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帰り花を咲かせた桜の木

作者: 橋沢高広

 ※


 俺が住む「香川台町かがわだいまち」には「山王原さんのうばら」と呼ばれる地区がある。四十年程前に元々あった、いくつかの地区が合併する形で香川台町は誕生したが、現在でも「町」ではなく、「地区」単位で独自に行われる行事も多い地域だ。

 この合併の際、山王原地区を含め、香川台町となった各地区では桜を記念植樹している。しかも、一種類ではなく、二月には開花し始める早咲きの桜から、四月下旬でも咲いている遅咲きの桜まで十数種類の桜を植え、長い間、この花を楽しめる様にした。その上、各々の木には、その種類を示すプレートが掲げられている。俺自身、桜に関して特段の興味がある訳ではないが、このプレートのお陰もあり、勤める会社内で「桜に詳しい社員」と思われているのも事実だ。

 私有地に植えられた桜は別だが、山王原地区には一本だけ、このプレートが付いていない木があった。上磯部かみいそべ公園の裏手に植えられた桜である。

 この桜は記念植樹された木ではなく、十年程前に香川台町が植えたものであった。他の自治体から譲渡されたという話を聞いているが、俺自身、詳しい事は知らない。更に、鮮やかなピンク色の比較的大きな花を咲かせる、その種類も不明だ。

 植えられた場所が人気ひとけの少ない〈公園の裏手〉であった為、花が咲いている時期でも、この桜で、お花見をする人は皆無だった。


 この地域では冬の足音が聞こえ始めた十一月の日曜日。ちょっとした用事があり、上磯部公園の裏手にある道を使い、歩いて目的地まで向かう。一方通行のこの道路は極端と言っても良い程、車の通行量が少なく、所々に細かな亀裂すらある道だ。

 この道路に接して上磯部公園があり、その脇に例の桜が植えられていた。その横を通った時、俺は妙な違和感を覚える。

(何だろう?)と思いながら立ち止まり、周囲を見回すと、その理由が解った。少ないながらも、その桜が花を咲かせていたのである。

(帰り花か……)

 本来、花を咲かせる季節以外の時に咲く花を「帰り花」、もしくは、「狂い咲き」と呼ぶが、この桜が、その現象を起こしていたのだ。

 俺自身、花に詳しい訳ではないが、見るのは好きだった。その為、(これは珍しい……)と、スマートフォンで撮影する。本来よりも少し薄いが、ピンク色の花は秋晴れの青い空によって、一層〈映える〉存在であった。

(これは是非、普通のカメラで撮りたい!)という俺にしてみれば珍しい欲求が芽生え、用事を済ませた後、一旦、自宅へと戻り、滅多に使わないコンパクトながらも望遠撮影が出来るカメラを持って再び、この帰り花を撮影した程である。


 翌週の日曜日に俺は再び、例の桜を見に行く。何故か、帰り花が気になったのだ。当然、カメラも用意したが、天候は曇り。薄いピンク色の花は灰色の空とは相性が悪く、前回程、綺麗に撮影出来なかった。それでも夢中で、その花を撮っていた様だ。

「これは珍しい!」という声を聞き、俺の横に一人の男性が立っている事に気付く。その人は俺の方を向き、軽く会釈をしてから、言葉を発した。

「完全な帰り花ですね。あなたが写真を撮っていなければ、気付きませんでした」

 そう言って、男性は一枚の名刺を俺に差し出す。そこには「香川台町桜の会 会長 橋本貴靖」という文字が印刷されていた。その男性が独り言の様につぶやく。

「私は『桜の会』の会長をしていますが、失格です。この桜が帰り花を咲かせていたとは知りませんでした……」

 その顔には、残念さと悔しさ、そして、怒りが混ざった何とも言えない複雑な表情が浮かんでいる。これまで、この花の存在に全く気付いていなかったのは間違いない。

 だが、その表情は長続きしなかった。橋本さんは持っていたバックの中から一枚のリーフレットを取り出し、それを俺に渡しつつ、にこやかに問い掛ける。

「突然の、お話で申し訳ご座いませんが、来年の春、香川台町に植えられた桜を題材にした写真展が開催されるのを、ご存知ですか?」

 その問いに、「いいえ、知りません」と、俺は応じた。

 橋本さんの話が続く。

「現在、その写真を募集中なのです。特に応募資格がある訳では、ありませんので、もし、宜しければ、撮影していた、この帰り花の写真を応募して頂けませんか? 珍しい現象ですから是非、展示したいのです」と言って、更に言葉を付け加えた。

