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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第一章 長い戦争(ロング・ウォー) 
13/303

医務室



「何で俺、医務室に行かなくちゃいけないんですか?」


 基地の廊下を小走りに移動しながら、ケイはハナに質問した。

 ハナに腕を掴まれたままだから、歩きにくくて仕方がない。


「あなたを検査する為よ。コストナー。うるさいから黙ってくれる?」


「でも、俺、本当に怪我もしてないし、どこも具合は悪くないんです!」


 ハナが無言でこちらを睨む。美人だけど、とても怖いお姉さんだ。

 何を言っても無駄だと悟って、ケイは大人しく口を噤んだ。

 ハナはケイを掴んだまま、すごい速さでケイを引っ張って大股で歩いていく。腕を放した方が歩きやすいですよと言ってやりたいが、どうせまた睨まれて終りなんだろう。

 諦めたケイは、ハナに引っ張られるままにした。


「さあ、ここよ」


 更衣室の時と同じように突き飛ばされるようにして、医務室に入った。


「あ、あれ?」


 以外な事に、医務室にいたのはリンダだった。


「どうして、メリル一等兵が医務室にいるんですか?」


「彼女、看護兵も兼務してるの。今からブラウン大尉に頼まれた検査を、全部メリル一等兵にやってもらうから。リンダ、後は頼むわね」


 ハナはすぐに回れ右をして、医務室を出て行った。


「了解。ケイ、宜しくね」


 リンダは微笑んで注射器を手に取った。


「まずは、血液採取しましょうか」


 自分の腕に注射針が刺さるのを見ながら、ケイはリンダに聞いた。


「一体、俺の何を調べるんですか?」


 戦場に出て一日も経たないうちに、衝撃的な事ばかりが次々と起こった。頭がパンクしそうだ。


「うーん。私も命令されただけだから分からないけど、ブラウン大尉に、何か考えがあるからじゃないかな」


 採血が終わったケイの腕を消毒した脱脂綿で優しく拭きながら、リンダが言った。

とにかく、サトー上等兵が看護師じゃないことに感謝しよう。

 ケイはそう考えた。彼女だったら注射針を腕に突き立てかねない。ものすごく痛いだろう。


「あと、心音と脳波の検査をするわね。そこに横になって」


 リンダに誘導されて、ケイは医務室の壁の脇にある簡易ベッドに横たわった。


「心音?脳波?そんなのどうするんですか?俺がトゥージス隊の生き残りだから?怪物兵器に殺されなかったから?それって、検査したら分かる事なんですか」


 ケイは思わず声を荒げた。食って掛かるような物言いのケイに、リンダは少し困った表情をしながらも、諭すように静かに答えた。


「そうね。あれだけの絶望的な状況下にあって、どうしてあなたが生き延びられたのか、ブラウン大尉は理由を知りたいのよ。私だって知りたいわ。あの驚異的な飛行兵器の武器から逃れる術をね。これから連邦軍は、私たちは、あの怪物と闘わなくてはいけないんだもの」


(理由なんてない。俺が死ななかったのは、偶然だ。あの怪物の気紛れで、だ)


(俺は生き残ってしまったから、また、戦わなくちゃいけないんだ)


(嫌だなんて言えない。俺は兵士なんだから)


(怖い。すごく怖い。死にたくない!でも、そんなこと誰にも言えない)


 口に出せない言葉が、喉の奥にぐちゃぐちゃに絡まっている。


「かなり緊張しているわね。これじゃ、心音も脳波もちゃんとしたデータが取れない。ケイ、少しリラックスしてくれないかな」


 ケイの脈拍を取りながらリンダが優しく言った。


「…無理です。無理です、もう。リンダさん、俺、兵士に向いてない。だってほら、こんなに」


 ケイは思わず上半身を起こして、自分の身体がガタガタと震え出したのをリンダに晒した。両腕で自分を抱えるような姿勢を取っても、震えは収まらなかった。呼吸が出来ない。胸に溜まった空気で肺が破裂しそうだ。すごく苦しい。


「過呼吸になってる。大丈夫。大丈夫よ、ケイ」


 リンダがケイの隣に腰かけた。両腕をケイの身体に回して強く抱きしめる。


「兵士だったら、誰もあなたみたいになるの。怖いのは当たり前。私もそうだった。落ち着いて」


 ケイの背中を優しく撫でるリンダの手の温もりを感じて、ケイは深く息を吐いた。両目から涙が溢れて止まらなくなった。リンダの胸に顔を預けたまま、ケイは声もなく涙を流した。


