嵐の前
戦況は最悪だった。とはいえ沖縄での戦況は最悪かまだ最悪じゃないかの二択でつまりどうあがいても最悪になる運命だった。
南部 忠一率いる第3小隊は沖縄県、嘉数の一角に佇む廃村を防衛している。
去年学徒動員により学業を中断することになった忠一はまだ20歳。それが50人もの小隊の指揮官となってしまった。
当然。小隊長としての資質も養われていないし、経験もほとんどない。『大学にいたから』ただそれだけの理由で経験豊富な50人の男たちの頂点に立たされてしまった。
部下からの信頼も無いに等しく天ぷら士官(大学出の若い士官を馬鹿にする言葉)と陰口を叩かれているのは分かっていたし、そのような態度を隠そうとしない下士官も多く見られた。
(俺も不幸だが部下たちはもっと可哀想だ)と思わずにはいられない。唯一良かったことといえば経済的に苦労していた学生時代と違って貯金がバカみたいに溜まっていく。
しかしながらこの戦地ではいくら金があっても物資も市場もない。貯金がいくらあってもなんら役につことはない。
それでも忠一の部隊は戦闘となるとよく統率がとれ、今までの米軍の攻撃を全て撃退していた。時には忠一自らが戦車に肉薄攻撃を敢行し覗き窓に手榴弾を投げ込んで見事に一両撃破したこともある。この一件で部下たちからの評価はそこそこ改善したが、先任の曹長に「勇敢だが指揮官としての分限を弁えろ」とタメ口でたしなめられたこともある。
しかし度重なる攻撃で小隊の半分は死んでいた。生き残りのうちの半分も戦うのがやっとといった状況で、まともに動けるのは今や10人くらいのものだった。
(戦争が終わったらトルストイを全部揃えて...あとはユゴーもゲーテも、スタンダールも欲しい。戦争が終わったら1000円くらいは貯まってるだろうからなんでも買えるな)
タコツボと呼ばれる1人用の塹壕の中でそんな妄想をしている。勿論戦争が終わった時に自分が生きている可能性はほとんど0に近かったが、楽しい未来を考えることによって少しでもこの悲惨な現状から目を逸らしたかった。
「小隊長! 小隊長!」
隣のタコツボから口煩い先任曹長の村田が苛立ちを込めながら声をかけてきた。
「なんですか? 村田さん」
「なんですか?じゃないでしょう。聞こえないんですか?」
そう言われ、耳をすませてみると虫の声の中にかすかに重厚なエンジン音が聞こえる。
ーー敵の戦車だ。
すぐにそう判断した。味方の戦車なんていうものは写真の中でしか見たこと無いので敵の戦車のエンジン音と聞き分けることなんて出来ないが、そもそもこの沖縄においては日本の戦車1輌につきアメリカの戦車は20輌くらいはあるだろうから確率的に考えても日本の戦車であることはほとんどないだろう。
音は徐々に接近し、やがて木々の間から姿を現し始めた。中戦車が5輌、そのやや後ろを100名ほどの米兵が周囲を警戒しながら付いてきている。
(ありゃー。もうダメだな)
絶望的すぎて逆に冷静になった忠一は人ごとのように考えた。
こんな若い士官のせいで死ぬことになる部下に申し訳ない気持ちが立ってきたが、そもそもここまで絶望的な戦力差では誰が指揮官でも同じことだと考え直した。
(竹中半兵衛と孔明と韓信、誰がいても...いやその全員がいてもこれは負ける)
そう開き直った