「この写真展は私が会長を務める『香川台町桜の会』が主催しており、『優秀賞』等の名目で表彰も行う予定なのです。その際の不正を防ぐ意味も込め、会の関係者は、この写真展に応募出来ないのです」

(なるほど、そういう事か……)

 俺は、その説明に納得したものの、「別に構いませんが……」と、曖昧に応じる。

「有難う御座います」

 間髪を入れずに橋本さんが、そう声を発した。そして、堰を切った様に話し始める。


「私達は『桜』を通じて、地域貢献したいと考え、『香川台町桜の会』を設立します。

 桜は日本人にとって古来より特別な存在でした。半面、桜の花が咲いている時にしか、興味を示さない人が多いのも事実です。私達は開花時期だけではなく、一年を通して桜を見守る事で花が咲いた時に、より一層、喜べる状況を作りたいと考えました。

 香川台町には多くの桜が植えられています。これらの桜を地域の人、全員で見守って貰えれば、桜を通じてコミュニケーションの輪が広がり、人的な交流が深まると考えたのです。

 以前から指摘されている事ですが、特にアパートやマンションでは『隣に住んでいる人の顔を知らない』という状況も珍しくない、ご時世です。これでは『何か』……、例えば、自然災害等が発生した時、不具合……、この言葉は適切でないかも知れませんが、色々な問題が生じる可能性が高いとも言えます。普段からコミュニケーションが取れていれば、住民同士での『一致協力』も、しやすいでしょう。多くの人達が協力し合える体制が作れれば、それは広い意味での『地域貢献』とも言えるのでは、ないでしょうか。私達は、そのベースとなる部分に『桜』を活用しようとしたのです」


(何か凄い話になって来たな……)と思いつつも、俺は橋本さんの言葉に耳を傾けていた。その理論展開には、かなりの飛躍もあるが、個人的に納得する部分もあったからである。

 橋本さんの話が続いていた。


「今度の写真展では小学生以下の、お子さんにも応募して頂く為に『ジュニア部門』も作りました。しかも、桜の『花』だけに着目するのではなく、例えば、『桜の木で鳴くセミ』でも『桜の写真』として応募出来る様にしています。

 私達は『大人だけ』を相手にするのではなく、香川台町に住む老若男女、全ての方に『香川台町桜の会』の活動を知って貰い、桜を通じて、更なる友好関係を地域住民の間で築いて頂きたいと考えております……」


 ここで橋本さんの声が止まった。その顔を少し赤らめ、「申し訳ありませんでした。長々と勝手に喋り続けてしまい……」と言いながら、頭を下げる。

「いいえ、構いません」

 俺は、その様に応じ、手渡された写真展のリーフレットに視線を向け、軽く目を通した。そして、「是非、応募させて頂きます」と、今度は、〈はっきり〉告げつつ、橋本さんの顔を見る。そこには笑みが広がっていた。


 ※


 三月上旬に香川台町の地区センターで開催された「桜の写真展」は、俺が想像していた以上の応募写真で埋め尽くされ、日曜日という理由もあっただろうが、それを見に来る人も多く、活況を呈する。多数の人が集まった展示会場を目の当たりにし、香川台町の人達が桜に対して、相当な愛着を持っている事を痛感した。

 俺は橋本さんと会った時ではなく、その一週間前の晴れた日に撮影した「桜の帰り花」を応募している。三枚の写真を使った「組写真」だ。自分としては納得出来る出来栄えだった為、内心、(もしかしたら、何かの賞が貰えるかも……)と期待していたが、それはかなわずに終わる。

 この写真展の後援として市の地域活性課が名を連ねており、賞の一つとして「市長賞」もあった。会場には市の職員と思われる人もおり、その一人と橋本さんが会話をしている。

 橋本さんが俺の存在に気付き、近くに来る様、声を掛けつつ、この人に、「桜の帰り花を撮影された方です」と、俺を紹介した。

「素晴らしい写真です」

 この人は、そう言ってから、言葉を続けた。

「地域活性課としましては今後共、香川台町の桜に関する活動をサポートしていく所存です。これからも、宜しくお願いします」

(市の職員に挨拶されても……)とは思ったが、「こちらこそ、宜しくお願いします」と、俺は応じた。 


 ※


 七月二十八日の日曜日。俺は上磯部公園の裏手に植えられた桜の前で立ち止まる。この時も用事を済ませる為の近道として通り掛かっただけで普段は、この場に来ない。その為、この桜に紐で付けられた「桜の木の撤去予定のお知らせ」を見たのも、この時が初めてである。俺は、それに目を奪われたのだ。

