ハイランド
ハイランドは、アウェイオンよりおよそ五十キロメートル西南側に位置した見晴らしの良い平地である。
中部ヨーロッパの肥沃な大地はエンド・ウォー以後、突然起きた地殻変動が原因で、豊かな恵みをもたらしてくれた河川が寸断されて以来、幾度も大規模な干ばつに襲われ、人の住めない土地になった。
そして現在。
北と西から大国に挟まれ翻弄される悲しい歴史を繰り返していた緑豊かな美しい国は、エンド・ウォーとそれに続くロング・ウォーで崩壊し消滅した。
そこかしこに点在する瓦礫となったレンガ造りの建築物の残骸と荒れ果てた道だけが、そこに街が存在し、人が住んでいた名残を僅かに残すだけである。
青の戦域として戦場だけの存在になり果てたこの土地は、この瞬間も人間に蹂躙され続けている。
「ここは、カトボラへの物資供給の名目で作られた簡易基地だ。が、砂漠化しつつあるハイランドは、正直のところ立地が悪過ぎて、補給路の中間地点としてもうまく機能していない場所だ。一応、二重の防護壁に囲まれているが、外側は薄いコンクリート壁だから、本気で敵が攻撃してきたら一溜まりもないだろう」
「どうしてこんな場所に、基地なんか作ったのでしょう?」
「先祖がこの土地の出身という貴族の高級将校がいたらしい。権力誇示の為に建てたのか、先祖の慰霊碑代わりか、まあ、両方の理由だろう」
柔和な口調がかえって皮肉を強調させている。それだけブラウンが苛立っている証拠だ。今の状況を鑑みると、それも仕方のない事ではあるが。
ダガーは、自動小銃を抱えたまま地べたに座り込んでいる虚ろな表情の兵士に目をやった。
案の定、アウェイオンから撤退してきた残存兵は、手足を捥がれた重篤な負傷兵か、五体満足でもパニックに陥っている者が多く、ハイランドの駐在兵とカトボラから招集した兵に動揺が伝播しているのは明らかだった。
加えて、オークランド司令官の命令通りに集めた傭兵が、ハイランドにより一層の悲壮感を際立たせている。
「見ろよ、ヴァリル。傭兵団の親方衆はこれ幸いと、足腰の立たない老兵ばかりを寄こしたぞ。若い傭兵など一人も見当たらん。我々は傭兵団にも見限られたってことか?」
傭兵団のトラックから、旧式のトカレフを担いでよたよたと降りてくる、兵士とは名ばかりの老人を見渡して、ブラウンが呆れ顔で言った。
「弾避けに使えとのお達しだが、あまりに気の毒で、前線に配置できないお年寄りばかりじゃないか。金で動く連中とはいえ、うちの司令官より血も涙もない奴らだな」
「実戦に使えそうな兵はいないようですね。彼らには負傷兵と一緒に、ハイランドから避難してもらうしかないでしょう」
思わず溜息が出そうになるのをダガーは堪えた。
「そうだな。ご老人たちには、負傷兵の手当てと運搬というのを名目にして、傭兵団の集落に一時避難させてもらうか。親方衆には、また金を積めばいいだけの話だからな。ところで敵の状況はどうだ?」
「斥候部隊からの報告では、軍事同盟軍の機甲師団が進軍を始めている模様です」
「やはりな。軍事同盟軍の師団の本体はこのハイランド基地に直接向かってくるだろう」
今や戦力は逆転している。どんな小さな基地でも、敵は徹底的に叩きに来る。
「この平坦で恐ろしく見晴らしの良い場所では、敵の突撃をもろに食らうに決まっている。防衛線を敷いても突破されるのは必至だ。かといって、兵士の命を無駄に失いたくもない。ハイランド後方の丘陵地帯に戦車隊を装備して防御陣地を敷くしかないな」
「ハイランドを防衛する命令では?」
「そんな命令は、くそ喰らえだ」
ブラウンは中指を突き立てた。
