2人の家
城門をくぐり抜けるとすぐが目抜き通りとなっており幅20メートルほどもある石畳の道路の両側には3階建ほどの石造りの無骨な建造物がほとんど隙間なく密集しており、それに沿うように大量の出店が所狭しと並び、喧噪が飛び交っている。
行き交う人々の数は東京にも負けないくらいで人々の格好や人種も多種多様だ。
コゼットと同じ、チュニックのような服装の人もいればひらひらしたマントや立派なガウンを羽織る人などまるで万国博覧会のようだし、髪の色なんかも黒や金髪、茶髪などはもちろん、青かったり銀色だったり赤などもいてカラフルだ。
「なかなかすごいな...」
忠一ははじめ、どうせ大した街じゃ無いだろうとタカをくくっていたが一瞬で考えを改め直した。
田舎の村しか知らないコゼットの反応は忠一の比にならないほど大きく、緊張と驚きに声をも出さずにただかたかた震えている。
「私、こんな格好で大丈夫でしょうか?」
などと言い頼りなげに自分の服を見つめる。女の子が服に多少なりとも気を使うのは世界共通だ。
確かにコゼットの服はみすぼらしく、洗濯こそよくされていて清潔だったが、経年劣化から逃れることはできず、補修の後は目立つしところどころすり切れたり生地が薄くなっているのは否めない。
そこで普通なら、「じゃ、コゼットに服でも買ってやるか」となるところであるが、忠一は享年=女の子と笑顔でおしゃべりしたことすらない歴の筋金入りの純情男子であるためそんなことは思いもつかなかった。コゼットの言葉よりも周りの風景を観察するのに精一杯だ。
「干しタラ1尾20アスだよ! ニシンは5アス!」
「ナスが3本で2アス! 3本で2アスだよ!」
「翡翠でできたお洒落な櫛が1本たったの1デナリ! どうだい兄さん彼女へのプレゼントに!」
日本がしばらく忘れてしまった、陽気で雑多な市場の雰囲気を忠一は買うでもなく、ただワクワクしながら見回していた。
まずは住む場所を確保しなければならない。忠一が適当に人を捕まえて貸家について聞くと、「それなら不動産屋に行けばいいと」近くの不動産屋の場所まで案内してもらった。
「いらっしゃいませ」
中年の男が慇懃な感じの挨拶をしてくる。
「部屋をお探しですか?」
「うん。2人で住める部屋を借りたいんだけど...」
男がなるほどなるほどと呟きながら茶けててごわごわした紙を閉じた分厚い台帳を棚から取り出してペラペラとめくる。
「予算はどれくらいでしょうか?」
「うーん。基準がよくわからん。普通どれくらいなんだ?」
「そうですね...もちろん家のグレードによりますが、城門や目抜き通りに近いところは月々10デナリから20デナリほど、郊外であれば3デナリから10デナリほどですね」
「郊外で頼む」
忠一が即答する。住処に大金を払う余裕はないし、忠一には屋根と壁があるところで眠れるだけでも幸せだった。
「なるほどなるほど。お2人で住むなら2部屋ある部屋と1部屋しかない物件どちらがよろしいでしょうか?」
「うーん...2部屋あったほうがいいかな...」
やはり年頃の女の子が俺と同じ部屋で寝るのは嫌だろうし、多少値が張っても2部屋の方がいい。と忠一は考えたが
「ダメです!」
と今まで黙っていたコゼットが横から声を張り上げた。
「忠一さん。私たちは住処なんかにお金を使っている余裕はないはずです! 少しでもお金を浮かせるために1部屋の物件で充分です!」
と主張する。
(なるほど、俺よりこの先のことを考えてるな...!)