 その撤去理由として、上磯部公園の裏手にある道路の改修工事が八月一日から行われ、この桜が「工事の支障」になると書かれており、その〈撤去作業〉を七月下旬に行う旨の表記もある。更に、「ご不明な点、お問い合わせ等は、下記にご連絡下さい」と、市の道路課と実際に工事を行う施工業者の連絡先が記載されていた。

 俺は、この「お知らせ」をスマートフォンで撮影し、自宅に戻ってから、香川台町桜の会の会長である橋本さんから貰った名刺に記載されているパソコン用のメールアドレスに、「この件は、ご存知ですか?」というメールを送る。その際、撮影した「お知らせ」も添付した。

 夜になり、橋本さんからの返信メールが届く。それによると、この件は香川台町桜の会としても知っており、市の道路課へ、「撤去しない様に」と、嘆願書を提出したが、拒否されたという。

 橋本さんは市の地域活性課へも、この件を連絡しているが、「管轄が異なりますので……」という曖昧な返事しか得られなかった事も記している。

 翌日の月曜日。俺は会社帰りに上磯部公園の裏手に行くと、もう、その桜の姿はなかった……、いや、正確に表現すれば、根元付近から〈伐採〉され、地上十センチ程と、根の部分は残された状態である。

(その一部分が残っているから、『撤去』ではなく、『伐採』だな……)と思っていた時に橋本さんからメールが届いた。その内容は、「今日、上磯部公園裏の桜が伐採されました」というものである。俺は即座に、「今、現場で、それを確認しました。」と返信しながら、大きな溜息を漏らす。

 晩秋に咲いた帰り花が切っ掛けとなって、少しばかり気にしていた桜だったが、「思い入れがある」という感覚はない。それにも関わらず、伐採された後の〈切り株〉……、木材を切った時に発する独特の匂いが、まだ周囲に漂い、その切り口に瑞々《みずみず》しささえ感じる切り株を見ていると、何とも言えない切ない気分に襲われた。


 ※


 俺が上磯部公園裏の道路工事終了を確認したのは八月下旬である。用事があり、この道路を利用したのだ。帰り花を見付けた時の様に……。

 その道路は、これまでとは比べものにならない程、立派なものへと変貌していた。今まで、なかった歩道も造られている。

 しかし、道路以外の場所は何の変化もなかった。例の桜は伐採された時と同じ状態で、そこに存在している。ただ、その切り口は少し黒く変色していたが……。

 その切り株を見た時、俺の中に疑問が湧いた。

(本当に、あの桜を伐採する必要があったのか?)

 工事中、桜の枝が「邪魔」になる可能性は捨て切れない。それならば、枝の一部を切れば解決する筈だ。「木そのもの」を伐採する必要はない。その証拠として、桜の切り株は、そっくり、そのまま残されている。少なくとも、この切り株は「工事の邪魔をしていない」のだ。邪魔なら根ごと「撤去」されて当然である。

 俺の中に怒りが湧き始めた。本来、手を付ける必要がない桜を「邪魔」という理由で伐採した事を!

 この件に関して、俺は橋本さんにメールで連絡する。その返信には、「私も憤りを感じています」という文字が存在した。

 橋本さんも俺と同じ考えだったという。香川台町桜の会の会長として、市の道路課に「桜の木を伐採する必要が、あったのですか?」と尋ねたらしいが、「工事の際、邪魔になりました」という返答しかせず、「もっと詳しい説明を!」と求めると、それを拒否したという。

 これは俺の推測だが、「切る必要のない桜を伐採した事」は、道路課の人々も充分に認識しており、それを追求されたくないがゆえに「拒否」という行動に至ったと思っている。

 後になり、橋本さんから一枚の写真を見せられた。それは公園側から道路工事の様子を撮影したものである。その写真を見る限り、工事に際して例の桜が「邪魔」になるとは考えられなかった。


 ※


 桜を愛する人が多く住む町で起こった桜に関する小さな「出来事」。ほとんどの人は、あの桜が伐採されたのを気にしていないだろう。所詮しょせん、「たかが一本の桜」という話かも知れない。だが、俺には「たかが」では済まない強い怒りを覚える「事件」であった。

帰り花を咲かせた桜の木(了)

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