誰もが知っている怪物 ※
「映像の解析が終わりました」
科学担当の兵士がプリントアウトされた写真を机の上に一枚ずつ並べていく。飛行兵器の写真を目の当たりにして、ブラウンは首を捻った。
「一体、これは、何だ?」
「アウェイオンの戦場で、全ての兵が、その言葉を口にしました」ダガーが答える。
「確実に言える事がある。これは、飛行機と呼べるものではないな」
「従来の兵器と比べると、形状も動きも、あまりに異様でした。そのせいで、軍全体が動揺して指揮系統が乱れ、攻撃が遅れたのは確実です」
「異様とは?」ブラウンが聞き返す。
「宙に浮いたり、空を大旋回したり。高速で垂直下降している状態から、上体を起こして急上昇するのを見た時は、正直、現実のものを見ているとは思えませんでした」
「現実のものではないと?」
ブラウンは驚いてダガーの顔を見た。
「はい」
険しい表情のまま、ダガーが頷く。
「兵士は口々に化け物と叫んでいました。それに、我が軍目がけて飛んでくる砲弾のような武器も、初めて目にしました。砲弾といっても、それ自体が爆発する訳ではありません。非常に硬質な物質で出来ているらしく、装甲車や戦車の鋼板を容易く貫いて破壊するのです。それも一つ一つの砲弾が意思を持って攻撃してくる」
「意志を持った砲弾だと?信じられん。最前線の大隊が全滅するほどの大量の武器は、一体どこから発射されたのだ?」
「飛行体を取り巻いているのが、そうです」
ブラウンは改めて写真を見返した。粒子状にぼやけているのは、被写体のピントが合っていないからではないらしい。
「これが、そうか」
「はい」
ダガーが写真の粒子を人差し指で擦るようになぞった。
「俺には自分の巣に群がり飛ぶ大量の蜂のように見えました」
「ふぅむ…」
ダガーの話をブラウンは半信半疑で聞くしかなかった
「あの飛行体が、この武器をどうやって遠隔操作させているのかは全く不明です。しかし、命中率は百パーセントに近くて、味方の戦車も兵も、次々とやられました」
ブラウンは別の写真を手に取った。
そこには不鮮明だが、形が分かるくらいには双翼が撮影されていた。
異様に長い優雅な二枚の羽が、両肩の位置から突き出ている。直線的ではなく、少し内側に向かってなだらかに湾曲していた。別の写真では、羽が中央から直角に折れ曲がっていて、次に手に取った写真には一直線に伸びたものが写っている。
「この兵器の羽は、鳥の翼のように自由自在に動かせるらしいな。これが機械だという概念を捨て去るべきなのだろうか?我々の想像を遥かに超える技術を、軍事同盟軍が開発した可能性がある」
「軍事同盟にそんな技術が…」
ダガーが、はっとした表情をする。
「ガグル社ですか?」
「そうとしか考えられん」
「ガグル社が、軍事同盟軍に飛行兵器の技術を提供したというのですか。ロング・ウォー開戦以来、彼らは、我々、共和国連邦を支持している筈ですが?」
今度はダガーが困惑した表情でブラウンに聞き返した。
「ガグル社は、軍事同盟の新型飛行兵器の存在をアウェイオン開戦直前に我々にリークしてきた。敵の極秘機密をガグル社が手に入れたからというよりは、止むを得ない事情があって、こちらに情報を渡したとも考えられる。我々の体制を支持はしているが、百パーセント味方だとは言えないな」
ダガーは険しい表情をして、写真を見据えた。その目は怒りで満ちていた。
「それにしても、何故もっと速く我々に情報を渡してくれなかったのでしょう?あの飛行兵器で、どれほどの兵士が死ぬか、ガグル社には分かっていた筈です。彼らを捨て駒にしていい筈がない」
「エンド・ウォーを生き残って、共和国連邦の国々の全てを合わせた財政を遥かに凌ぐ財力と、それに伴う権力で、今の世界に君臨している巨大企業だぞ?味方を装ったところで、我々に隠している情報など山ほどあるさ。ところで、飛行体の破片の解析はまだか?」
「そちらは、まだ、時間が掛かりそうです」
大型解析機の傍らにいる研究兵がブラウンに返事をした。この研究室にある装置にしたところで、ガグル社が開発したものばかりだ。
ブラウンは、テーブルの上に置いてある飛行体の破片を手に取った。
「真っ黒という訳じゃないな。僅かに光沢がある」
電球の光に透かして見ると、黒から浮き出るように青紫の鈍い光彩が現れた。
「見てみろ」
ブラウンから手渡された欠片を、ダガーも電光に翳した。
