悲しき戦士
「ケイ」
遠い場所から名前を呼ばれた。
頬を軽く叩かれ、はっとして目を開ける。
「ん?」
仰向けに寝ているケイの真上にミニシャの顔があった。
それも息が掛かるくらいに近くに。
「ぅわ」
くぐもった悲鳴を上げてから、慌ててミニシャに謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ありせん、ボリス大尉。その、ちょっと、びっくりして」
「いやいや、謝る必要はないよ。意識回復した途端、キレイなお姉さんの顔が目の前にドアップって、そりゃあ、思春期の若者の心臓に悪いよね―」
「いや、その…」
答えに詰まるケイに、ミニシャがにこっと微笑んだ。
「すぐに意識が戻ってよかったよ。ケイ、君の瞼の反応を見てみよう」
ミニシャは白衣の胸ポケットからペンライトを取り出すと、ケイの瞳に光を当てた。
「うん。異常はない。ケイ、私の指先を目で追ってみて」
ミニシャが指を右から左へと動かす。その動きををケイは忙しげに目で追った。
「大丈夫そうだ。頭痛は酷いかい?」
「いえ、あんまり。あ、でも、ボリス大尉に痛いかって聞かれたら、途端にズキズキしてきました」
真剣な表情でケイの瞳を覗き込んでいたミニシャが、小さく噴き出した。
「君、意外と面白いんだね。投与した薬には痛み止めも入っているから、少し休んでいれば元通りだよ」
ケイが横になっている脇から立ち上がると、ミニシャは自分の腰をトントンと軽く拳で叩いて、ケイのすぐ右隣にいる兵士の診察に移った。
横に首を曲げると、左腕を失った兵士がぐったりと仰臥していた。
頭部や胸と腹、両脚に巻かれた包帯は大量の血でじっとりと濡れている。
「ルシルさん!生きて…!」
大声で叫んだケイに、ミニシャは唇から小さく息を吐き出して口に人差し指を当てた。
「静かに。ここには負傷兵が大勢いるんだ」
ケイは仰向けのまま、首を右から左へとゆっくり回した。途端に意識が冴えた。
ヤガタ基地の中だ。
何に使うのかは知らないが、驚く程広い部屋だった。毛布の上にシーツを敷いただけの床の上に、負傷兵がすし詰めの状態で寝かされている。
痛みに呻く恐ろしい声があちらこちらから聞こえてくるのに、背筋が寒くなった。
「ごめんなさい」
謝るケイにミニシャは目で微笑んでから、重傷を負っているルシルの鼻孔に掌を近づけた。
ケイは憂い顔のミニシャを、息を飲んで見つめた。
ミニシャはルシルの心音を確かめようと聴診器を胸に当てた。だがすぐに外して、衛生兵を呼ぶと声を顰めて話し始めた。
衛生兵はミニシャに頷くと、もう一人の兵士を呼んで横たわったままピクリとも動かないルシルをシーツにくるんで持ち上げようとした。
「ルシルさん!まさか…死」
「ケイ」
ミニシャが指を唇に当てて、小さく頭を振った。
ケイは鬼のようになったミニシャの顔に息を飲んで、慌てて口を閉じた。
「待って」
息も絶え絶えの女の声がルシルの隣から聞こえた。
知った声だ。
ケイが痛む頭を持ち上げると、ロラ・シャレがルシルの隣に横たわっていた。
彼女の胸と腹も分厚く巻かれた包帯で覆い尽くされていた。包帯の殆んどが赤く染まり、白地は僅かだった。致命的な程の出血なのは間違いなかった。
「連れて行かないで」
ロラはルシルの側に這いずって行くと、必死の形相で腕を持ち上げた。
震える手が、そっとルシルの胸に下ろされる。
「ルシル…。ああ、ルシル。お願い、目を開けて」
ロラの絞り出す声は、今にも消えてしまいそうに弱々しかった。
「ロラさん!」
ケイは鉛のように重い身体を持ち上げて、ロラを見た。名前を呼ばれたロラが虚ろな瞳をケイに向ける。
「あんた…連邦軍生体スーツのパイロットの、狼少年…」
「ロラさん、聞いて下さい。ルシルさんは俺を助けてくれました。ルシルさんは四足機械兵器にスーツ(Gー2)を破壊されて起動出来ない状態だった。そのまま動かないでいれば、四つ足の攻撃を再度受けることはなかった。なのに、ルシルさんは、絶体絶命になったフェンリルを救おうとG―2の剣を四足に投げつけたんです。お陰でフェンリルと俺は、四足に真っ二つにされずに済んだ」
「そりゃあ、良かった。で、四足はどうした?」