「確かにコゼットの言う通りだ。 1部屋でいい」
忠一が男にそう告げるとコゼットは忠一に見えないように小さくガッツポーズを決める。
不動産屋としては当然家賃の高い物件を契約させたほうが儲かる。しかしプロである男は残念そうな感じなどおくびにも出さない。
目先の利益よりも顧客のニーズを優先させて信用を得たほうが、長い目で見れば稼げるのだ。
「一戸建てとアパートメントがあるのですが、どちらをご希望でしょうか?」
「当然アパートメントの方が安いんだよな?」
「もちろんです。ただ、2人で済むなら一戸建ての方がおすすめですね。アパートメントだとすぐに物音が隣の部屋に響きますから。安いところだと少し大きい声で喋っただけでも隣の部屋に聞こえてしまいますよ。とくに夜とか...ね?」
男が意味深なウインクを忠一に投げかけるが、女性と触れ合ったことがない歴=享年の忠一には全く理解できない。
別に安いところでもいい、聞かれて困るようなことなどない。そう思った忠一は迷わず。
「アパートメントの一番安いところを紹介してくれ」
そう答えるとほとんど間をおかずに「ダメです」とコゼットが横槍を入れた。
「少し高くても一戸建てにしましょう。すみません。高くてもいいので出来るだけ壁が厚くて音が漏れにくい部屋を紹介してください」
たった30秒前とは別人のように違う主張をするコゼットに忠一は戸惑った。
「さっき少しでもお金を浮かせるとかなんとか言ってた気がするんだが...」
混乱した頭で忠一が突っ込むと有無を言わさぬ、なんだかものすごく意志のこもった視線を向けられ忠一は戦慄した。沖縄で米軍の戦車の砲塔が自分の方を向いたときのことを思い出していた。
「それとこれとは話が違います」
至って真面目な顔のコゼットに忠一は思わずたじろぐ、(話が違うなんてことあるか?)と思うがはっきりとそう断言するコゼットの姿を見てると自分の方が間違ってる気がしてくる。
「じゃあ、この子の言う通りに...」
と忠一が言うとコゼットの本日2度目のガッツポーズが密かに決まった。
部屋はすぐに決まった。家賃月に5デナリの一軒家で、城門や商店街などからはそこそこ離れているが閑静なカラタガンストリートという名前の住宅街で、同じような小さな木造の一軒家が立ち並んでいる。恐らく全て貸家なのだろう。
室内は8畳ほどの広さで、壁は漆喰塗りで床は踏み固められた土間だ。2つの50センチ四方ほどの窓には鎧戸が取り付いており、当然ガラスなどははめ込まれていないが開けておかないと昼でも薄暗い。
家具は木で作った古くて小さいベットが2つと、今にも自然崩壊しそうなボロボロの小さな食器棚、部屋の中央の石を積んだだけというような簡単なかまどが存在感を放っている。
質素で不便な、物置小屋のような家ではあるものの、とはいえ忠一にとっては屋根と壁がある住処で銃弾や夜襲や爆弾に怯えること必要がない生活を送れるだけでも幸せだった。
どの住宅街にも1つは公衆浴場があるという話も温泉民族日本人である忠一の心を弾ませていた。
先ほどの不動産屋が説明してくれたが、ここカルディアはかなり衛生面に気を使っており、税金を使って公衆浴場を大量に作り、ただ同然でーー住所を持たない貧民に至ってはただで入浴することが可能なのだという。
「いいお家ですね!」
藍色の瞳を宝石のように輝かせるコゼットの言葉に忠一は頷いた。
「でも、色々と買い揃えなきゃいけませんね」
「そうだな...テーブルに、椅子かなんか座れるもの。それに食器も必要だし...」
忠一は必要になりそうなものを軍隊手帳に書き留めていく。できれば灯りも欲しい。ロウソクとなると燭台も必要だし、それにロウソクそのものもきっと安くはないのだろう。
(もうちょっとだけもらっときゃよかったかな...)
などとコルドからお金の受け取りを辞退したことを少しだけ後悔する。にしてもわずかな額とはいえ無理矢理にでもお金をくれたコルドに感謝している。お金がなかったら街に入ることすらできなかっただろう。