「…きれいですね。宝石のように光っている」
「そうだな。だが、天然石ではない。鋼鉄でもない。硬質合金でもない。ナノ強化プラスチックか、それとも我々が知らない未知の物質か。こんな素材を、一体どこの誰が作れると思う?」
エンド・ウォー以後、ここ、ヨーロッパの国々に住む一般市民の生活レベルは二十世紀初頭まで後退した。作物の種子や単純な工作機械など、ガグル社の爪の先程もない原始的な技術を、人々は多大なる恩恵として受けて暮らすのみだ。
だが、軍隊は違う。
エンド・ウォー以後の混乱した世界を再び総括する為に、いち早く回復した国家が拠り所にしたのは、軍事力だった。大いなる皮肉だが、これが現実だ。
しかし、高度な技術が世界を滅亡寸前まで追いやったという事実は、生き残った人類に恐怖と嫌悪感をしっかりと植え付けた。
時代が安定してくると、平和国家の再建には、もはや技術の進歩はいらないと、政治家も民衆も声を上げた。
反テクノロジー派が多勢を占めた為、いくつかの国は科学の進歩を放棄した。年月を重ねるうちにヨーロッパ大陸全土の生活水準は時代を遡るようになり、交通手段が馬車という牧歌的な風景が、あちらこちらに見られるようになった。
時代の逆行に安泰を見出した国もあれば、反対に危機感を抱いた国もある。
エンド・ウォーの混乱を乗り越え、国家崩壊を免れた国々だ。旧ドイツ連邦共和国、エンド・ウォー以後の国名プロシア連邦共和国を筆頭に、新旧同名の国フランス共和国、グレートブリテン北アイルランド連合王国改め、イングランド四ヶ国連邦などだ。
特にドイツ連邦共和国はエンド・ウォー以前より強大な国家となり、近隣の国を自国の州として統合し、現在のプロシア連邦共和国に改名した。事実上、ヨーロッパの覇権国になっている。
しかし、いかに強大な国であっても、民主主義が基本の国家で、国民の意見は無視できない。テクノロジーの進歩は軍部が一手に引き受けることになり、国民から遠ざけられた。
ヨーロッパ大陸で紛争が勃発し始め、戦争拡大を防ぐ名目で戦闘区域が定められてからは、軍事力は陸軍だけに集約された。敵味方とも戦車を主力とし、二十世紀半ばに登場した兵器を手にロング・ウォーと命名された戦争を続けている。
それからどれだけの歳月が経つのだろう。
「エンド・ウォーで世界が失ったハイテクノロジーを、ガグル社だけが保有し進化させている」
“世界の終りの戦争”から百五十年が経過した。人類を破滅の一歩手前に追いやった大戦争は、その直前直後の時代の真相を、もみくちゃにして消し去ってしまっていた。
一体、何が、世界を終末戦争に追いやったのか。
手に入る資料をどれだけ集めようにも、その全容はブラウンには見えてこない。
そして、ガグル社の成り立ちと現状も。
「エンド・ウォー以後、再び永世中立国となったルクセンブルクに、ガグル社の本社がある。立憲公国だったルクセンブルクは、エンド・ウォー以後、ガグル社によって国家を解体されたと言った方が事実に近い」
ルクセンブルクの土地の半分以上が、ガグル社所有になってしまっているからだ。半永久的に平和と文化的な生活を保障された君主と国民は、百年も前に国の実権をガグル社に移譲していた。
ルクセンブルクを中心にして、ヨーロッパ各国の首都に支店を置いているガグル社には、その国の選りすぐりの人材が働いている。
だが、どんなに優秀な社員でさえも、本社からの一方的な命令で動いているだけだ。ガグル社の中枢は、支社のトップでさえも見ることも知ることも許されない。
これが、ブラウンが知り得るガグル社の数少ない情報の一つだ。
「聞くところによると、ガグル社が、どんな技術を開発し所有しているのか、連邦軍の最上層部の人間にでさえ満足に知らされていないらしい。ヨーロッパの国々には、“作物と健康の恩恵を人類に与える平和主義的な”会社として認知されているだけだ。しかしその実態は、独立共和国連邦軍に武器を供給し続ける、軍事産業中心の企業共同体だ」
ブラウンの口はそこで止まらない。次第に憂いた表情で話に熱を込める。
「我々連邦軍は、ガグル社の軍事技術を小出しに提供されているに過ぎない。エンド・ウォーでテクノロジーの継承が断絶されてしまった我々には、彼らの初歩的な技術を甘んじて受け入れるしかないのだが」
ブラウンは胸の上に腕を組んで、机に寄り掛かった。ダガーは黙って上官の長い講釈を聞いている。