「ゆっくり休んで。ケイ。このまま寝てしまいなさい。大丈夫よ。ずっと傍にいてあげる」


 リンダはケイの頭を撫でて軽くキスをした。リンダに言われるまま、ケイは目を閉じた。リンダの両腕に身体と精神の全てを委ねると、恐怖がゆっくりと遠のいていく。

 心地よい虚脱感に迎えられて、ケイは眠りに落ちていった。





 目を覚ますと、医務室の白い天井がぼんやりと見えた。ベッドの脇の椅子に腰かけて口をへの字に曲げた少年が、偉そうにふんぞり返って横たわっているケイを眺めている。


「よう」


 ケイの顔面の上にダンがぬっと顔を突き出して、声を掛けた。


「うわあっ!」


 大慌てで跳ねるように飛び起きると、ケイは医務室を見渡した。


「リンダさんならいないぜ。さっき、お前の心電図と脳波のデータを持って、ブラウン大尉のところへ行った」


「え、でも、何で君が医務室にいるの?」


「俺?リンダさんに、お前の様子を見てるように頼まれたから」


 そう言うと、ダンはものすごく嫌そうに鼻に皺を寄せた。


「どうでもいいから、早く起きて身支度整えろよ。いつまでも胸元開けておくんじゃねえ」


「えっ…あ、あぁ」


 ケイが寝入ってしまってから、リンダが心電図を取るためにボタンを外したのだろう。真っ赤になりながら、ケイはシャツのボタンを留めた。


「あのさ、リンダさんって、すげえだろ。あの人、天性のナースだよな。いや、天使か」


「な、なに?急に?」


「だからさ、あの人のお陰で、立ち直った兵士がどれだけ多いかっていう話」


 ダンは面白くなさそうに言ってから、ケイをぎろりと睨んだ。


「だからさ、お前も勘違いするなっていう事だよ!」


「あ?ああー」


(そういうことか)

 

 エマのにやけた顔が浮かんだ。身支度するケイの手が一瞬止まったのを見逃さずに、ダンが簡易ベッドの下からケイを蹴り上げた。


「ほら、早くしろよ。こんなところで悠長にお喋りしている状況じゃないんだよ!お前がぐーすか寝てる間に、大変なことになっちまってんだぞ!敵がハイランドに進行を開始したんだ」


 ダンは医務室のドアを開けてケイに外に出るように促した。ラボとは別の通路に足を運んでいくと、エレベーターが並んでいる壁に突き当たった。ダンがボタンを押すのを見て、ケイは思った。今度は何処に連れていかれるんだろう?


「軍事同盟軍がハイランド基地に攻撃を仕掛けるっていうのかい?」


「アウェイオンで味方は総崩れだからな。軍事同盟軍はここぞとばかりに、青の戦域の支配区域を広げるつもりだろう。そうなったら、かなりやばいことになる」


「やばいって?」


「お前、何も分かってないのな」


 事態をよく飲み込めていないケイを呆れ顔で眺めてから、ダンは大仰に肩を竦めた。


「ハイランドに進行を許したら、次はカトボラだ。もしカトボラが落ちでもしたら、このヤガタが危ない。ここは連邦軍きっての最新基地なんだぜ。ヤガタが軍事同盟軍の手に渡りでもしたら、苦労して手に入れた青の戦域での力関係が逆転しちまう。兵科に一年しか通っていなかったから仕方がないとは思うけど、少しは勉強しろよ。」