「こんなところで犬死するつもりはないんでね。カトボラの手前、テミショアの山林で軍事同盟軍を迎え撃つ。だが、この基地で少しでも足止めさせて、奴等の戦力を削いでおきたい。軍曹、君の部隊からは何人連れて来た?」
「ロウチ伍長とレイノルズ一等兵の二人です。サトー上等兵、メリル一等兵、コックス、ヤコブソン二等兵の四人は、ヤガタ防衛の兵力温存のためにヤガタに残しました」
「ダガー部隊の人間が、ハイランド防衛の第一線で戦えば、士気も上がる」
やってくれるかと、ブラウンはダガーを己の目で問うた。鳶色の瞳がブラウンを見返す。覚悟の決まった強い眼光が、いつもそこにある。
「もとより承知しています」
ダガーは静かに頷いた。
「敵の師団の第一部隊の戦車がハイランドに到達するのは一時間後位になるだろう。それまでに準備を怠るな」
対戦車用の重火器の装填に勤しむ兵士達に、ダガーは檄を飛ばした。暗い目をした兵士は皆、顔に恐怖を張り付かせ、それでも必死にダガーの命を受けた作業を黙々とこなしている。
アウェイオンの生き残りの兵士で、満足に戦える者は僅かだった。ハイランド基地に駐在している十数名の兵隊と合わせても、三十名にも満たない人数だ。軍事同盟軍の大隊を迎え撃つには気休めにもならない。しかしそれも、重々承知の上だ。
「基地周りの対戦車ミサイル、ロケットランチャーの配備、共に完了しました」
ビルがダガーに報告に来た。
「基地内の弾を全部使い切るつもりですが、思いの外、数が少なくて。アウェイオンの補給基地だって言うのに、酷い話っすよ」
眉間に皺を寄せてビルは肩を竦めた。浅黒い肌をした偉丈夫は、ダガーと違って、いつになっても傭兵口調が抜けないでいる。
ブラウンから詳細を聞いているガダーは何を聞いても驚くことはなく、ただ、ビルの言葉に無言で頷いた。
内側の防護壁は攻撃と防御に備えて、高さ三メートル、二十ミリの厚さはありそうな鋼鉄とコンクリートの外壁を合わせて作られている。
防護壁の更に内側には、兵士が武器の運搬と重機関銃での攻撃が可能な幅の通路があり、一定の間隔でキャノン砲が備え付けられていていた。そこだけは、さすがに基地の体を成している。
ただ、外側の壁を破壊され、基地全体を敵に取り囲まれて迫撃砲の集中砲火を浴びたら、いくら鋼鉄を張り付けた壁でもそう長くは持たないだろし、兵士の逃げ場もない。
「ジャックの方は、まだ時間が掛かりそうか?」
「負傷兵たちを輸送トラックに乗せるのに結構時間を取られちまったもんで。奴は今、死に物狂いで配線と格闘しています」
「そうか。間に合わせてもらうしかないな」
ダガーはスコップで地面を掘り返す手を止めずにビルに言った。
「ここに対戦車用地雷を埋める。手伝え」
「いいんですか?」
困惑げな表情をしてビルがダガーに聞き返した。
「こんなところに地雷埋めちまって」
「構わないさ。この人数で戦うのだから、元々が捨て身の戦術だ。軍事同盟軍の機甲部隊を少しでも破壊出来れば、僥倖ってところだ」
「軍曹!敵の戦車を確認しました」
内壁の上から見張っていた兵が慌てた様子で、穴を掘っているダガーに声を張り上げた。
ダガーはスコップをビルに渡してから、ロープを使って壁をよじ登り、双眼鏡で兵士の指す方向を確認した。
双眼鏡の中に、蜃気楼と共にゆらゆらと揺れる黒い粒がいくつも見える。
昔の草原地帯が半分砂漠化した場所だ。山や森林などの遮蔽物など何もないから防御態勢をうまく整えることが出来ない。だから敵の戦車は悠々と隊列を組んで、思いのままに躍進して来る。
「思いの他、早いな」
ダガーは独り言ちた。
「だが、そこが狙い目だ」