言い分
中央会議室の豪奢な扉を勢いよく開けた。
今では貴重な松の大木で作られたテーブルの上に肘を突き、両手を組んで沈痛な面持ちで頭を垂れている将校達が、少し遅れて来たヘーゲルシュタインに一斉に目を向けた。
「戦局は?」
アウェイオン戦の総指揮を取るオークランド司令官が掠れた声を出した。逐一報告を受けている筈だが、信じられないのか、それとも信じたくないのか、まだヘーゲルシュタインに凶報を喋らせるつもりらしい。
「深刻な状態です。前線の大隊がほぼ全滅、後方の予備隊も、かなりの深手を負っています。我が軍はアウェイオンを完全に放棄し、生き残りの兵をハイランド基地に結集させています。ですが、負傷兵よりも戦死者の数が多く、生き残ったものの、精神の動揺が激しい兵士が著しい数に上り…」
「分かった。もういい」
オークランドが俯いたまま、ヘーゲルシュタインの報告を手で静止した。
「飛行兵器の攻撃を受けたとの報告を受けているが」
「はい。詳細は不明ですが、大型の飛行兵器だとの報告を、自分も受けております」
「その飛行兵器から、ミサイルやロケット弾の爆撃を受けたのか?」
「それも詳細は分かっておりません。しかし、我が軍の主戦力である戦車が、飛行兵器の武器で大部分が
大破したとことは事実です」
「大型爆撃機か。エンド・ウォー以前の主力兵器だ。まだ軍事同盟軍が保有していたとはな。しかし、そんなクラシックな兵器を、どうやって飛ばしたんだ?あれが活躍していたのはエンド・ウォー以前の、百五十年以上も前の話だぞ」
オークランドが眉間に深い皺を寄せながら苦悶した表情で言った。
「可能性はあります。敵の二足走行機械兵器を確認した時に、もっと注意を払うべきでした。元々あの同盟軍は、エンド・ウォー以前、世界一と言われる高度なテクノロジーを誇っていた国家の生き残りですから」
そう答えてから、ヘーゲルシュタインは自分の言葉の意味を再認識するように、顎に手をやって視線をテーブルの上に落とした。
「それより問題なのは、軍事同盟が条約を一方的に破棄したということだ!新ジュネーブ議定書には、飛行兵器の使用禁止が明記されていた筈だ!これは由々しき事態に他ならない」
突然、恰幅の良い将校がヘーゲルシュタインに向かって声を荒げた。
チェース准将だ。きぃきぃと甲高い声で鳴き喚く子豚のようにうるさい男だ。
凡庸の塊でしかないこの男は、イングランドの王族の縁戚というだけで、共和国連邦軍内におけるイギリス貴族将校支配の恩恵を受けて高級将校に選ばれた人物だった。
「第四パリ国際条約の事を仰っているのですか?百年以上前の、それもエンド・ウォー直後の混乱の時代に仮締結された条約ですよ!今更持ち出しても不履行にされる可能性が高い」
思わず、自分よりも順位の高い将校の上げ足を取ってしまったヘーゲルシュタインを、別の貴族将校が無言で睨み付ける。
「だが、条約は条約だ!汚い奴らだ!」
怒りを抑えられないのか、チェースは拳でテーブルを叩いた。
無能な貴族軍人め。
ヘーゲルシュタインは聞こえないように舌打ちした。己が非を被らぬように、敗戦の責任をそこに持っていくつもりか?
「とにかく、この状態を一刻も早く打開せねばなりません」
そこで言葉を切って、ヘーゲルシュタインはオークランドをちらりと見た。オークランドは腕を組んだまま、顔を上げようともしない。ヘーゲルシュタインは言葉を続けた。
「参謀総長のお考えは?どのように仰っているのでしょうか?」
「ハイランドで軍事連合を何とか食い止めろとの仰せだ」
オークランドは深く息を吐いた。
「まだ、降伏するには早いとな」
「しかし、ハイランドで兵を立て直すのは無理です。あそこの基地には負傷兵が溢れかえっています。そんな場所で敵を迎え撃つのは狂気の沙汰だ!兵力を温存させるためにもカトボラまで撤退させるべきです」
「何を言っているのだ、大佐?兵をカトボラまで撤退させてしまったら、このヤガタ基地はどうなる?目と鼻の先だろうが!」
再び、チェースが大声で怒鳴った。階級が下の者を怒鳴りつけることで、恐怖を悟られないようにしているつもりだろう。虚勢も甚だしい。
(命が惜しければ、直ちに軍人を廃業するんだな)
吐き捨てたい言葉を喉の奥に押し込んでから、ヘーゲルシュタインはオークランドに鋭い視線を向けた。
「では、早急にハイランドへ援軍を送らねばなりません。しかし、カトボラに待機させている正規兵を援軍に送るだけでは、足りないでしょう」
「お前の裁量で、傭兵でも何でもハイランドに送れ。援軍の要請は、既に後方の基地に出してある。ハイランドが落ちるとなると、我ら独立共和国連邦と軍事同盟との立場が逆転してしまう。そんなことになったら…」
(まず最初に、お前らの首が飛ぶ)