「君は違うの?」


「俺は連邦軍立専門学校の出身だ。特殊選抜でチームαに配属された。将来は将校(メジャー)の階級を約束されている人間だぞ。誰でも入れる兵科のお前と一緒にするな」


 その話でケイは納得した。どうりで最初から上から目線の言葉遣いだった訳だ。微かな機械音がしてエレベーターのドアが開いた。先にダンが乗り込む。


「早く乗れ。これから俺たちは第七格納庫に行く」


「第七格納庫?」


「そうだ」


 ダンはボタンを押してドアを閉めた。地下四階を示すボタンが赤く光る。


「一部の人間にしか知らされていないが、そこにも研究室があるんだ。兵器開発のな」


「え?」


 ケイの心臓がドクンと跳ねた。何でそんなところに自分が連れていかれるのだろう。


「びっくりしてるよな。俺だってそうだぜ。お前みたいな腰抜け野郎の三等兵が、何でここに入れるのか」


 エレベーターの下降が止まり、ドアが開いた。

 恐ろしく高い天井と、巨大な鋼鉄の壁がケイ達の前に現れた。天井の照明は弱く、光は途中から闇に飲まれて、床は殆んど暗闇と言っていい。


 余程通り慣れているのだろう、足元がよく見えない通路を躊躇せずに、鉄の壁に張り付いている一枚の大きな扉に向かって、ダンはすたすたと歩いて行く。扉の脇に厳重なセキュリティー認証装置が付いていて、ダンは素早く八桁の数字を押してから、動脈認証装置に右手首を翳した。


 重い機械音と共に扉が開いた。


「入れ」


 ダンが開いた扉に向かってケイを呼ぶ。

 跳ねる心臓を落ち着かせそうと、手を胸に押し当て息を整えてから、ケイは扉の向こうに足を踏み入れた。 




 飛行兵器の写真を暫く凝視していたヘーゲルシュタインが、ゆっくりと口を開いた。


「一体、これは何だね?これが飛行兵器だというのか?」


 表情は変わらないものの、明らかに困惑した声色だ。どう説明したらいいものか。ブラウンは考えを巡らせていた。

 ヘーゲルシュタインの信頼を一身に受けている自覚があるからこそ、納得して貰える言葉を探してみるが、うまくいかない。大体、未だに自分でも信じられないのだ。砲弾が飛び交う戦域の上空に、空想の産物でしかないはずのドラゴンが出現したなんて。

 

 ブラウンは再度自分に言い聞かせるように、ゆっくりと喋った。


「俄かには信じられないとは思いますが、現実です」


「そうだな。これが現実だとして、はてさて、これをどう上層部の連中が納得するように説明すればいいのだ。奴ら、アウェイオンで、大型爆撃機の空爆を受けたと思い込んでいるからな。軍事同盟軍が大昔の爆撃機を動かして我が軍を壊滅したと。第四パリ条約違反だと息巻いている。まだその方が、我が軍にとっては有難かったかも知れん。過去の遺物であれ、現実的な兵器だからな。だが、これは」


 深く溜息を付いて、ヘーゲルシュタインは両手を組み合わせ、その上に額を乗せた。


「とても機械には見えんなぁ。あまりにも異質だ。兵士がパニックに襲われたまま、攻撃体勢を立て直せなかったのも頷ける」


「それこそが、軍事同盟軍の戦略だった可能性があります」


「そうかも知れんな。どっちにしても我が軍のアウェイオンでの敗戦は決まった。ここで停戦条約を結ぶのが賢明だと思うが、総司令部はそう思っていないらしい。今、ハイランドにカトボラから援軍の傭兵を送る算段をしている最中だ」


「それは、逆だ」


 ダガーから詳細を聞いているブラウンは慄然とした。


「地形的に言ってもヤガタの前哨基地であるカトボラを強化するのが先です。ハイランドにはアウェイオンの生き残りの兵が数多く退避している。パニックを起こした傷痍兵と援軍を一緒にするのは、士気に多大な影響を及ぼします」


「私も同じことを上層部に進言したのだがね。聞き入れてもらえなかったよ」


 憤怒の形相でヘーゲルシュタインが低く唸った。


「それから、ハイランド防衛の全指揮を取れとオークランド司令官からお達しを受けた」


「我々に、丸投げですか?」


「そういうことだ。ヤガタ基地駐在の上級貴族将校の多くはオークランド派だ。敗戦などお構いなしで、御身安泰を図るつもりだ。それに、奴らは我々テクノロジー推進派を異端者だと毛嫌いしている。敗戦の責任を負わせて潰しに掛かるつもりだろう。軍政闘争には、恐ろしく頭が回る奴らだからな」


 先程の作戦会議のやり取りを思い出して、ヘーゲルシュタインは悔しそうに口を歪めてから鋭い視線をブラウンに向けた。


「だが、こちらとて、大人しく潰されるつもりはないのだがね。それで、君に作戦を立てて貰いたい。私の意図する作戦をね。君なら出来る筈だよ。ウェルク・ブラウン大尉」


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