袋の鼠
「ねえ...そう言えばさ...」
忠一の肩で揺られているウルスラが不安をかき消すように口を開いた。
「さっき魔物に襲われてる時、すごい音が鳴ってたんだけどあれなにかしら。パーンパーンって」
銃のことを言ってるのだろうが忠一はあまり深く話す気にはなれない。この世界で銃は進みすぎた武器、つまりオーパーツなのだ。もし銃の原理をこの世界の人間が学んでしまえば...さすがにすぐに38式歩兵銃のようなライフルを作るのは無理かもしれないが火縄銃くらいならすぐに作ってしまうだろう。
かつて日本もポルトガルから得た火縄銃をすぐに自力で生産するようになり、わずか数十年で世界一の銃保有国になった歴史があるのだ。
特にウルスラは商人だ。世界中に武器をばら撒くことは可能だろう。
しかし、銃の出現は世界を大きく変えてしまう。人の争いがこれまでとは桁違いに血なまぐさいものになる。人間同士の戦争など、かつて原始人がやっていたみたいに石と棒で殴り合うくらいでちょうどいいのだ。
この世界を近代的な武器で溢れさせるのは絶対に嫌だった。仮に魔王がどうとか世界の危機だとか言ったところで、その危機が去れば必ず人間同士が争う時代が来るだろう。
「さあ? 俺にはそんな音聞こえませんでしたけど」
忠一はとぼけたが、もちろんウルスラは納得するわけがない。しかし忠一がそう言う以上これ以上追求するわけにもいかなかった。
忠一は拳銃を握り周囲を警戒しながら小屋へと進む。姿は見えなかったが、どこかであの魔犬たちが忠一見張っているような、なんとなくそんな気がした。
1時間ほどかけてようやく小屋に辿りついた2人はすぐにロウソクに火をつけ、小屋の補強用に準備されていた板切れと釘で全ての鎧戸と扉を塞いだ。
(こんな板切れで持つかな...)
忠一は心配だったがやらないよりはマシだろう。
この小屋はそこそこの規模の人間とそれに伴う商用の積荷を収容することができるようになっており、およそ20畳近くもの広さがある。
8つある鎧戸は寝泊まりする人間が少しでも快適に過ごせるようにとの配慮であろうが、今となってはヘルハウンドの侵入口の1つでしかない。
壁にもたれかかって今後のことを考えているとウルスラもすぐ近くまで来て座り込んだ。
「あんた怖くないの?」
と、先ほどの恐怖を思い出し泣きそうな顔で膝を抱きながら忠一にそう尋ねる。
「怖くないですよ。俺たちは死なないですからね」
怖くないというのは嘘だがそう言った。忠一は沖縄では曲がりなりにも小隊の指揮官だったのだ。軍人が一番恐れるのは地を飲み込むほどの敵の大軍よりも、それに恐怖し慄く自分の指揮官の姿なのだ。
それをよくわかっていたからどんなに危機的状況でも恐怖してる姿を部下には見られないようにして来たし、それが当たり前の行動になっていた。
(恐怖は人に感染る。平気な顔をしていよう)
そう考えていた。
「すごいわねあんた」
皮肉でもなんでもなく素直に感嘆するウルスラは少しだけ安心したのかわずかに忠一に体を近付けた。
「随分落ち着いてるのね。魔物と戦ったことあるの?」
「今日が初めてですーーけど、もっと恐ろしい相手と戦って来ました」
ヘルハウンドは恐ろしい相手だが、銃も戦車も火炎放射器も持つことはない。こんな状況下ではあるが沖縄よりはよっぽど生き残れそうだ。
忠一はそう考えていた。
何時間か過ぎ、2人がまどろみ始めた時小屋の外から草を踏みしめる複数の足跡が聞こえ、忠一の目は一気に覚醒した。
横でこくこくと眠りかけているウルスラの肩を揺さぶる。
「えっ。なにどうしたの?」
驚いたウルスラだが、忠一の目を見て息を呑む。またあの時の兵士の目になっていたのだ。
