再会
満身創痍の身体に鞭打ちながらなんとか森を出た2人は、待ち構えていたかのように立っていた5人ほどの武装した兵に槍を構えられた。
(まずいな...)
とっさにウルスラを背中で庇うようにして銃を構えた忠一だったが照準に入れた兵士の顔を見て「あっ」と思わず声を漏らして銃を下ろした。
兵士の方も「んっ?」と声を漏らすと周りの兵士達に武器を下ろすように命じる。
「ウルスラ...大丈夫だ」
不安げに忠一を見上げるウルスラにそう伝えると、先ほどの兵士に弱々しく手を振る。
「よう。ミハエル君。ご丁寧なお迎えありがとう」
兵士の正体は忠一がカルディアに入る際、門番をしていたミハエル一等兵だった。
特別な通行手形で忠一を市内に入れた苦い経験を思い出したのか、再開したミハエルは後ろめたそうな顔をした。
「こんなところでなにしてる? 森は通行禁止になったの知らないのか?」
苦々しそうな顔でそう言い捨てるミハエル。
「知らなかったよ。もっと早く教えてくれよな」
「それにしてもよく無事だったな。ヘルハウンドの巣と聞いたぞ。人が森に入ることのないように見張ってたがまさか森から出てくる人間がいるとは思わなかった」
感心するミハエルに忠一がニヤリと笑う。
「いや、無事じゃないさ。あのわんこどもにはずいぶん噛まれちまった」
そう言うなら忠一は身体中の力が一斉に抜けていくのが分かった。生きて帰るため必死で繋いでいた意識の糸が、安堵の気持ちが湧き上がるのと同時にぷっつり切れたのだ。その場に膝をついて崩れ落ちる。
「ちょっ! 忠一! しっかりしなさい!」
ウルスラが忠一の身体を必死に揺するが答える気力もない。
「おい大丈夫か!? おい誰か早く病院へ連れて行け!」
ミハエルの怒声とともに忠一の意識はゆっくりと暗転した。
数時間後、忠一はカルディア市内の病院のベッドの上で目を覚ました。
「さあこれを飲むと良い。痛み止めだ」
灰色のローブを纏った中年の医者の男が小さな木の匙を忠一に手渡した。匙の中心には小指の先ほどの量の灰色の粉末が盛られている。
恐る恐る薬を口にした途端この世のものとは思えないほどの苦味が忠一の口内を一瞬で支配した。
「ヴォエ!! まっず!!」
思わず吐き出す。
「ヤナギの樹皮の粉末を煎じたものだ。私の妻の手料理と同じくらいまずい」
その発言が冗談なのか本気なのか気にする余裕もなく咳き込み続ける忠一に医者が顔をしかめ、忠一から匙をひったくると隣に立っていた若くて美人な助手の女に右手を上げて合図をする。
女は頷くとベットに上がり込んで忠一の背後に回り彼の背中から手を回して羽交い締めにした。胸が背中に押し付けられる形になり忠一はぴたりと動かなくなった。純情青年の哀れな性である。
それを確認した医者がもう一度薬箱から薬をすくい出し、いやいやと顔を振る忠一の顎を目にもとまらぬ速さで左手で鷲掴みにすると、気持ち先程よりもより薬が多く盛られた気がする匙を忠一の口に無理矢理押し込んだ。
「にぎゃあああああっ!! 」
忠一はヘルハウンドですら怖気付いて逃げるであろうほどの絶叫を発して味覚を蹂躙する忌々しい粉末を吐き出そうとするが医者の左手が信じられないほどの力で口を塞ぎ、さらに右手が忠一の鼻をつまみあげ薬を無理矢理飲み込まされる。水を一気に飲み干しなんとか一息ついた忠一はこの医者に対してわりと本気で殺意を抱いた。その様子を見て医者が愉快そうに笑う
「はっはっは不味かろう! あまりの不味さにのたうちまわって死ね」
「死ね!? 今死ねって言ったよな!?」
「言ってない生きろと言った」
「嘘つけ! てめー覚えてろよ!」
「こんなに不味いなら痛いままでいいわ」
医者がいなくなった病室で忠一は独りごちた。
ヤナギの樹皮の粉末は忠一のいた世界でもかつては使われていたが、主成分のアスピリンを使用した錠剤へと形を変え、誰でも飲み込むことができるようになっている。忠一は現代の医薬の偉大さを異世界に来て初めて痛感した。
痛みには効くのだろうが、痛みに耐えてるほうがマシと言いたくなるほどの形容しがたい苦味なのだ。
さて寝るかと思った矢先病室のドアがノックされる。
(また医者か!?)