「ヨーロッパ東北部から南下するように侵攻台頭してきた軍事同盟と、連邦軍の衝突が避けられない状態になった時、ガグル社は真っ先に共和国連邦を支持する姿勢を取った。
帝国主義的な彼らが大陸の覇権を握ったら、共和国連邦を形成している独立国諸共々、有無を言わさずに軍事同盟軍に解体されるに違いないからな。だから、ガグル社は、我々共和国側に協力するしかないのが実情だ。しかし、だ」
研究室のドアが大きくノックされた。
ブラウンとダガーが同時に扉に顔を向ける。
「入れ」
「コストナー新兵を連れてきました」
ドアを開けたハナが素早く敬礼し、ケイを前に押しやった。ハナに背中を小突かれて、慌てて敬礼する。
「ケイ・コストナーです」
「…君か」
新兵とはいえ、トゥージス隊の生き残りとダガーから聞いていた。
屈強な体格の大柄な少年を想像していたブラウンは、驚きを隠す事が出来なかった。
兵科で一年間訓練を受けてはきているので、それなりに筋力の付いた身体つきはしてる。
だが、自分の前で緊張した面持ちで直立している姿は、どこにでもいる風貌をした少年だ。アウェイオンでの戦いで味方の死を目の当たりにした瞳に、恐怖が張り付いている。
精神的にも年相応といったところだった。思わずダガーに視線を移すと、やはり複雑な表情で新兵の少年を見つめていた。
(どうしたものかな)
期待した人物像とは違ったものの、貴重な生き証人だ。
「コストナー新兵。いくつか聞きたいことがある。事態は緊急を要する。明確に質問に答えるように」
「はい。大尉」
緊張した面持ちでケイは返事をした。
「君の隊は、飛行兵器の放った武器で全滅したね」
「はい…」
「トゥージス隊火器射手レリック二等兵が、敵の攻撃を受ける直前に、君の襟首を掴んで岩場の陰に投げ込んだ。それは事実かね?」
「はい、事実です」
顔にブラウンの鋭い視線が当たっている。ダガーとハナもケイから視線を外さない。
直立の姿勢で顔を上げているのが、ケイはこれほど苦痛に感じたことはなかった。
「その後、飛行兵器の武器で打ち抜かれたレリック二等兵を担いで逃げようとした時、君に向かって、飛行兵器から大型の砲弾のような形状の武器が発射されたそうだが?」
「はい。…されました」
「直撃を食らって大破した戦車もあるようだ。一発でも身体を掠ったら、生身の人間はひとたまりもない。ダガーの話では、君には何発か撃ち込まれたようだが」
「はい。自分に向かって数発飛んでくるのを、目視していました」
「それでだ、が、」
ブラウンが非常に厳しい顔でケイに問うた。
「何故君は、自分が生きていると思う?」
「なぜ?自分が生きている?本当だ、どうしてだろう?」
ケイはブラウンの言葉をぼんやりと復唱した。
「あの時、自分も死ぬと思いました。自分だけでなく、あそこにいた人間全部が。でも、どういうわけか、あの怪物の放った兵器が、自分の身体に当たる直前で反れたんです」
「ダガーの目撃では、君は悲鳴を上げ続けていたそうだが。覚えているかね」
「悲鳴?」
ケイは驚愕して顔を歪めた。
「そうだ。かなり大きな声だったそうだよ」
「そのことは、自分は、覚えていません。あの怪物と、怪物が放った砲弾みたいな武器をずっと見ていた記憶はあるのですが。悲鳴を上げてたなんて…。そんな、俺…」
兵士失格も甚だしい。思わず目を瞑り、顔を下に向けた。全身が震えた。
「悲鳴というのには、些か語弊があります」
ダガーが言った。
「そうなのか?」
ブラウンが意外な顔をしてケイからダガーに目を移した。
「叫んだというのが妥当でしょう」
「なるほど。で、何と叫んでいたのかな?」
「嫌だ、と。コストナー新兵は渾身の力を込めて叫んでいた。それが、まるで自分には」
ダガーはそこで言葉を切った。言い迷っている感じだ。ブラウンが目で続きを促した。
「表現が適切かどうか分かりませんが、飛行体を威嚇している様に見えました」
「飛行兵器を威嚇?」
「彼は非常に怒っていた。恐怖で悲鳴を上げたというより、あれは怒りの咆哮です」
「怒りの咆哮が、飛行兵器の攻撃をかわしたと?」
「はい。鼠を襲った猫が、絶体絶命の獲物に思わぬ反撃をされて、驚いて思わず前足を引っ込めたような、そんな反応でした」
「君の例えは、なかなかユニークだな。ダガー軍曹」
ブラウンは少し呆れたような顔で言った。
