガグル社の、正規社員…」
悪魔が耳元で囀る。ハンヌの誘惑に抗えないミニシャが、小刻みに顎を揺らした。
「そうだ。務めを果たせ。ミニシャ・ボリス。我が同志となる者よ」
ハンヌは上着の内ポケットに忍ばせていたサイレンサー付きの小さな拳銃を取り出すと、そっとミニシャに手渡した。
ミニシャは拳銃を受け取ると、白衣の裾で隠すようにしながら素早くベルトの後ろに差し込んで、指令室から大股で出て行った。
一か月前の事ですが、垂直に立てた親指を壁に激突させて突き指しました。
それからずーっと痛いです。友人に「突き指痛いの。まだ直らないの」と言ったら、
「親指の突き指って治るのに結構時間かかるよ」と、気の毒そうな顔をされました。
随分良くなってきたけど、パソコン打っていると必ず鈍痛に悩まされます。
親指って、他の指よりも使っているんですかね。
皆さんも指を壁に激突させないように注意してねって、いやそんなアホな事、普通しないだろ。