ロラは苦しそうに肩で息をしながら、今にも泣き出しそうに顔を歪めているケイに話の続きを促した。
「倒しました。フェンリルが、黒い半身半馬の機械兵器をズタズタにして破壊しました」
「そうかい。じゃあ、あたしたちの…ルシルの仇は取ってくれたんだ。ありがとうね」
ロラは最後の力を振り絞ってルシルに身体を寄せると、その胸にそっと頭を乗せた。
「良かった、ね。ルシ、ル」
深く息を吐くと、ロラは目を瞑って、微かに口元を緩めた。
「はい。俺、ルシルさんとの約束は、守れ、ました」
ルシルの胸の上で動かなくなったロラを見ながらケイはしゃくりあげた。
ルシルとロラ。ケイの前では互いに顔を怒らせて悪態を付いていた。
随分と仲が悪そうだったが、それは表面だけの事で、二人は好き合っていたのだ。
「こんなのって」
ぽろぽろと涙を零すケイの肩をそっと叩いてから、ミニシャは衛生兵に命令した。
「この遺体を一緒に運んでやってくれ。二人をシーツでしっかりと包んで離れないようにするんだ。頼んだぞ」
神妙な面持ちで二人の遺体を運び出す衛生兵を見送ってから、ミニシャはケイを見た。
「ケイ、今、ダンを呼んだから。彼に付き添って貰って、部屋に戻りなさい」
「分かりました。あの…」
次の言葉が口から出る前にミニシャはケイから離れていた。
その様子を見ると、ミニシャや他の軍医が並べたように寝かされた負傷兵の脇をすり抜けるようにして見回っているのが分かった。
「おい、小僧。お前、頭をどうした?銃弾が掠ったのか」
急に声を掛けられて、ケイは左に首を捩じった。
筋骨隆々とした大柄な兵士が肩に包帯をぐるぐると巻かれて横たわっていた。
歳は二十代半ばくらい。
ぼさぼさの髪を後ろで束ねているので傭兵あがりだとすぐに分かった。
顔には銃弾で抉られた跡がある。野獣のような鋭い目つきが、激戦を幾度も潜り抜けて来たことを如実に物語っている。
「はい、でも、大した傷じゃないです」
「そうか。お前、運がいいな。まあ、俺もだが。機関銃の弾を一発食らったんだが、肩の肉を少し持っていかれただけで済んだんだ。あと数センチ下に撃ち込まれていたら、胸に大穴が開くところだったぜ。この戦闘で、生き残った兵士はそんなにいない。俺の隊も随分やられたよ」
男の不敵な面構えが憂い顔となり、はあ、と溜息をつくのにケイは驚いた。
今度の戦いがどれだけ凄まじいものだったかを思い知らされる。
「あのう。俺達、連邦軍は、勝ったんですか?」
ミニシャに聞けなかった言葉をケイはやっと口から吐き出した。
屈強な傭兵はにやりと笑って頷いた。
「ああ、勝ったさ。ロシア戦車隊は全滅し、アメリカ軍の生き残りは戦域から完全撤退した。俺達はヤガタを守った。現在、戦域の全領土は連邦軍の支配下にある」
「じゃあ、戦争は終わるんですね?」
顔を輝かせたケイに、傭兵はもっと憂い顔になった。
「いや、終わっていないと思うぜ。これを見ろ」
傭兵は自分の上腕に巻かれているテープを軽く突いてから、ケイの腕を指差した。
ケイが自分の腕を見ると、傭兵と同じ緑色のテープがぐるりと巻かれている。
「これはトリアージタグと言って、負傷兵の治療の優先順位を示している。赤、黄色、黒の三色で、軽傷から重傷までのランクを付ける。赤と黄色は治療対象になる負傷兵だ」
「じゃあ、黒は」
ケイは目を見開いて、床に無造作に横たわっている多くの兵士を見渡した。
「黒は治療対象から外される。救命行為が無駄な兵士だ。もうすぐ死ぬか、死んだ人間さ」
「そんな…」
傭兵の言葉にケイは思わずふらつきながら上半身を起こした。
ミニシャが見たこともない厳しい表情で負傷兵を見回っているのは、治療の選別を行っているからなのだ。
茫然としているケイに、傭兵が床からむくりと起き上がって胡坐をかいた。
「で、俺達だが。何故、緑色のタグが付いているかと言うと、短期休養後、戦闘復帰可能な兵士ってことだからだ。近いうちに戦闘再開する可能性があるのかも知れない」
「兵士がこんなに消耗しているのに、ですか?」
苛立たしげに語気を強めたケイに、傭兵は、はっと短く息を吐いて口元を歪めた。
「青いな。お前は何か勘違いしているようだから教えてやろう。兵士っていうのは基本、消耗品なんだよ。特に、俺のような傭兵上がりか、お前みたいな新兵はな」