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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第四章 新戦争(ネクスト・ウォー)
157/303

対面・2


 狼スーツの操縦席から立ち上がった少年を見て、フィオナは驚いた。


「お前の頭…」


「え?」


「何でもない」


 出血していると言いかけて、フィオナは口を閉じた。

 少年の血に染まった顔には仰天したが、何も敵の怪我を心配してやる程お人好しではない。

 痛そうな表情をしていないから、大した怪我ではないのだろう。


(そう言えば、こいつ、アウェイオンの時も血塗(ちまみ)れだったな)


 自分の身が絶体絶命だというのに、瀕死の連邦軍兵士を背中にしっかりと抱えていた。

 この少年を見たのはあの時が初めてだ。

 そう思った。だが。


(それよりずっと前から、あたしはこの少年を知っている)


 フィオナは心の奥底でかしましく騒いでいる己の小さな分身に耳を傾けた。

 勝手気ままに囀っていると思えた分身達の全てが、一つの言葉を呪文のように繰り返し始めた。


「お前は…誰だ」


「誰って?」


「お前の名だ!早く、名前を言え!」


 歯を剥き出して、少女が荒々しく問い掛ける。

 ケイはフェンリルのコクピットから身を乗り出して答えた。


「俺の名は、ケイ・コストナーだ」


 黒髪の少年が黒い瞳を怒らせながら己の名を口にするのを、フィオナは息を詰めて聞いていた。


「ケイ。ケイ・コストナー、か」


 フィオナは心の奥底にいる分身達が口ずさむその名前を、改めて自分の唇に刻んだ。

 途端にフィオナの心の中が騒がしくなる。


(ケイ)


 小さな分身達が少年の名を叫んだと思うと、両腕を差し出すように上に向けた


(ケイ、ケイ!)


 泣き笑いの表情を浮かべたフィオナの分身達は、風にたなびく群生した花のようにゆらゆらと揺れながら少年の名を何度も何度も呼んだ。


「うるさいっ!やめろ!あたしの頭の中で、あいつの名前を繰り返すんじゃないっ」


 フィオナはエマを離して自分の頭に手を押し当てた。

 支えを失ったエマの身体が前に屈んで、レミィのコクピットから外へとずり落ちそうになる。五メートルの体高のあるレミィから落ちれば、地面がいくら砂地でも大怪我は免れない。


「危ない、エマ!」


 ケイの悲鳴にはっとしたフィオナは、慌ててエマの身体を抱き留めた。


「おい、お前!いい加減にエマを離せ!さもないと」


 声を荒げるケイを、フィオナは眉間に皺を寄せて眺めた。


「この娘を離さないと、あたしをどうするっていうの?」


 フィオナはエマの両腕を掴んで持ち上げて、上半身を突き出すようにして立たせた。

 上半身のスーツを破かれたエマの裸の胸がケイの目の前に露わになる。


「は、離さない、と…お、お、お前を」


 エマの乳房を目の当たりにしたケイは、顔を真っ赤にしてしどろもどろになった。

 その表情に、フィオナが片頬を持ち上げて嘲りの笑いを浮かべる。


「この娘の胸が、そんなにお好み?ふん。いやらしいわね」


「お、お前がわざと見せているんだろうが!」


 ケイは大きな声で怒鳴りつけた。だがエマの露わになった胸に目がいってしまい、じもじしてしまう。

 格好が付かないケイの様子に、フィオナが小馬鹿にしたようにくすりと笑った。


「そんなに威勢よく怒鳴ったって、この子が人質じゃ手も足も出ないくせに。もし、あたしに攻撃したら、あんたの好きなこの子のおっぱい、あたしの爪で切り刻んで二度と見られないようにしてやるからね。ケイ・コストナー、スケベな狼スーツのパイロットさん」 


「ス、スケベだと!このアマ!もう一度、言ってみろ!」


 憤激したケイがフェンリルのコクピットの中で地団駄を踏みながら、フィオナに怒鳴りつけた。その様子を見て、フィオナが嘲るような笑い声を上げる。


「あははは。何回でも言ってやるわよ。このスケベ狼!」


「フィオナ、マクドナルドの頭部は回収できたのか?」


 フィオナのイヤホンに、ユーリーからの通信が入った。


「ファーザ!」


 きょろきょろと辺りを見回すフィオナに「上だ」との声が聞こえた。

 空を見上げると、一羽の大きな鷲がニドホグの上で弧を描いて飛んでいる。アメリカ軍の猛禽類型ドローンだ。


「はい、回収出来ました」


 フィオナは大鷲を仰ぎながらユーリーに返答した。


「ならば、そいつを挑発するのはお終いにして、すぐに撤収しろ。ヤガタから二体のスーツがこちらに向かっている。スーツと交戦するのはニドホグの任務ではない。奴らが攻撃してきても、捨て置くように」


「了解しました。すぐに撤収します」


 伝達を終えた大鷲ドローンは、空高く舞い上がって姿を消した。

 ドローンを見送ったフィオナもニドホグに命令する。


「ニドホグ、モルドベアヌに帰還するわよ」 


「グルアルル」


「そうね。このスーツは破壊するまでもないわ。それにあたし、気を失っている女の子を殺すのは趣味じゃないの」

 

