エンナの町
翌朝、予定通りに街を出てしばらく道沿いに進み続ける。最初こそ初めての馬車にテンション上がりまくりのコゼットであったものの2日目になると非常に退屈そうに外の景色を眺めたりしている。
「ほら、エンナが見えてきたわよ!」
ウルスラがそう叫んで前方を指差す。
シロクサを出ておよそ5時間、ようやくエンナの町が近づいてきた。まだ町の輪郭がぼんやり見える程度の物だが、人々が言うように『異様な雰囲気』というのは特に感じない。
少しずつ町の全容が見えてくる。人口2000人程度の中規模の町であるエンナは周囲が簡素な木の柵で覆われており、堀などもなく外敵からは全く無力であろう。町内はほとんどが木造の建築物であるものの石造りの建物もわずかながらあるようだ。
「おっきな町ですねぇ!」
とコゼットが宝石のような瞳を輝かせる。カルディアの時もシロクサの時も同じことを言っていたのを思い出し忠一は吹き出しそうになった。
そもそもカルディアに来るまでの間小さなひなびた村から出たことのないコゼットにはほとんどの人里が「おっきな町」になるのだろう。
町の入り口がはっきりと見えてきた今でも依然として不自然な点などは見つからない。し かし、町の入り口に立っている門兵の検問を受けて忠一は始めてわずかな不安を覚えた。
門に立つ兵士の姿はカルディアのミハエルとは随分違い、その皮の胴当てや、ぼろっちいインナーはどちらかというとまるでコゼットの村にいた山賊のようである。コゼットもそう感じたのか、目も合わせたくないといった風に視線を下に落とす。
一見してやる気のない。めんどくさそうな顔の兵士であるが、しかし、忠一の姿を見るなりギョッと目を見開き、警戒心に満ち溢れた表情に変わった。
「その格好はなんだ?」
冷静さを保とうとしているのだろうが視線がどことなく泳いでおり、体も落ち着きなくソワソワしている。まるで教師に非行が露呈した学生のようだ。
「ただの杖だよ」
いかにもなんでもなさそうに忠一がしらばっくれる。
もちろんコゼットもウルスラもそれがただの杖などではなく、人差し指をほんのわずかに動かすだけで人間を一瞬で殺傷する能力のある恐ろしい武器であることはよく知っているものの、当然余計なことは言わない。
門兵が疑惑の光を目から消すことなく今度はウルスラに問いかける。
「この町に何の用だ?」
「随分態度の悪い兵士ね。クレイン商会の者よ。商談で来たの。ほら、これが証拠」
そう言ってウルスラが、門兵に商人ギルドから発行される身分証代わりの手形を突きつける。
門兵はめんどくさそうに、しかし一行から警戒心を解くことなく手形を確認すると、無言で、立てた親指を町内に向ける。行ってもよいという意味だ。
ウルスラは、無礼な兵士に心外だったのか、突き返された手形をひったくるようにして取り返すとお礼を言うこともなく馬車を町内に進めた。
町に入ってみてすぐに異様さに気付く。町の中央に向かって伸びる幅5メートルほどの石畳は随分整備がおざなりなようで所々舗装が剥げていたり小さな穴が空いており、時折馬車が大きく揺れた。
それだけではない、メインストリートの両脇にあるいくつかの店には全く活気がなく、時折店頭に吊るされた看板が落ちかけていたりもする。
すれ違う人々も来ている服そのものはコゼットが来ているような簡素なチュニックであるもののところどころ擦り切れてたら色落ちしていたりと質素というよりは粗末というほうが正しい。
老若男女みな頬がこけており、目からは生気が感じられない。そんな町人たちは、時折訝しげに馬車をほんのわずかに一瞥するが、それ以上は中の忠一たちを見るでもなく、すぐに顔を下に向け、背中を丸めてトボトボとどこかへ歩いていく。
