身の上話
「クリスって、誰?」
エマがケイの顔を覗き込むように上半身を傾けた。
下から自分の顔をエマに覗きこまれる格好に、ケイの心臓が飛び跳ねる。
慌ててそっぽを向きながら、感情を押し殺した声で話し始めた。
「同じ養護院で一緒に暮らしていた、俺の兄さんのような存在だった人さ」
「養護院って…」
エマが戸惑った表情をする。
「親のいない子供達の施設だよ」
ケイは努めて平穏な声で言った。
「親が死んだり行方不明になったりして、どこにも引き取り手がない子供が入所する。戦死した兵士の子供が多かったかな。残された貧しい親族が、どうしても子供を育てられないからって連れてくるんだ。…俺の場合は、母さんが病死して、面倒見られなくなったって、父さんが預けたらしい。そう養護施設の保母さんから聞いた」
「あんまり人に言いたくない話だよね。ごめん。無理に喋らせちゃって」
「そんなことないよ」
ケイは困惑で顔を曇らせているエマに、緩やかに笑い掛けた。
「気にしないで。俺さ、クリスの事、誰かに話したいって、いつも思っていた。だから、エマが聞いてくれて良かった」
「本当に?」
「ああ」
エマのか細い声に、ケイは勢いよく俯いた。
「クリスは俺の面倒をよく見てくれていた。親なしって町の子に苛められて泣きべそをかいている幼い俺を抱きしめてくれたよ。本当に優しい人だった。
とても頭が良くて、運動神経も抜群で。何をやっても優秀でさ、軍に入隊してからは、平民出身では異例の速さで士官に出世したんだ。施設の、いや、町の…とっても小さな町なんだけどね、クリスは住人の期待を一身に背負っていたんだ。
でも、戦死してしまった。そのときは町全体が悲しみに包まれた。クリスはみんなの英雄になったんだ」
「ふうん」
上半身を前に屈めて両の掌に自分の小さな顎を乗せてから、エマはつまらなそうに口を尖らせた。
殊勝な面持ちで話を聞き出した態度はどこへやら、投げやりな態度のエマに、ケイは少なからず傷付いた。
「だから言ったじゃないか。大した理由じゃないって」
「それで、ケイ。あんたも戦死して、その小さな町の英雄になりたいって訳じゃないよね?」
「違うよ」
ケイはむっとして口をへの字にひん曲げた。
「クリスを目指しているけど、俺は死ぬつもりなんかない」
「そう、良かった。チームαは誰も死なないの。それがあたしたちの信条だって、軍曹の言葉は覚えているよね」
エマがにっこりと笑った。
あまりに美しい笑顔にケイはそっと息を飲んだ。
悲しいかな、腹立ちもすぐに消し飛んでしまう。
午前零時に、ダガー率いるハナとジャックがラストプラン遂行の為にヤガタ基地を出発したとロウチ伍長から伝えられたのは、今日の訓練が始まる直前だった。
(それで機嫌が悪いんだった、よな?)
何故って、ラストプランのメンバーにエマは選ばれなかったから。
(あいつは軍曹に惚れているからな。自分がラストプランの任務に選出されなかったもんだから、その腹いせに俺に当ってるんだぜ。分かりやすいだろ?ガキだよなぁ)
格闘技の練習で、エマにこてんぱんにやられたダンが悔しそうに耳打ちしたのだ。
肩を竦めて仕方なさそうに首を振るダンの腫れた顔と口元を、とても気の毒に思ったことまでケイは思い出していた。
「エマ、君は準貴族出身なんだろう?何故、兵士になったの?それに、そんなに…」
綺麗なのに。
「そんなに、何?」
エマが怒った顔をケイに向けた。ケイはしまったと思って口を噤んだが遅かった。
「思っている事は口に出して言いなさいよ、ケイ」
「ああ、分かった」
女の子だからって遠慮するのはもうやめた。
ケイはエマのエメラルドグリーンの瞳に自分の両眼をしっかりと据えた。
「君が先に聞いてきたんだ。だから俺にも聞く権利があるよね。準貴族の令嬢でいれば、何の不自由もない優雅な生活ができる身分の君が、どうして一般人兵士になったのかって」
「そうだね。こっちから聞いたんだもの、黙っていたらフェアじゃないよね。あたしが兵士になった理由を教えてあげる」
エマは深く息を吸い込み、ふうと吐き出してから話し始めた。
「誰から聞いたか知らないけれど、あなたが知っている通り、あたしは準貴族ヤコブソン家の末っ子として生まれたの。両親には待望の女の子の誕生だって聞いた。だからかしら、蝶よ花よと、それは大切に育てられたわ」
「施設で育った俺には羨まし過ぎる生い立ちだな」
「そう思われても仕方ないよね。兵科に進んだ時、それで随分苛められた。準貴族の子が何で士官学校じゃなくて一般の兵科に来るんだって。それも女が」
エマは自嘲気味に笑った。
「あたしはね、結婚したくなかったんだ。それで兵科に入ったの。何故って、上流階級の子女にとってはそれだけで傷物になるからね」
「ええっ!結婚!?だって君はまだ十六だろ?」
ケイは目を見開いて隣で俯きながら話すエマを見つめた。
「今の話じゃないって。あたし、十三の時に貴族のおっさんと婚約させられそうになったんだ」
「十三歳で、け、け、結婚!!まだ子供じゃないか!」
ケイは驚いて叫んだ。仰天して青くなったケイの顔を、エマはつまらなそうに眺めた。
「そうだよ。自分自身、まだ子供だと思っていた。両親は、あたしを金持ちの侯爵の跡取り息子に嫁がせて準貴族のヤコブソン家を貴族に格上げして貰おうと画策していたの。この身体が親の夢を叶える道具だと知って、あたしは家を飛び出したんだ」
エマの脳裏にその時の場面が浮かんだ。