カルディアへの道 2
カルディアまではなかなか遠い。兵隊は歩くのが仕事なので15キロくらいなんでもないが、コゼットを連れて歩くとすれば到着するのは夕方くらいになるだろう。
「カルディアに行くのは私も初めてなんです! 楽しみですねぇ」
などとコゼットが目を輝かせる。
「そんなに大きな街なのか?」
「人口2万人くらいいるんですよ! 大都会です!」
(そんなもんか)
と若干肩を落とす忠一にコゼットが畳み掛ける。
「忠一さんの住んでた...えーっとトーキョーはどれくらい人がいるんですか?」
「俺が住んでた時で700万人とちょっとくらいだったかな」
今は疎開やらなにやらでもっと少ないはずだが、忠一が徴兵される前はそのくらいだった。コゼットが一瞬だけ黙りすぐにケラケラと笑った。
「忠一さん。真面目な顔してすごい冗談いいますね~」
「だろ?」
真面目に話を続けてもめんどくさいから冗談ということにしてその話は終わらせてしまった。その後も話題が変わっていく。
「カルディアは美味しいものが多いって聞きました!」
「なに!? そうなのか」
忠一はこの世界に来て初めて...いや、徴兵されて以来初めて心が躍る。
「はい。いろんな村や町からの交易品がたくさん集まるから、料理の幅も多いらしくて...」
「それは楽しみだな」
やはり美味しいものを食べたいという考えは人類共通らしい。やけにコゼットと話が進む。
「ああ...白いパン久々に食べたいなぁ」
とコゼットがうっとりした表情で呟いた。若干涎が出ている。
ヨーロッパの文学を見ると、小麦を細かくひいて作った柔らかい白パンは贅沢品で、裕福な人間を除けば大麦やライ麦で作った硬くて腹持ちのいい黒パンやライ麦パンばかり食べていたのだという。
(小麦で作った白パンは日本でいうところの銀シャリみたいなもんか)
などと忠一は考えた。
「忠一さんは何が好きなんですか?」
「うーん...」
食べたいものを食べたい時に食べれたのは随分前のことなのでぱっとは思いつかない。忠一の頭に好物が和洋問わず色々と浮かんでくる。
(オムライス...ビフテキ...天ぷら...すき焼き...そういえば銀座で食べたハンバーグ美味かったなぁ...でも1番の好物というと...)
「寿司かな」
「スシ...? どんな食べ物ですか?」
「酢飯っていって、お酢とか砂糖で味付けした米にな、生の魚ーーマグロとかタイとかを乗せて握るんだーーこう...こんな感じで」
そう言って忠一はコゼットに両手を使って寿司を握るようなジェスチャーを見せるが、コゼットはなんだか巨大なゴキブリでも見つけてしまったかのようなゾッとした顔で忠一の手つきを見ている。
「生の魚を? 冗談ですよね?」
「冗談なもんかよ。まあ酢でしめたり炙ったりするのもあるけど基本生」
コゼットが頬をぴくぴくさせて忠一の話を聞いている。
「生の魚なんて考えることもできないです... 魚なんて干したタラをスープに入れるくらいなものじゃないんですか?」
「うーん...俺のいた国はな、周囲を海に囲われた細長い島なんだよ。だから大体のところで新鮮な魚が食えるんだ」
「海! 聞いたことはあります...ずーと東の方にあるらしいですよ。見たことはないですけどすっごく大っきい水たまりですよね! 忠一さんは見たことあるんですか?」
先ほどの苦虫を噛み潰したような顔はどこへ行ったのか、コゼットは好奇心に目を大きく開きながら忠一の顔を覗き込む。
「もちろんあるよ! 大っきい水たまりなんてもんじゃないさ。どこまでもどこまでも見渡すことのできないくらい広いんだよ」
そう言って忠一が両手を広げて見せるとコゼットは「おおーっ」と声を漏らす。
「へ~。でもそんなに大きいとちょっと怖そうですね」
「そうだな。怖い時もあるよ。でもすごく綺麗な時もあるよ。水平線の向こうで夕日が海に沈む時、太陽の赤と海の水が溶け合ってこの世界の何よりも綺麗な景色が観れる」
そう語り忠一は故郷の海を思い浮かべて目を細めた。東京がどんなに荒れ果てても、きっと見える夕日の景色は今も昔も、そして未来も変わらないのだろう。
忠一の語り口にコゼットは息を飲んだ。
「忠一さん。いつか私も海を見てみたいです」
「いつか見れるさ」
「忠一さんが連れて行ってください」
「ん...」
忠一はコゼットの願いにほんの少しだけ顔をしかめる。忠一とコゼットがずっと一緒に旅をするかは分からないし、それほどまでに海が遠いのだとすればコゼットを海に連れて行けるという約束は難しかった。
忠一が答えをためらっているとコゼットがそっと忠一の服の袖を掴んだ。
「だめ...ですか?」
やや上目遣いでそう言われてしまえば女性に免疫がほとんどない忠一は一発KOだった。
「うん。いいよ」
目線を泳がせながら忠一がぼそりと答えるとコゼットは太陽のような笑顔で笑った。