「緊迫した現状に合う表現かどうかは別として」
「申し訳ありません」
謝ってはいるが、ダガーは悪びれた様子を微塵も見せなかった。その姿にケイは感心した。生還できた者の務めとして、誰も見たことのない敵の武器を適格に表現していたからだ。
「もし、それが本当ならば、あの大胆な曲芸飛行といい、あれはやはり、ただの機械ではないな」
機械ではない。ブラウンの言葉に、ケイははっとした。そうだ、思い出した。
「大尉、あの怪物には、頭部がありました」
「頭があった?」
ブラウンは眉を顰めた。
「怪物の武器は、あれの体を取り巻いている無数の砲弾です。大量の迫撃弾への防御と、我が軍への攻撃に使用した事で、かなりの数を消耗させたのだと思います。自分の真上に飛行兵器が浮いているときに、はっきり見えたんです。首と頭と胴体が…。自分の上で頭を下に向けて、レリック二等兵を担いだ俺を見ていた。あれには意思がある。そう感じました」
「コストナー新兵!想像でものを言ってはいけない。あなた、自分が何を言っているか、分かっているの?」
ハナがケイを窘めた。また怒った顔をしている。
「機械に意思があるわけないじゃない」
「でも、本当なんです。サトー上等兵」
ケイは必死でハナに訴えた。
「軍曹がさっき話した通りです。あの化け物の飛行体はこいつらどう始末してやろうかって、俺達の上を面白半分で旋回している感じでした。あれは機械じゃなくて、あれは、あれには」
顔があったんだ。怪物の、黒い胸の中に埋もれた、小さな顔。
表情もはっきりと覚えている。驚愕に彩られた大きな瞳の、繊細な造りをした人間の、少女の顔が。
(そんなこと言えない。言ったら俺は…)
恐怖のあまり、幻を見たと笑われるのが関の山だ。
「君もダガーと同じくユニークな発想をするんだな。悪いことではないよ。あの飛行兵器が、君の何かに反応して攻撃を止めたのは確実だ。紛れもない事実だ。それをすぐにでも検証するのが、我々に求められた重要課題だ。サトー上等兵、コストナー新兵を早急に医務室へ案内してくれたまえ」
「了解しました」
ハナはケイの腕をむんずと掴んだ。
「えっ?!俺、いや、自分は、どこも怪我していませんが」
「いいから、早く来なさい」
少し抗う姿勢を見せたケイを、ハナは問答無用で研究室から引っ張り出して、扉を閉めた。
「さて」
ブラウンは隣にいるダガーに視線だけ向けて問うた。
「ケイ・コストナー。彼はどこにでもいるような普通の子供だ。あの少年に、特別な何かがあると思うか
ね?」
「感知能力は、普通の人間よりは、鋭いようです」
思案気な表情でダガーがブラウンに答えた。
「そうだな。飛行兵器とその武器をよく観察している。あの地獄のような状況でだ。戦場での冷静な洞察力は、胆力がある証拠だな。問題は、実戦の経験がほぼゼロということだ。使えるようになるだろうか?」
ブラウンの質問には答えずに、ダガーは飛行兵器の写真に目を落とした。
砲弾除けの鋼鉄の壁から、ダガーはケイと飛行体の一挙一動を逃さず見ていた。
飛行体は、今から自分の生贄にする少年の上を興味深げに旋回していた。無抵抗な獲物を屠る衝動に駆られた無意識的行動。あの邪悪さに意思など存在しないと誰が言えるだろう。
「ブラウン大尉!」
動揺した様子で、研究兵が駆け寄って来る。
「飛行体の周りの粒子を画像処理して取り除いてみたら、こんな形状になりました」
研究兵が震える手で一枚の写真をブラウンに差し出した。その顔に血の気がない。
「どうした?」
受け取った写真を見て、ブラウンは大きく目を見開いた。
「ヴァリル、見てみろ。お前には、これが何に見える?これは、機械か?」
いつも冷静沈着なブラウンの声が上擦っている。そんなブラウンの声を初めて耳にした事に驚きながらも、ブラウンから手渡された写真を見た。瞬間、ダガーは衝撃で動けなくなった。
誰もがこの怪物の正体を知っている。
だが、かつて、この実物を見た人間が存在しただろうか。
見たことがあるとすれば、古今東西、それは現実の世界にいる人間ではない。
「軍事同盟軍め。我らを狂気の世界に引きずり込むつもりらしい」
「ブラウン大尉」
ブラウン以上に掠れた声でダガーが言った。
「これは…竜だ…」
「ダガー軍曹」
ブラウンは、呆然としているダガーの前で大きく両手を広げ、引き攣った笑顔で呻いた。
「ようこそ、おとぎの国へ」