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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第四章 新戦争(ネクスト・ウォー)
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悲恋


 手を握った。

 血だらけの手を。

 胸に引き寄せてしっかりと握ってないと、地面に滑り落ちてしまう大きな手を。





 敵戦車の主砲が雨あられと砲弾を放つ。

 着弾に次ぐ着弾で(もろ)くなっていた強化コンクリートの防護壁を、とうとう砲弾が突き抜けた。直撃を受けたハシモト小隊の歩兵の身体がばらばらに千切れながら、大量の砂と共に戦域の上空に舞い上がる。

 敵の砲弾から庇う為に自分の身体に覆い被さった上官の両足を掴むと、ハナは渾身の力で引き摺って、ハッチを吹き飛ばされて動かなくなった歩兵輸送車の下に押し込んだ。


「少尉、しっかりしてください!」


 声を掛けながらハナは気を失っている上官の頬を叩いた。

 ハシモトの反応はとても弱かった。みるみるうちに青白くなっていく顔と、自分が胸に巻き付けた止血帯に広がる鮮やかな赤い色を、ハナは成す術もなく己の目に焼き付けるばかりだった。


「少尉、何故です!小隊長のあなたが、私みたいな新米の二等兵を庇って、どうして…」


「ハナ」


 不意に名前を呼ばれて、はっとした。薄く目を開いたハシモトの口元に、微かな笑みが浮かんでいる。


「ハナ。良かった。お前は生きている。良かった」


 喘鳴(ぜんめい)の下、微かな囁きにしかならない言葉は、その口元から溢れ出した大量の鮮血でかき消されていく。

 もはや声もない。唇の輪郭だけが言葉を刻む。

 初めて知った。

 戦闘の過酷な日々、鬼神のようだった小隊長は、自分に向かってこんなに優しい表情を浮かべるのだと。


 ハナ、生きろ。


 ハナ、ハナ…。


 最後の言葉は途中で消えた。穏やかな微笑みを浮かべたまま、ハシモトは事切れた。


 何故、今、その言葉を、口にするのか。


 ハナは両手でハシモトの顔を包み込んだ。

 薄く開いたままの瞳を指でそっと閉じて、動かなくなった唇に自分の唇をそっと押し当てた。

 生まれて初めての口づけは温かな血の味で満ちていた。

 熱い涙がとめどなく溢れた。

 戦域の青い空に向かって、喉も裂けよとばかりに慟哭(どうこく)した。



 悲しみではない、怒りの叫びを。



 


「サトー上等兵」


 揺さぶられて目を覚ました。

 慌てて顔を上げると、キキのモニター画面がガルム1の顔の上半分で一杯になっている。ハナは咄嗟にガルム1の肩を掴んで強く押し退けた。


「ハナさん?」


「ああ、ジャックか。ごめん、ちょっと、驚いただけ」


 ハナは指を揃えて眉間に軽く当てた。ハナの動きに連動してキキが同じ動作をする。


「いえ、その、体調が、思わしくないのかと」


 おずおずと聞いてくるジャックに、ハナは自分がキキの中で寝入ってしまっていたことに気が付いた。その証拠に、さっきまで星が瞬いていた空が朝焼けに染まっている。

 時間を確認すると、少なくとも自分が五分以上は意識を失っていたのが分かった。


「ありがとう。ただの居眠りよ。問題ないわ」


 ハナは岩壁にぐったりと背中を預けて足を投げ出した状態のキキを起こした。

 随分とだらしない格好で熟睡モードに入ってしまったらしい。

 前を見ると、アメリカ軍の基地を見張っている筈のリンクスがキキの方に顔を向けてる。

 キキが身体を起こしたのを見届けると無言で体勢を戻し、再び警戒態勢に入った。

 ハナは自分の頬がかっと熱くなるのを感じだ。大失態もいいところだ。

 神経を張り詰めなければいけない戦場でこんなに無防備に寝入ってしまうなんて。

 それに、どうして、睡魔に襲われた五分の間に封印した過去が夢になって甦ったりするのか。


(何故って…だって、それは)


 ハシモト少尉の最期の言葉だけで、私はこの世界を生きているから。

 生かされているから。


(違う!)