頭に浮かんだ言葉に、口の筋肉が緩んだ。唇の両端が持ち上がらないように、ヘーゲルシュタインはへの字に口を引き結んだ。
自分の立場も厄介なことになるのだが、それでもこの場に雁首並べた将校の失脚を想像すると、図らずも胸が躍ってしまう。自分でも呆れる程のへそ曲がりだ。ヘーゲルシュタインは心の中で呟いた。
「あと少しであの傲慢な侵略者達を、このヨーロッパから追い払うことが出来たのに。このまま進行されたらプロシア本国が危険に晒される。何でこんなことになったのだ?」
立派な黒い顎髭を蓄えた将校が、会議室の豪華なテーブルに向き合っている面々に向かって哀れな声で訴えた。将校たちは押し黙って俯いたきり、一言も言葉を発さない。
豪奢な椅子に身を委ねながら頭を抱え、悲壮感を漂わせる上級将校達に、ヘーゲルシュタインは言ってやりたかった。
あなたたちの見通しが甘かったからですよ、と。
ロング・ウォー終結の偉業達成に浮かれた司令部の脇の甘さが、この大敗を生んだのだ。
軍事同盟軍が放った、たった一機の飛行兵器で味方の師団が総崩れを起こし、前線の大連隊が全滅した。軍事同盟軍は敗退すると見せかけて、わざと後退していたに違いない。
あれは我が軍を一気に叩き潰す為の作戦だったのだ。我々は、勝ち馬に乗ったつもりで敵の懐に深く飛び込んでしまった。地獄が待っていたとも知らずに。
「司令官、傭兵とおっしゃいましたが、大敗した我が軍に、傭兵団の親方衆が自分たちの貴重な人材を差し出すでしょうか?」
ヘーゲルシュタインがオークランドに疑問を投げた。テーブルに視線を落としながら、オークランドはまるで他人事のような口調で喋った。
「傭兵団と契約を結んでいるのは我々共和国連邦軍だ。軍事同盟軍は傭兵など鼻にも引っ掛けんからな。奴ら、文句は言うまい?」
「しかし…」
「いいから、司令官殿の言われた通りにしろ!」
さっきから喚き散らしているチェースが、再びヘーゲルシュタインを怒鳴りつけた。ヘーゲルシュタインはチェースを睨みつけて、静かに言い返した。
「今回の作戦を立てたのはあなただ、チェース准将。貴殿がハイランドで直接指揮を執るべきではないのですか?」
「何だと、貴様。上官に向かって」
チェースが歯を剥き出して唸り声を上げた。生白い顔に脂汗が噴き出している。
「私の直属の上官は貴殿ではない。そういえば、貴殿の直属の配下にあるオルホフ大佐は、アウェイオンの前線で飛行兵器の攻撃を受けて瞬殺されたそうですな。お気の毒に」
「この!」
名指しで批判されたチェースは、顔を真っ赤にしながら椅子から立ち上がった。
突き出た腹の肉が勢いよくテーブルの上にせり出す。ヘーゲルシュタインは、立派な軍服で覆われている脂肪の塊に容赦ない侮蔑の視線を落とした。何て醜くて滑稽な眺めだろう。
「口を慎みたまえ、へーゲルシュタイン。仲間内で喧嘩しても何もならんだろう?」
オークランドが両手を上げ、口論となりそうな二人を遮った。
「確かに傭兵団の親方衆は兵を出し渋るだろうな。だが、彼らは金で解決できる連中だ。ハイランドには、老兵か少年兵を出すように言え。弾除けにするのだ。年寄りと子供が向かってくれば、いくら無慈悲な軍事同盟軍でも多少は躊躇するだろう。捨て駒になる前線の傭兵には、いつもの金額よりいくらか上乗せして支払ってやれ。実戦に使える傭兵には、いつもの倍の金を提示すればいい。奴らはそれで納得すると思うがね。援軍が来るまで、とにかく時間を稼がなければ」
(こいつは何を言っているんだ?)
ヘーゲルシュタインは鋭く目を細めてオークランドを見た。
(軍事同盟軍の機械兵器が、子供と年寄りの兵隊を攻撃対象外と認識すると思うのか?)
「それより問題は飛行兵器です。あれがまた襲来したら、ハイランドはひとたまりもありません」
「空を飛んでるものは、銃弾で撃ち落とせ。鳥を狩る要領でな。ロケット弾と重迫撃砲を雨の如く浴びせれば飛行兵器とやらも無傷ではいるまい。ヘーゲルシュタイン、ハイランド防衛は君に一任した」
(何て最低な作戦だ。飛行兵器の威力を知らないから、こんな戯言をほざくのだ)
上官達は誰も理解していない。敵の上空を飛んだだけで、前線に配置した二千人以上の兵士を殲滅してしまう兵器。あの飛行兵器はエンド・ウォーの時代を遥かに凌駕する技術で作られている。ヤガタを支配する貴族将校達には、この深刻な事態が全く飲み込めていない。
ヘーゲルシュタインはこの場にいる将校達の空っぽの頭を一つずつ殴りつけたい衝動を、己の唇の内側を強く噛んで耐えた。
「了解しました。さっそく手配にかかります」
慇懃に敬礼してから、ヘーゲルシュタインは会議室を後にした。
廊下に待機していた部下の兵士にすかさず指示を出す。
「私の執務室に至急ブラウン大尉を呼べ!」