よくよく街を見回していると、カルディアの兵士のように、チェーンメイルを纏った兵士を見かけたかと思うと、同じ数だけあの門兵のような装備の兵士も見かける。
何故同じ町の兵士がこうも違う格好をしているのか忠一には見当も付かない。ただ、よく見るとちゃんとした装備の正規兵は町人たちと同じくらいやせ細った身体と虚ろな目をしているのに対し、ゴロツキのような格好をしている兵士たちは至って健康そうで余裕そうな顔で仲間たちと楽しそうに談笑などしている。
商談を行おうにも、商店街はどこも営業してる雰囲気は無く、仕方なしにまずはエンナの町を支配している領主に挨拶しに行くこととなった。
「お伺いしてもよろしいですか? この町の領主様はどこにお住まいかしら?」
ウルスラが、その辺にいた若い男を捕まえてそう訊くと、男は一瞬肩をびくりと震わせ、恐る恐ると上目遣いでウルスラと目を合わせた。
男の頬はこけており、その瞳には怯懦の色がはっきりと伺えた。少し間を置き、男は無言で西の方角を指差してそそくさと立ち去ってしまった。
一行は男の指差した方角へと進む。町の中心を抜け、民家が軒を連ねる。一見して普通の乾拭き屋根の木造の民家のはずだが、ところどころ屋根や壁が剥がれたり、穴が空いたりしている。しばらく補修をしていないようだった。
住宅街を抜けると一面畑が広がっている。小麦とオリーブが風になびいており、ここだけは一見して普通のーーいや、むしろ豊穣の畑である。しかし、よく見ると川のほとりに建てられた水車はボロボロで、その機能を果たしておらず、何年もそのまま放置されているようだった。
「妙ね...」
しっかりと馬の手綱を制御しながらウルスラが独り言ともとれる小さな声で呟いた。
「どの辺が?」
忠一が尋ねるとウルスラがアゴで畑を指した。
「この町の人たち随分飢えてるみたい。なのに作物は小麦とオリーブ」
「それの何がおかしいんだ?」
「可食部が多い大麦ではなく贅沢品の小麦、明らかに自給分を超えたオリーブ。交易してないはずなのになんでこんなに贅沢品を作ってるのかしら...みんなこんなに飢えてるのに...」
そんなことを言われても門外漢の忠一には分からない。「さあ」と答えるしかなかった。
しばらく進むと、大きな石造りの建物が見えてくる。それは町人の住む家と違い、随分と手入れが行き届いているようだった。
街を囲む柵よりも立派な鉄柵に守られた屋敷の門には、やはり簡素な鎧を身に纏ったガラの悪そうな男が2人辺りを警戒している。
門の前で3人は馬車から降り、ウルスラが一歩進んで男たちに声をかける。やはり、この手の男は苦手なようで、コゼットは忠一のすぐ後ろに回りそっと、忠一の服の裾を握った。
「クレイン商会のウルスラ・クレインです。商用で、ここの領主様とお話ししたいのですが...」
声をかけられた男がめんどくさそうな顔になった。
「ああ、待っててくだせぇ」
兵士は傍の同僚に顎で指図する。するとその同僚は何も言わずにとっとと屋敷の中に入っていった。
ふと残った兵士が忠一の顔を見てやや目を見開いた。
「その格好は...?」
疑わしげに忠一に問い詰める。
「なんでもありませんよ」
先ほどの門兵もそうであったが、なぜそんなにここの人間が忠一の格好に食いつくのか分からない。確かにこの世界では随分変わった格好なのかもしれないが、だからと言ってそんなに気にされる筋合いもないのだ。
やがて、屋敷に入っていった男が戻ってきた。
「申し訳ないが、今日は忙しくて相手を出来ないようだ。明日、また来てくれとのことだ」
だからとっとと失せろとでも言いたげにその男は言い捨てた。
ウルスラはどうにも納得できなさそうだったが、グッと堪え、「ではまた明日」と頭を下げて忠一とコゼットを連れて馬車に乗り込んだ。