 ハナは激しく頭を振って脳裏に浮かんだ言葉を否定した。


(私は、ラストプラン、この作戦を成功させて、生きて帰ると決めたから)


 それが、私の代わりに戦場で命を散らせたハシモト大尉への最大の供養になるのだ。

 いや、償いか。


「それで、私が居眠りしている間に何か進展はあった?」


 隣で所在無げにしているジャックに尋ねてみる。ジャックはガルム1の肩を竦めて、首を振った。


「いやあ。基地の侵入経路を、俺と軍曹のスーツのセンサーを使って探しているんですけどね、大型兵器を搬入出来る場所は、あそこに見える円形の蓋だけみたいなんです。それに岩の上に監視カメラが五か所設置されていて、監視体制に隙が無い」


「私たちに有利な情報は一つもないのね」


 岩陰に潜んでいるリンクスが、こっちへ来いと手招きする。キキとガルム1は、リンクスのいる場所へ静かに移動した。


「あの巨大な蓋は、外からは開閉できない構造になっているらしい。だが、どんなに堅牢な構造だとしても、外からの整備や点検は必要だろう。何処かに人が使う出入口が必ずある筈だ」


「人が使う出入口?」


 ジャックは戸惑ったようにダガーの言葉を反芻した。


「じゃあ、それを見つけたら、俺達はスーツから降りて生身で内部に侵入するんですか?」


「それしかないな」


 ジャックの質問にダガーは躊躇なく頷いた。


「あの円の蓋を開けられれば、基地内部をスーツで攻撃できる」


「はあ…」


 ダガーのあまりに無謀な作戦にジャックは溜息ともつかない返事をしてから、キキにガルム1の顔を向けた。ハナは何も言わずにキキの肩を竦めるだけだった。


「出入口があるとしたら、どうして、生体スーツのセンサーに反応しないんだろう?」


「センサーに感知できないように巧妙にカムフラージュされている可能性があるな」 


 岩の先に張り付いているダガーが、リンクスの顎をそっとしゃくり上げた。


「ハナ、ジャック、空を見てみろ」


 ダガーに促されてキキとガルム1は頭を寄せるようにして岩山から仰ぎ見た。すっかり夜が明けた空に、一羽の大きな鳥が八の字を描くように舞っている。


(わし)だ」


「ドナウ大亀裂体で見かけたのよりも、もっと大きな鳥ですね。それに、こんなに空高く飛ぶ鳥って初めて見ました」


 ジャックが小さな歓声を上げる。


「で、あの鳥がどうしたんですか?」


 ハナは鷲を凝視したままダガーに質問した。


「あれは、本物そっくりに作られたガグル社の疑似生命体ドローンだ。トランシルバニア・アルプスの森林地帯に生息する本物の猛禽類に混じって、アメリカ軍の基地周辺を空から監視してるのさ」


「へえ、さすがガグル社、大した技術ですね」


 ジャックはガルム1の首を動かしてドローンの動きを追った。


「アメリカ軍だってガグル社に負けない高度な技術力を保持しているんでしょう?あの鷲がロボットだって、気が付いていないのかしら」


「ガグル社のドローンと知っていて、わざと泳がせているんだろう」


 ダガーはリンクスの顔をキキに向けた。


「ここはアメリカ軍のホームグラウンドだ。あんなもの、いつでも撃ち落とせるからな」


「それにしたって、ガグル社に懐を探らせても平然としていられるなんて、アメリカ軍って随分と太っ腹なんですね」


 感心しているガグル1の頭をキキが小突いた。


「なに言っているの。あのドローンが不審な動きをすれば、逆にガグル社の動向が分かるから放っておくのよ。それで軍曹、あのドローンをどうしようっていうんですか?」


「そうだな、あの鷲のドローンは、この辺一帯を飛び回ってアメリカ軍基地のデータを収集しているようだ。あれを捕獲して我々の必要なデータを頂く」


「「ええっ」」


 ダガーの言葉に、ハナとジャックは息を飲んだ。


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