アイス先輩の春 (前)
アイス先輩の話。長くなったので三話に分けました。
アーライル学園の騎士科の生徒は、余程の事が無ければ卒業後はすぐに騎士団に入団する。
しかしシュナイル殿下は近衛に所属した。
王族ということで、街の警羅などでうっかり命の危機に陥っても困るという理由である。
だからといって飾りの騎士隊ではない。鍛練も充分にキツいらしいと聞く。
(三年間ピッタリとくっついていたから変な感じだなぁ、シュナイル殿下は元気だろうか)
この春に学園を卒業したマイルズ・モーズレイは、王都西詰所勤務となり、現在の時間は先輩騎士と同期と街の割当て地域を巡回中であった。
「よし。詰所に帰ったら申し送りして終わりだからな、飲みに行くかー!」
三人での巡回だが、この先輩騎士はとにかく呑む。給料のほとんどを酒につぎ込むので、酔っ払いをどうにかしてくれとの要請に酒場へ行くと、五回に一回は彼を家に送り届ける事になる。家と言ってもマイルズも住んでいる独身寮だが。
まだその現場には一回しか当たっていないが、飲みに行けば当然それに付き合わされる。
(冗談じゃない、明日の休みはアイス屋に行く予定なのに酔い潰れてなんかいられるか。でも先輩だしなぁ、あーあ)
この先輩がそこそこの勤務歴のわりに出世をしないのはこのせいだろうと、マイルズの同期どころか先輩たちのほとんども思っている。
(結婚もしていないし寮暮らしならいいのか? ……いや駄目だろ、大人として)
結婚。
意識しないとは言わないが、婚約者もいない自分には訪れる事のない生活だろうとマイルズはぼんやりと思っている。モーズレイ家は末子相続なので末の弟に良い縁談があればそれでいいというのもある。
しかしほんの少しだけ、一人の女性がマイルズの脳裏を掠めた。
去年、ドロードラング領での合宿に参加し、そこで出会った年上の女性。
美しく、強く、歌にさえ力があった。
侍女である彼女は食事時の配膳の際にいつもいい香りがした。
それが気になり何となく探した時は、いつも誰かに優しく笑っていた。
(あの人は元気にしているだろうか……? いや、しばらく会っていないがもう結婚はしているだろう)
合宿参加ついでにと舞台を見させてもらった時に、うちの歌姫で唯一の独身だと領主がふざけながら言っていた。
巡回中のちょっとの隙間に、かつて挨拶程度しかしたことのない彼女をふと想う事が何度かある。
歌に惹かれたのが最初か、笑顔が先か、あの時は彼女が近くにいるとどぎまぎする事にマイルズは戸惑い、家に帰りついてから一目惚れだったと理解した。
(あの人の歌を聴きたいなぁ……)
「あ」
歌詞は忘れたが歌声は覚えている。時間が経つにつれ今ほどはっきりとは思い出せなかったのだが。
(いやにはっきりとした幻聴だ)
「モーズレイ君?」
雷に撃たれたような衝撃。
今やマイルズの事を「アイス君(先輩)」ではなく「モーズレイ君」と呼ぶ女性は、今思い出していた彼女だけである。
侍女が貴族のマイルズを『君づけ』するのは非常識だが、合宿で参加した者は有無を言わさずドロードラング領民と同等扱いになる。そしてあの領主のせいでアイスというあだ名があっという間に定着、彼女だけが名前で呼んでくれた。
マイルズはカッと目を開き、人混みの中すぐその姿を見つけた。
最後に見たより伸びたふわふわの髪に、驚いた顔。
「インディさん?」
呼べば、柔らかい笑顔を返された。
(うわっ!本物だ!)
同僚たちにちょっと、と言ってインディの元に駆け寄る。
「ど、どうしてここに? 何かあったんですか!?」
王都にいるはずのない彼女に向かって何事かと焦れば、インディも慌てた。
「ああ!仕事中にご免なさい! ちょっと迷子になっちゃって、西の詰所に道を聞きに行こうとしてたの。そしたら知った顔を見つけたからつい呼んじゃった。えぇと、こっちに向かえばいいのよね?」
質問の本来の意味からは逸れたが、インディはすぐに答えた。
(迷子!?)
インディがこっちよね?と指した方向はあっているが、その指先には力が入ってなさそうだ。
マイルズはそれを不安と受け取った。
「俺たちは今から詰所に戻るところです。一緒に行きましょう。 それにもうすぐ勤務も終わるので、もし良ければアイス屋まで送ります」
急ぎならば詰所で道を聞かずとも馬車に乗ればいい。持ち合わせが無くとも目的地に着けば誰かに立て替えてもらえるはずだ。
それをしないのだから時間には余裕があるのだろう。
と予測。
「あら。じゃあお願いします。でもいいの?」
「先輩に飲みに誘われたので助けて下さい」
そう小さく言えばインディは小さく噴き出し、かしこまりましたと微笑んだ。
そして申し送りも終わっての詰所では。
あのほんわり美女は誰だ!?との先輩方に、あのドロードラング領の侍女さんですよと正直にマイルズが答えると、皆が一瞬ビクッとし、そうか~そうか~と離れて行った。
アイス屋で無法を働いた者は、あの可愛いらしい制服を着た店員たちに漏れなく縛り上げられた状態で騎士団の到着を待っている。執事服の女店長もさることながら、なぜか女子店員までもが強い。客の中にはその騒動を目当てにする者もいるという。
騎士はもはやあの一帯では形無しだ。担当区域が違う事に心からホッとしたものだった。
なので先輩方のその様子も分からなくはないが、ドロードラング領で合宿を一緒に経験した同期たちと小さく笑った。
その同期の一人がマイルズに「良かったな」とまた小さく笑う。
(……何故バレている)
「すみません、お待たせしました!」
「いいえ。お勤めお疲れさまでした」
瞬間。マイルズの脳裏に、こじんまりとした一軒家の玄関を開けたらインディが笑って出迎える幻がふわっとよぎった。しかし脳内だけで首を振る。
(ナイナイ。身の程を知れ俺)
詰所の外は仕事帰りや夜営業の飲食店の仕入れ等の人々でいっぱいだ。いつもは男だけで行動するので気にしないが、今連れだっているのは―――
思わず振り返ったマイルズに気付いたインディが口許に笑みを浮かべながら不思議そうな顔をする。
(うわっ!?本物のインディさんと二人きりっ!)
少し挙動不審になったマイルズにインディは苦笑した。
「やっぱり飲みに行った方が良かったかしら?」
「とんでもない! 先輩よりもインディさんを優先します!」
うっかり漏れた本音にどうにか貴族の嗜み、ポーカーフェイスを張り付ける。
すると何とか平静を装えたので、その流れですっと右腕を見せる。
「道が混んでるのでどうぞ掴まって下さい」
目を丸くしたインディの様子にマイルズは似合わぬ事をしたと羞恥で激しく後悔しながらも、次の瞬間にはそこに彼女の手がそっと添えられた事に驚いた。
彼女の頬がうっすら赤いのは気のせいだ。だって街のどこもかしこも桃色に見える。何だここは天国か。
「ふふ、女性扱いをされるのは嬉しいわね」
(ドロードラングの男達は一体何をやっている!)
緊張でしょうもない事に八つ当たりしながらも、マイルズはいつもよりもゆっくりめに歩んだ。
中編へ続く( ´∀`)ノ