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青の戦域    作者: 綿乃木なお
第三章 時代は踊る
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訪問者


 トントントン。


 軽いノックの音がした。

 突然の音に、ケイはベッドから飛び起きた。

 こんな夜中に一体誰だろう。

 慌てて腕時計に目をやると、夕食を取ってから一時間も経っていない。

 シャワーを浴びてから部屋に戻り、ベッドに寝転んだ途端に寝てしまったらしい。訓練漬けで疲労しているせいもあるが、一人部屋を貰えて気が緩んだのが大きかった。

 少しの間を置いて、再びノックが繰り返された。


 トン、トン、トン。


 音は最初より大きくて、静かな部屋にしっかりと響いた。

 ケイはベッドから上半身を怠そうに起こして胡乱な目つきでドアを見た。


「えっと、どなたですか?」


 ベッドの上に腰を下ろしたまま、大きな声でドアの外にいる人間に慇懃に尋ねると、想像もしていなかった可愛らしい声が返って来た。


「あたし。エマよ。ヤコブソン二等兵」


「ヤコブソン二等兵?!」


 ケイは急いでベッドから降りて、床に脱ぎ散らかしたブーツを素足で踏みつけてドアに向かった。ドアを開けると、エマが少し俯いて立っていた。


「どうしたの?こんな時間に」

 

 言ってしまってから、それが随分間抜けな質問だと分かって、ケイは頬を赤くした。


「まだそんなに遅い時間じゃないと思ったんだけど…。ああ、ごめん。寝てたのね」


 エマはケイの姿をちらりと見てから、通路の方へ目を逸らした。


「あ、いや、うん?」


 ケイは自分がTシャツにトランクスという格好でベッドに仰臥していたことを、今更ながら思い出した。


「わっ!ごめん!ちょっと待ってて」


 顔全体を朱に染めながら一旦ドアを閉め、ベッドの上に脱ぎ捨ててあったズボンに慌てて足を突っ込む。それからおずおずと部屋のドアを開けると、エマは所在無げに壁にもたれてケイを待っていた。


「寝てたけど、少しうとうとしていたただけで」


「疲れているよね。フェンリルに慣れる為にハードな訓練が続いているんだものね。ごめん、出直すよ」


 残念そうに目を伏せてドアから手を離すエマに、ケイは慌てて言った。


「いや、大丈夫。一人部屋になったから、ちょっと気が抜けただけなんだ。それに、そんなに疲れてはいないよ」


 これは嘘ではない。昨日まで同室だったダンが別室に移動して余計な気遣いがなくなった。

 それとロウチ伍長の地獄の特訓のお陰で、フェンリルの人工脳に同期(シンクロ)出来る時間も大分長くなった。

 今日は三時間搭乗していたが、アウェイオン戦の時のような恐ろしい副反応は全く出ていない。フェンリルはケイを仲間と認識し、ケイの動きに素直に連動してくれているからだと確信していた。


「それで、その」


 何か用?では無愛想過ぎる。

 自分のような少年の部屋を、夜一人で(まだ、八時前だけど)訪ねて来る女の子には使っちゃいけない、と、思う。…多分。

 言葉をどう繋げていいか分からずに、ケイは草を咀嚼する牛のようにもごもごと口を動かした。


「部屋の中に入っていいかな、ケイ。戦闘チームを組む仲間として、あんたと直接話がしたかったんだ」


 引き締まった表情のエマに、ほんわかとした感情が吹き飛んだ。どうやら深刻な話らしい。



「う、うん。どうぞ」


 招き入れようとする前に、ドアの前に塞がったように立っているケイの身体を押し退けて、エマがずかずかと部屋に入って来た。


「ふう―ん。これがケイの部屋」

 ベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋を、エマはぐるりと見渡した。

 さっきまでケイが大の字になって寝ていたベッドに目を落とす。くしゃくしゃになった毛布を四つ折りに畳むと、マットレスの上にどっかりと腰を下ろした。

 まだぼんやりとドアの前に立っているケイに、こっちへ来いとばかりにエマが顎をしゃくる。

 マットレスをぽんぽんと叩くエマのすぐ隣に座ることが出来なくて、ケイは遠慮がちにベッドの端に腰掛けた。


「話って、何?」


 口を開けば飛び出すのは躊躇(ためら)いがちな言葉ばかりで、ケイは少し落ち込んだ。


「聞きたいことがあるの」


 エマはケイの顔をしっかりと見据えて言った。


「ケイ、あんたはどうして兵士になったの?」


「な、何を唐突に」


 エマの口から飛び出した突然の言葉に、ケイはまた口籠ってしまった。淀みなく喋れないもどかしさと、エマの不躾な質問に、耳朶が熱い熱を持つ。


「俺が兵士になった理由なんて聞いてどうするの?」


「単純に興味があるからって言ったら、ケイは、気を悪くする?」 


 そう言って、エマが少し首を傾げ、愛くるしい表情をケイに向けて瞳をくりくりと動かした。


「いや、全然!」


 初めて見た。こんなに可愛らしいエマの仕草。それで、えらく動揺して、ケイは反射的に答えていた。


「気なんか悪くしてないよ」


「あんたがフェンリルを操縦できるただ一人の兵士だから」


 エマはケイに向かって身を乗り出すように顔を近づけた。


「だからどうしても興味が沸くの。だって、あんたは、あのフェンリルが受け入れた唯一の人間なんだもの。あの狼には特別な嗅覚がある。ドラゴンに襲われた兵士でただ一人生き残った人間だからかな?あんたの類まれなる意識が、大いなる意志が、フェンリルを動かしたとしか思えない」


「大いなる意志なんて、どこにもないよ」


 ケイは激しく首を振ってエマの言葉を否定した。

 じりじりと近づいてくるエマから距離を取ろうとして、自分がベッドの端に座っていることに今更ながら気が付いた。

 逃げ場はない。狼狽えたケイは悲鳴を上げるような甲高い声を出した。


「ただの偶然さ。俺がアウェイオンの戦いで生き残れたのも、ダガー軍曹に拾われたのも。今迄のパイロットよりは同期(シンクロ)の数値が良さそうだって理由だけで、俺はボリス大尉に無理やりフェンリルに搭乗させられたんだって、君も知っているじゃないか!兵士になった理由とは全然関係ない。それに…」


「それに?」


「俺が兵士を目指したのは大した理由なんかないんだ。本当だよ」


「そうだとしても、あたしは知りたいの」


 エマは頭をケイの方に傾けて大きな瞳でケイをじっと見つめた。

 明るい金髪と陶磁器のような滑らかで白い肌、濁りのない大きなエメラルドグリーンの瞳。

 ケイは呆けたようにエマの顔を見つめた。柔らかそうな薄紅色の唇が、ケイに向かって呪文を唱えた。


「ねえ、お願い。教えてよ、ケイ」


 自分の頬が別の感情で熱くなっていく事に気が付いて、ケイは慌てて自分の膝に視線を落とした。

 降参だ。肩が触れ合いそうなほど近くに座った少女に、小さく呟いた。


「俺は、クリスみたいに、なりたいんだ」


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