 フィオナはエマをスーツの操縦席にゆっくりと座らせから非常用の固定ベルトを締めた。ニドホグに飛び移り、その胸の中に身体を収める。


「ケイ・コストナー。あんたに、このスーツを返してやるよ」


 ニドホグから顔だけ出して、フィオナが叫んだ。


「本当か!?」


 信じられないといった表情のケイをフィオナは目を(すが)めて眺めた。


「あたしは、嘘はつかないし、口にしたことはすぐ実行する性質(たち)だ。早く狼スーツのコクピットに戻るがいい」

 

 半信半疑ながらも、ケイは、フィオナに言われるがままに操縦席に戻った。ヘルメットを被ってフェンリルの人工脳と同期すると、スーツを動かす。

 スーツが動き出したのを見たフィオナは、ニドホグからレミィをゆっくりと離した。

 レミィの機体が大きく揺らいで砂地に突っ伏しそうになる。ケイは素早くフェンリルを駆け寄らせると、レミィを仰向けにして砂地の上に横たわらせた。

 フェンリルの行動を見ていたドラゴンが翼を大きく羽ばたかせて空に舞い上がった。

 レミィの脇に両膝をついているフェンリルの周りを低空飛行で楕円を描く。

 ケイはフェンリルの頭を掠めるようにして飛ぶドラゴンに顔を向けた。


「ケイ・コストナー!」


 柔らかで美しく澄んだ声が、フェンリルを通してケイのイヤホンに届いた。 

 少女の声が自分の耳に優しく響いたことに、ケイは思わず息を飲んだ。


(何だろう?この懐かしい感覚は。ドラゴンの少女の声が、どうしてこんなに俺の心を震わせるんだろう)


「お前に、あたしの名前を教えてやろう。あたしの名は、フィオナ。そして、ドラゴンの名はニドホグ」


「フィオナと、ニドホグ…」


 フェンリルを立ち上がらせてケイは巨大なドラゴンを仰いだ。

 微かに呟いたつもりだったが、ケイの声はフィオナの耳にしっかりと届いたようだ。


「そう!フィオナとニドホグだ!忘れるな、ケイ・コストナー!次に会った時、ニドホグはお前を殺す!狼スーツと一緒に引き裂いてやる!!」


 そう言い残すと、フィオナはニドホグの胸の中に消えた。

 フィオナを格納したニドホグは恐ろしい勢いで空へと垂直に上昇していく。

 かなりの速度なのだろう。ニドホグの巨体があっという間に黒い点になった。

 小石くらいの大きさになったニドホグが大空を移動していくのを、ケイはフェンリルの人工眼を通して見つめていた。





「ケイ、無事か!」


 突然、ダンから無線が入った。


「ダン!お前も無事なんだな」


「ああ。もう少しでそちらに着く。ロウチ伍長も一緒だ。エマはどうした、さっきから連絡が取れないんだが」


「エマは…」


 ケイははっとして、レミィのコクピットに倒れているエマを見た。フィオナが固定ベルトを装着したエマの上半身は裸のままだ。


(うわ、やばい!あんなエマの姿を、伍長とダンに見せるわけには…)


 断じていかない。

 ケイはフェンリルの膝を折ってレミィに近付けると、操縦席を開けてレミィに飛び降りた。急いでエマのもとに行くと、自分のインナースーツの上衣を急いで脱いだ。


「ごめんね、エマ。君の身体に少し触れてしまうけど、許してくれ」


 顔を赤くしながら、自分のインナースーツをシートベルトを外したエマに着せる。


「取り敢えずは、これで安心…していいわけないよな。エマ、お願いだから意識を戻して」


 エマを抱き寄せたケイは、その頬を軽く叩いた。


「う…ん」


 何度も頬を叩くうちに、エマが顔を顰めて小さな呻き声を上げる。


「ああ、よかった!意識を取り戻したぞ」


 ほっとした途端、今度は自分の頭がくらくらしてきた。

 だけど、エマを抱きしめたまま、気を失う訳にはいかない。霞み出したケイの目に、ビッグ・ベアとガルム2が四足走行で走って来るのが映った。


「エマ、あと少しで、伍長とダンが来てくれるよ。もう少し頑張ろうね」


 ケイは未だ気を失ったままのエマに励ましの言葉を掛けた。ビルとダンがスーツから降りて、レミィに向かって走って来る。


「ケイ!エマ!無事か?!」


「はい。伍長、二人とも無事であります。エマは気を失っていますが、意識はあります。ですが、早くエマを診察しないと…」


 ケイはビルに状況を説明しようと必死で口を動かした。だが、自分の肩を掴んで喚いているダンがうるさくて、うまく口が回らない。


「ダン、お前うるさいよ。少し静かにしてくれ」


 喋ったつもりが、途中で頭がぐるぐると回転し出して言葉にならなくなった。


「伍長、大変です!こいつの頭、大出血してますよ!ヤバいっ。ケイがうわ言を言い始めました。大丈夫かな」


(大出血?)


 ケイはぼんやりとダンの言葉を反芻した。


(俺の頭が?)


「出血で意識が混濁しているみたいだ。とにかく、すぐにヤガタに運んでボリス大尉に見てもらうしかない。ダン、ケイとエマをビッグ・ベアに乗せるぞ。手伝え」


「了解ですっ!ケイ、死ぬんじゃないぞ。死んだら、バカだからな!」


(ダン、何だよそれ。死んだらバカって、笑っちゃうよな。大体、俺が死ぬわけ、な…い)


 口元に微かな苦笑を浮かべてから、ケイは意識を失った。


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