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決意

~1944年10月 明治神宮外苑~


(いち、いち、いちにー。いち、いち、いちにー)



格式高い軍楽隊の進軍歌の演奏を背景に南部忠一を始めとする1000人近い学生服姿の青年が50人ごとの小隊に分かれて神宮内を行進していた。



学徒出陣ーー本来日本の未来の中枢を担う為の若い大学生が徴兵により戦場へ赴くことになった。本日はそのための壮行会である。



兵士となった学生たちの行進をその家族親戚が観覧席から固唾を飲んで見守る。自分の家族が軍隊に取られる不安と名誉。そして本来日本の未来を牽引するはずの頭脳明晰たる学生が泥と血に塗れる戦場に送り込まれるという事実に対する恐怖。様々な感情が観覧席を交差する。


(いち、いち、いちにー。いち、いち、いちにー)


そんな中今年20歳になったばかりの幼さの抜けない青年、南部忠一は緊張を隠しきれない表情で心の中で歩調を必死で数えながら行進を続ける。1人歩調が乱れるとそれにつられて周りの人間の歩調もずれ、非常に見苦しいことになるのだ。それだけは避けたかった。



無事行進を終え神宮前で全ての生徒が一糸乱れぬ整列を完了する。代表学生の忠一が学生たちの列と司令官の間に立ち、緊張を押し隠しながら学生に大地を震わすほどの大声で号令をかける。


「司令官に対し! かしらぁ~! なかっ!」


号令と同時に忠一が司令官に対し右手を上げて敬礼を行い、同時に全ての学生が顔を司令官に対し向ける。司令官の答礼が終わったことを確認し、忠一も敬礼から直り「なおれ!」と叫ぶと同時に学生たちが一斉に視線を前に戻す。


続いて忠一は3日間かけて暗記した出陣に関する答辞を読み上げる。


「本日、我々学徒一同は戦火ますます激化する昨今の情勢を鑑み、遂に聖なる大使命を賜ったことは光栄の至りである!」


といった様子で長々と答辞を読み続け、遂に締めの言葉に入る


「我々忠勇学徒一同は今まさにペンを捨てて剣を取り、傲岸不遜、残虐非道なる米英諸国をことごとく誅し、神国日本をいただきとしここに大アジア諸国の興隆の礎となることを誓う!我ら元より生還を期せず 東京帝国大学文学部2年生 南部忠一」



必死で読み通し。司令官の目を見た忠一は思わず息を飲んだ。

司令官が忠一の瞳を見つめほんの僅かに口角を上げ薄ら笑いを浮かべているようだった。



「生還を期せず? つまり死んでも良いということか?」


司令官がかすれた、しかしはっきりとした口調で忠一にそう尋ねた。


忠一は驚いたが、しかしそう言われればむっとする誰だって生きたいか死にたいかと言われれば生きたいに決まっている。しかしことここに及んで、生還を期待する方が難しいのはよく分かっている。だからこそ死を覚悟した文言を答辞に練り込んだのだ。


反抗的な態度が口調に現れないように忠一は細心の注意を払って答える。


「もちろんであります! 我々忠勇学徒一同はーー」


「忠勇学徒はわかった」


忠一の言葉を遮り司令官が言葉を続ける。


「貴様が死んで、貴様はそれでいいかもしれん。死ねばそれで終わりだからな。だが残された者はどうする?」


(残された者?)


忠一が息を飲んで必死で頭を動かす。が、なんのことかわからない。


混乱し、答えに窮した忠一に追い討ちをかけるように司令官が続ける。


「あの子はーーあの子はどうする? 行くあてもすがる人もただ貴様しかない。あの哀れな少女はお前が死んだ後どうすればいい? 物乞いとして生きるか売春窟に落ちるか...それで貴様はいいのか?」


(なんのことだ。誰のことだ)


司令官の顔が歪み始めたかと思うと別人の顔に変わっていく。


完全に新しい顔になった司令官の顔、それはまさしく忠一と全く同じものだった。



「貴様が死ねばコゼットはどうなる!」



自分と同じ顔をした司令官がそう叫んだ途端忠一の意識は暗転した。







「コゼット!」


そう叫び忠一は粗末なベッドから飛び起きるが、ほんの一瞬遅れて左肩と胸に強烈な痛みが走り悶絶した。


(夢...か...)


痛みに顔を歪ませた忠一が傷跡を抑えながらため息をついた。傷跡を見ると左肩と胸に上等そうな黒い布が止血帯がわりに巻かれている。


床に膝をつき、忠一の眠っていたベッドにうつ伏せになってうとうとしていたウルスラが急に覚醒した忠一に驚き尻餅をついた。


忠一の顔を見て心底ほっとしたような表情を見せたのも束の間、すぐに眉根を上げて不満そうな顔つきになる。


「ちょっとあんた! 何勝手に死のうとしてるのよ! もう大変だったんだから!」


そう言って立ち上がり忠一を指差すウルスラ。よく見ると80デナリもするといっていたケープの両袖の肩の部分から先が無くなっていた。その部分は忠一の止血帯がわりに使われていたらしい。


