醜い女と純粋な少女
ヤガタ基地を背にして機関銃を構えると、ナナとレミィはステルスに向かって引き金を引いた。
反撃に出たステルスがガトリング砲を振り回して銃弾を撃ち放す。子猫のスーツ二体は後ろへ飛び退き距離を取った。
ガトリングの弾速は早い。正確な狙いは付けにくいが、弾はショットガンのように飛び散るので火力としては機関銃よりも威力がある。
「エマ、敵の銃器はガトリング一挺だけよ。消耗戦に持ち込めば私達が有利だわ」
「分かりました。リンダさん、早くあいつの弾倉を空にさせちゃいましょう!」
ナナとレミィは一定の射程距離を保ちながらステルスの周りを弧を描くようにして、機関銃を交互に連射した。
「くそっ。こいつら動きが速くて捕え切れない」
キャサリンは焦った。素早く動き回る二体のスーツに銃弾を無造作に撃ち放っているばかりでは、ドラム弾倉の弾もすぐに切れる。頼みにしている援軍はまだ姿を現さない。
「ワンリン博士、イーサンとコリンガム隊はどうなっているの」
「それなんだが、敵の絶対防衛陣地に侵攻後、コリンガムとの通信が途絶えてしまっている」
落ち着きを失い始めたワンリンの横で、キャサリンが声を震わせた。
「博士。ステルスのミサイルは敵の機甲突撃破砕線から狙撃されているわ。コリンガム隊は、連邦軍の絶対防衛陣地を落とせずに全滅したようね」
「そ、それはまずい、かなりまずい状況だぞ。ん、ななな、なんだとおぉ!」
モニターに視線を滑らせていたワンリンは、深緑の機械兵器に起こった異常事態に悲鳴を上げた。
「大変だ、キャサリン!深緑の機械兵器からミラーの生体反応が消えてるぞっ」
「何ですって!イーサンまでやられたっていうの!?」
脳内アームでガトリング砲の銃撃ボタンを連打しながら、キャサリンは怒りの叫び声を上げた。脳内アームの動きに連動したステルスが片腕でトリガーを引き絞る。
「くそ!くそ!くそ!」
呼吸が荒くなってきた。脳の疲労が限界に達している証拠だ。
キャサリンは脳圧メーターに目をやった。これ以上脳内アームを操作するのには危険な数値にまで上昇している。
「どうした、キャサリン」
肩で息をし始めたキャサリンに気が付いたワンリンが、キャサリンの生体モニターを見て目を大きく見開いた。
「脳圧が異常値を差しているぞ。血圧も200にまで上昇している。すぐに脳内アームのスイッチを切れ!」
ステルス機の操縦席にリンクされた画面に視線を張り付かせ、必死で脳内アームを操作するキャサリンの脇でワンリンが甲高い声を上げた。
「分かっているわよ!だけど、今、アームのスイッチを切ってしまったら、ステルスが敵の手に渡ってしまう」
「ガトリング砲の残弾をコクピットに撃ち込め。ブレーン部分を破壊すればステルスは爆発を起こす設計になっている。早く脳内アームの全ての操作をオフにするんだ!」
ガトリング砲もあと少しで弾を撃ち尽くてしまう。これ以上は戦えない。
キャサリンはガトリングの砲口をコクピットに向けた。
(敵基地も破壊できないままステルスを失ったら、きっとマイクは私に失望するわ。マイクを失ったら、私は手足のないただの醜い少女。生きている価値なんかない。そんなのは嫌)
「絶対に嫌!」
キャサリンは脳内アームの出力を最大限に上げた。
ステルスはスーツにガトリングを掃射しながら、大腿部両脇のジェットエンジンの噴射口から火を噴かせて機体を離陸させた。背中に畳んだ両翼と尾翼を広げたステルスが、空へと一気に上昇していく。
「キャサリン、お、お前、何やっている?」
「ステルスをヤガタ基地に体当たりさせて爆破するわ」
キャサリンの言葉にワンリンの顔が紙のように白くなった。
「やめろ!それ以上操縦を続けると、お前の脳がもたないぞ!」
隣で喚き続けるワンリンを無視して、キャサリンはステルスの機首をヤガタ基地に向けて発進させた。機体をほぼ戦闘機に戻したステルスが空へと急上昇を始める。
「見て下さい、リンダさん!あの戦闘機はヤガタに体当たりするつもりだわ」
「そのようね。ステルスを早く撃ち落とさなければ」
リンダとエマは機関銃をヤガタへと飛んでいくステルスに向かって連射した。
だが、空に向かって機関銃を撃つだけではステルスを撃墜出来ない。リンダはビルに無線を入れた。
「ビル、あなたのライフルでステルスを狙撃できないかしら」
「無理だ。さっきの攻撃で弾が切れてしまった。お前達で何とかしてくれ」
「撃墜出来ないと、十秒以内にステルスが基地管制塔に激突します」
エマに悲痛な声に、リンダが歯噛みしながら機関銃を空に向かって撃ち放った。
「くそっ。ロケット砲があれば狙い撃ちできるのに」
「ここにあるぜ!パッシブ赤外線誘導ロケット弾だ!」
リンダとエマの無線送信にダンの声が割り込んで来た。
ナナとレミィの頭上をミサイルがステルス目掛けて高速で飛んで行く。ミサイルに気が付いたステルスが振り切ろうと空中で大きく旋回した。
「頼む、追い付いてくれ!」