「ヘルハウンドが...?」
ウルスラの問いに忠一は小さく頷き、銃剣を銃に着ける。
「わかりません...けど俺の後ろにいて、離れないで」
忠一は背中でウルスラを庇うように、できるだけ窓から離れた壁際で銃を構える。
板切れで補強された4つの鎧窓が一瞬で吹き飛ばされたかと思うと同時に4匹のヘルハウンドが室内に飛び込んできた。単眼の化け犬たちは忠一たちを睨みつけ、牙を見せて唸りを上げる。
「絶対離れるなよ! 分かったな!」
そう叫びながら忠一は一番近くのヘルハウンドに銃を向けると同時に引き金を引いた。
ヘルハウンドの巨大な目を貫くと同時に発砲音に驚いたウルスラが悲鳴を上げる。
ボルトを引き、次弾を装填した途端残った3匹が同時に飛びかかる。1匹を射殺し、もう1匹の目玉に銃剣を突き刺すが、あと1匹の攻撃に間に合わない。
小銃を手放し日本刀を引き抜いて、大口を開けて突進してくるヘルハウンドの口の中心に思いっきり突き刺すと刀の切っ先が喉を貫通した。
苦悶に満ちたうめき声をあげながらその場に倒れこむヘルハウンドから刀を引き抜くと同時にさらに3匹のヘルハウンドが新たに小屋内に飛び込んできた。
「くそ!」
銃を拾う間も無く突進してくるヘルハウンドたちに忠一は刀を向けながら忌々しそうに吐き捨てた。
突進してきたヘルハウンドが右足で忠一の身体を薙ごうとするが、なんとか身体を後ろに逸らしかわす。追撃のように左足の横払いが忠一の胸をえぐり血が噴出した。
忠一は歯を食いしばって痛みをこらえ、ヘルハウンドの鈍く光る不気味な眼球のど真ん中に根元まで刀を突き入れた。
目を潰されたヘルハウンドは刀が突き刺さったままその場に崩れ落ちた。
その刀を抜く間も無く新たなヘルハウンドが飛びかかってくる。忠一は即座に拳銃を抜こうとするが間に合わず、したたかに突進を受けてその場に叩きつけられた。
「このやろ!」
忠一は左手でなんとかヘルハウンドの目を殴ろうとするが、あっさりとかわされたばかりか空振った左手を潰そうとするように忠一の肩を鋭く獰猛な牙で噛み付く。
凄まじい痛みが忠一を襲い苦しみの声が口から漏れ出る。
(早くしないと腕が千切れちまう)
忠一の動きを封じるようにヘルハウンドは前足を振り上げ忠一の胸に振り下ろした。骨が軋む音と衝撃で意識が飛びそうになる。
なんとか意識を保ったまま右手で手探りで拳銃を引き抜き、忠一の腕を噛み砕こうと腐心しているヘルハウンドのこめかみ部分に銃口を押し付け、引き金を引く。
うめき声を上げて力が抜けた口から肩を抜くと、忠一はそのままヘルハウンドの身体を自分から引き摺り下ろし、まだピクピク動く身体に2度引き金を引いてとどめを刺す。
噛み跡は想像以上に深く、真っ赤な鮮血が肩から腕を伝い、そのまま手を流れて床に小さな血溜まりを作る。
「やだっ! 助けて!」
声の方を見ると、残った1匹がウルスラに馬乗りになり今にもそのか細いなどを引きちぎろうとしていた。
忠一は素早く拳銃を構え、弾が切れるまで魔犬の身体に銃弾を打ち込んだ。
ウルスラの身体に崩れ落ちたヘルハウンドの死骸を右手で引きずり下ろすと、ウルスラが涙で満ちた目を見開き、忠一に飛びついてきた。
「いたっ! ちょっと離れてくれ」
忠一の悲鳴にウルスラが少し離れるが、彼が血まみれであることに気付き顔が真っ青になる。
「ちょっと! あんた大丈夫!?」
「大丈夫...大丈夫だ」
忠一は弱々しい声でそう答えると壁に背中を付け、弱々しくその場に崩れ落ちた。
「ちょっと! しっかりしなさいよ!」
ウルスラの必死の呼びかけの甲斐もなく忠一の意識は暗闇に沈んでいった。