左肩は非常にキツく縛られていたにも関わらずほとんど痺れがないのは、定期的に緩めたりキツくしたりと調整されたからに違いなかった。


「すみません。ウルスラさん」


ケープのことと手当のこと、2つの意味で忠一はウルスラに頭を下げると、ウルスラはぐっと文句を言うのをやめ、代わりに大きく安堵のため息をついた。



「ま、いいわ。私を助けたせいだもんね...その傷。ところであんた...名前は?」


そこで初めて忠一は自分が名乗っていなかったことに気付く。そもそも聞かれていなかった以上名乗るタイミングなど無かったが。


「忠一です。南部忠一」


「そうーー忠一、私のことはウルスラでいいわ。さんはつけなくていいの。それにそのよそよそしい言葉遣いやめて」


(言葉遣いに文句言ってきたの誰だっけ?)


そう思いながらも気まぐれな少女に言い返す気力も体力もない。忠一は黙って頷いた。


破られた窓を見ると外は真っ暗で、その上水で満たされた桶をひっくり返したかのような土砂降りが降り注いでいた。


「俺はどれくらい寝てた?」


「まる1日よ。あなたが気絶したのが昨日の夜」


丸一日。ということは本来今日の昼過ぎにはカルディアに帰っていたことになる。


(コゼット心配してるだろうな...)


と忠一の心は沈んだ。


「ところで色々聞きたいことがあるんだけどーー例えばそのお守り代わりとか言ってた杖とか」


そう言ってウルスラがちらりと銃を一瞥し、「ま、それは今いいわ」と視線を逸らした。



そして言い辛そうに忠一に疑問を投げる。


「ねえ忠一。あなたうわごとみたいにコゼットコゼット叫んでたけど...」


そう言われ忠一は自分の顔が紅潮していくのがわかった。死に瀕してのうわごとが妻でもなんでもない女の名前だったと知って死ぬほど恥ずかしかった。


「コゼットってあの。あなたを送り出してた子のこと?」


馬車に乗って街を出た時の話だろう「そうだけど」と忠一が答えるとなぜかウルスラがほんの少しだけ寂しそうな顔になる。


「結婚してるのかしら?」


「してないよ」


「恋人?」


「いや、この間出会ったばかりだ。訳あって今一緒にいるがーー」


包み隠さずに答えたつもりだが、なぜかウルスラは少しだけ気分が上がったようだった。


「ふーん。ならよかったわ」


「よかった?」


「いや、こっちの話よ。気にしないで」


忠一は、コゼットの話題になり先ほどの夢を思い出す。まるで現実だったかのように生々しく記憶にこびりついているのだ。


『貴様が死んだらコゼットはどうなる』

その通りだ。自分が死んでも残された者の人生は続くのだ。今自分が死ぬわけにはいかないのだ。


(絶対に生きて帰る)


全てを飲み込むような暗闇と大雨に包まれる窓の外を眺めながら忠一はそう決意した。



2人は忠一の雑嚢に残っていた少しのパンと干し肉を訳あって食べている。硬い黒パンを咀嚼しながら忠一は横目で窓の外を見た。


(しばらく止みそうもないな)


凄まじい豪雨が降りしきり窓からできるだけ離れている2人にも時折水がかかった。


丸一日気絶してる間に魔犬の襲撃がないのは幸運だった。忠一が気絶してる間に襲われればひとたまりもなかっただろう。


「夜が明けたらここを出よう」


出し抜けに忠一がそういうと、よっぽど驚いたのかウルスラは喉にパンを詰まらせ胸を抑える。


「どうした。しっかりしろ」


忠一が背中を叩き、なんとかパンの塊を飲み込んだウルスラは信じられないものを見る目つきで忠一を凝視した。


「今日!? この雨の中!? バカじゃないの!?」


「雨の中だからこそだ」


「...? どういうこと?」



犬の聴覚と嗅覚の鋭敏さは人間の比ではない。遠くの匂いでもやすやす嗅ぎつけ、ほんのわずかな物音も聞き逃さない。しかしそのかわり視力は平均的な人間よりも低いのだ。いくら鼻と耳が良くても雨の中ではその力を生かせないだろう。


だからこそ視力がモノを言う大雨の日中こそが人間が犬に五感で勝つことのできる唯一のステージなのだ。


もちろん。ヘルハウンドが犬と同じとは限らない。しかし、そこにかけるしかなかった。


説明するとウルスラは不承不承ながらも頷いた。なおも不安そうなウルスラの背中に忠一が手を置いて優しくさする。


「大丈夫だ。俺が守ってやるから」


そういうとウルスラは無言でそっぽを向くが耳まで赤くなっているが、忠一はそこには気付かない。


「わかったわよ。絶対守ってよね」


「ああ。絶対だ。生きて返してやる」


忠一がそう答えるとウルスラは急にくるりと顔を忠一に向けた。うるんだ瞳で忠一の顔を凝視する。


「私だけじゃない。あんたも生きて帰るの」


「ああ」


「約束だからね!」


「約束するよ」


元より忠一は生きて帰るつもりだ。待ってる人がいるのだ。

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