ダンの叫びを聞き届けるように、ミサイルがステルスの尾翼を捕えた。
後方からロケット弾に追尾されて、キャサリンは脳内アームを操作してステルスの機首を上空に向けた。
「あと一息だっていうのに、ここでステルスを爆破されるわけにはいかないのよ」
ステルスにかかる重力は脳内アームにも及ぶ。
キャサリンはモニターパネルの中のレバーに全神経を集中させてステルスを上昇させた。
破裂しそうな心音が耳元までせり上がってくる。練習の時に感じた嫌な眩暈がキャサリンを襲った。息をするのも忘れて脳内アームの操作に集中する。
ステルスとヤガタ基地の距離が十キロメートルを切った時点で、モニターが衝突回避の緊急音を発し始めた。
「もう、少しよ」
突然、目の前が白くスパークした。
モニターパネルから脳内アームの表示が消えて、画面に成人女性の姿が浮かび上がってきた。
その顔を見て、キャサリンは大きく目を見開いた。
「誰?」
女は鏡を見るようにキャサリンを覗き込んだ。
その瞳の色と眉の色が自分と一緒だ。
「これは、私?」
そうだ。思い出した。
私は美貌と大胆な演技力で観客を魅了していた女優、キャサリン・トレイシー。
そしてこれはエンド・ウォー前夜の記憶。
光り輝く長い髪に縁取られた小さな顔の中にある瞳が、女の背後に立っている老人に向けられた。
皺の深い両手が、薄い絹のドレスを纏った女の肉感的な胸元を愛おしそうに撫でさする。
女は鏡に向かって勝ち誇ったように微笑んだ。
「キャサリン。私は君を愛している。私の家族の誰よりもだ。その証に君の名前をアメリカ本土避難リストに記載したよ」
「ありがとうございます、閣下。わたくしの我が儘を聞いて下さって」
女は老人の静脈の浮かんだ手を取って唇を押し当てた。はらりと落ちた女の長い髪を、老人は愛おし気にその耳にかけた。
「疑心暗鬼でがんじがらめになった大国間の軍備拡張が災いして、世界の主要都市にミサイルが降り注ぐ事態に陥った。あと十分足らずのうちに、先制攻撃で防ぎきれなかった敵国の弾道ミサイルがアメリカ全土に撃ち込まれる。今度の戦争は第三次世界大戦という呼び名ではなく、終末戦争と記されるだろうね。後世に文明が残っていればの話だが。
キャサリン、私の為に、どうか生き延びて欲しい。それだけが私の最後の希望なのだ」
「閣下…」
眼の縁に涙を溢れさせる女の顔に、老人は満ち足りた溜息をついた。
「私は、君とは行動を共にすることは出来ない。この身は祖国と共に亡ぶ運命だ。だが、魂はお前と共にある。キャサリン、愛しているよ」
「ああ、閣下。わたくしも、わたくしもです!」
涙を流しながら老人を見、その頭を自分の胸に掻き抱いた女は、ひっそりと口角を上げた。
それは、身の毛がよだつほど冷酷な微笑みだった。
「違う!これは、私じゃない。こんな、こんな…」
己の身の安全を確保する為に平然と偽りの愛を語る女。
愛人の為に自分の妻や子供を犠牲にする年老いた権力者を心の中であざ笑う、卑劣で醜い女。
「これは私じゃない―――!」
強烈な頭痛がキャサリンを襲った。
見開いた目からさっきの女の顔は消え、鮮血のような赤が視野いっぱいに広がった。
途切れていく意識の片隅に、ぼんやりと人影が現れた。
すらりとした手足の十八歳の少女が走っている。
たなびく長い髪が太陽の光に反射して虹色に光る。向かう先には人間の身体に戻ったマクドナルドが立っていた。
「マイク」
名前を呼ぶと、マクドナルドは整った顔に深い慈しみを浮かべてキャサリンを見た。
キャサリンが両手を広げると、マクドナルドは逞しい腕と胸を自分に向かって解放した。
勢いよく飛びついてくるキャサリンを抱き留めて、軽々と持ち上げる。
「マイク、私、あなたの役に立ったかしら」
マクドナルドの唇に自分の唇をしっかりと重ねて、キャサリンは目を閉じた。
ロケット弾で尾翼を破壊されたステルスは砂地に墜落して、爆発炎上した。
「キャサリーーーン!!」
いくら呼んでもキャサリンの反応はなかった。
呼吸と心音、脳波が停止し、血圧も急降下していく。
ワンリンは瞳を見開いたまま動かなくなったキャサリンの脳に接続してあるプラグを引き抜いた。
震える手で脳内をスキャンするタブレットを頭に押し当て3Ⅾ映像化のスイッチを入れる。
キャサリンの脳が映し出されてワンリンの目の前で回転し始めた。
出血が起きている箇所が白く塗り潰される。それはキャサリンの大脳皮質全域を覆い、小脳にまで広がっていた。
「大量に出血を起こしてしまっている。完全に脳死状態だ」
ワンリンが茫然とした表情でタブレットを凝視していると、突然、耳をつんざく警戒音が車中に鳴り響いた。
モニターがコンテナに高速で飛来する複数の物体を捕える。dangerの文字が全てのパネルに浮かび上がり、画面を赤く染め上げた。
「うわああっ!迫撃弾が来るぞ!!戦域から退避しろおぉって…もう間に合わないっ」
コンテナ車の隅に痩身を丸めると、ワンリンは恐怖の悲鳴を喉から迸らせた。