そう思った途端忠一の口内に先ほどの苦味が蘇る。忠一が無意識に拳銃に手を伸ばしかけた瞬間に扉が開いた。
「おお、忠一! 生きてると思ったぞ!」
表情をほころばせながら入って来たのはロイドだった。
「ああロイド、おかげさまでーー」
そう言いかけた瞬間ロイドの体を縫って1つの影が病室に飛び込んで来た。
「忠一さんっ!」
「コゼット!」
それは顔を涙でくしゃくしゃにしたコゼットだった。全力でベッドに駆け寄り勢いを落とすことなく忠一の胸に体ごと飛び込む。
筆舌に尽くしがたい痛みが忠一の傷口を走りこの世のものとは思えない悲鳴が響き渡る。
それに構わずコゼットが涙顔を忠一の胸に押し付け泣きじゃくった。
「生きてて本当によかった...ごめんなさい! 食べられちゃえなんて言ってごめんなさい! 謝るから嫌いにならないでください」
コゼットは必死に謝るものの忠一にはなにを謝られているのかピンとこない上死を覚悟するほどの痛みに耐えるのに精一杯だ。
「大変だったんだぜこの子。1人で森まで行こうとしたりさ...なんとか説得して止めたけどその後もずーっとギルドで待っててさ。変な男どもに声かけられるのをギルドの受付の女が何度もたしなめてたな。あの冷血な受付嬢もたまにはいいことするぜ。まあ生きてると思ってたぜ。それにお前はまだまだ死んじゃいけないんだ」
ロイドの言葉に忠一が痛みをこらえながら反応した。
「まだまだ死んじゃいけない? どういうことだ?」
ロイドはハッとした顔をするがすぐにとぼけた笑顔に変わった。
「いや。大した意味は無いんだ...お邪魔みたいだから俺は帰るぜ。じゃあな忠一。またな」
そう言ってロイドが部屋を出て行くのと入れ替わりに先ほどの憎っくき医者とその助手が部屋に飛び込んで来た。
「悲鳴が聞こえたが大丈夫か!?」
「大丈夫だ!」
「嘘つけ傷が痛むんだろう! これを食らえ!」
医者がどこからともなく出した木の匙は先ほどよりも2回りほど大きく、さらに薬の量は手のひらいっぱいほどにまで盛られていた。
医者はつかつかと忠一に歩み寄りコゼットにしがみつかれ動けない忠一の頭を掴み匙を無理矢理口にねじ込む。
凄まじい悲鳴が病院内をこだました。
医者たちが去っておよそ30分経ってもコゼットは忠一から離れようとしなかった。
首に腕を回し、お互いの頬と頬をくっつけるような形で声も出さずに微動だにしないコゼットに忠一はどうすればいいか見当もつかない。
それは転生前まで女性との関わりが完全に無であった忠一にはあまりにも刺激的すぎてなんなら傷口が再び開きそうな勢いであるのだが、忠一はあくまでも冷静を演じてはいるものの行き場のない両手がピクピク動いている。
「コゼット...そろそろ離れてもいいだろ?」
「ダメです。あと少しだけこのまま...」
あと少しと言いながらさらに10分ほど経ちようやくコゼットは顔を上げた。コゼットの涙が忠一の胸に大きなシミを作っているにもかかわらず依然としてコゼットは大粒の涙を流していた。
「あのね。忠一さん」
「うん」
コゼットの背中が小刻みに震える。
「本当に生きててよかった」
そう言って再び忠一の胸に顔を埋めて背中を震わせるコゼット。
「もう会えないかと思って...そしたらどうしようと思って...」
「うん...うん」
かける言葉が見つからず、忠一はひたすらコゼットの頭を撫で続けた。
「家に帰ろうな」
忠一がそう言うとコゼットは忠一の胸から顔を離さずに無言で、しかし力強く頷いた。