6話 マジよ
咲実が作ってくれた夕飯を食べている時。
「咲実、明日もあの世界に行きたい」
俺は切り出した。
咲実はいやそうな顔をする。
「……お兄ちゃん、学校は? 明日あるでしょ?」
「休むさ」
「……わたしが言える立場じゃないけど、いいのそれ?」
「いいんだよ。あの世界の方が重要だ」
「うーん……」
咲実は肉野菜炒めをつつきながら考え込む。
本当なら、すぐにでもあの世界に戻りたいくらいだ。
俺は、あの世界に惹かれている。
こことは違う。魔法少女たちがいる世界に。
いや、ここに一人いるんだけどな。
「お兄ちゃんはあの世界にいてもやることないでしょ」
「もっと見てからでも遅くはないだろ。まだ魔法少女省庁国、だっけ? の敷地内しか見れていない」
咲実はしばらく考えている素振りの後。
「でもだめ」
「なんでだ」
「だめなものはだーめ」
言って、咲実は黙々と食事を再開する。
「絶対に行くからな」
「ふーん」
咲実はそっけない返事をしただけだった。
「あ、今日は俺から風呂入らせてくれ。なんだか疲れた」
「……まあ、いいけど」
食事が終わり、風呂にも入り、寝間着になった夜。
咲実が風呂から上がって来た。
湯気を上気させている白い肌。
薄いピンク色のパジャマ。
ツインテールは今は解かれ長髪ストレートへと。
俺は咲実の腕を掴む。
「つかまえた」
「え」
「絶対に行くと言ったろ。無理にでも行くからな。咲実に張り付いてさえいれば一緒に転移できるんだ。いいと言ってくれるまで離れないぞ」
そう、俺はこのために先に風呂に入ったのだ。
いつもは咲実が先に入っているが、そうした場合風呂の後部屋に篭もられて、張り付くのは無理だからな。
というか、咲実いい匂いだな。肌に張り付いた髪も色っぽい。
「お兄ちゃんきったないよっ!」
「風呂には入ったぞ」
「やり方が汚いのっ」
「このまま一緒に寝るのもいいかもな」
「なにバカなこと言ってるのっ」
「昔はよく一緒に寝てただろ」
「それは小さい頃の話でしょっ」
「咲実はまだまだ子供だよ」
「そんなことないもん!」
「とりあえず俺は離れるつもりないから」
「はなしてっ」
「いいじゃないか。兄妹の親睦を深めような」
「もうっもうっ」
「駄々をこねるな」
「どっちがだよ! 明らかにわがまま言ってる子供はお兄ちゃんの方でしょ!」
「ま、とりあえず寝るか」
「いやっ!!」
そこまで強く否定されると、へこむんだが。
「だったら、またあの世界に――」
「わかった! わかったから離れて!」
俺は手を離した。言質はとったので。
咲実は全速力で階段を駆け上がっていく。
二階のドアが強く締められる音が響いた。
「ふう……やれやれだぜ」
次の日、俺は早めに起きて朝の支度を整えた。
いつでも外出できるような格好にする。
俺は自室で耳を澄ませた。
しばらく待つ。
隣の、咲実の部屋のドアが開かれる音。
階段を下りる音。
今だ。
なるべく音を立てないように自室から出て、咲実の部屋に入る。
そのまま素早くクローゼットを開け、もぐりこんだ。
妹の服が沢山入っていて、咲実の匂いが充満している。
暗くて狭いが、それは致し方ない。
もっと奥の方まで行こう。
そんなに広いわけじゃないが、隅の角まで。
服を掻き分け進み、そこに丸まって座った。
それにしても、咲実っていい匂いするな。
そのままスマホをいじりながらじっと待っていると、咲実の部屋のドアが開く音。
こちらに歩いてくる音。
クローゼットが開けられる。
けれど俺は慌てない。
服は人を隠せるほど沢山あるし、隅の方に埋もれているのだから。
咲実は服を取り出していく。
クローゼットが閉められると、衣擦れの音。
咲実は着替え中だ。
着替えが終わったのか衣擦れの音が無くなる。
そうして。
「『世界転移』」
咲実の、そんな声が聞こえた。
転移魔法を発動した咲実と、俺は。
異世界の咲実の部屋へと転移した。
「…………」
俺の目の前には魔法少女姿の咲実がいる。
咲実は俺をじっと見ている。
段々とジト目へと変わっていく。
「もしかしたらと思っていたら、案の定だったな」
「ぐぬぬ……」
と思ったら次は悔しそうな顔。
咲実は昨日俺がついていくことを分かったと言ってくれたが、言葉通りにしてくれるとは限らなかった。
だから、咲実の部屋に潜り込んでおいたのだ。
現に一人で行こうとしていたわけだし。
「汚いよお兄ちゃん……」
「だから昨日風呂には入ったって」
「もういいよ……」
よく考えたら最初の時ドアの前にいたら一緒に飛ばされたんだ、あんなことする必要はなかったのかもしれない。
きっと、俺は焦ってしまっていたのだ。
いやしかし、前回の教訓から咲実がドアから離れた部屋の隅で転移する可能性もあった、その場合一緒に転移できない可能性も出てくる。
だから無駄ではなかったと思う。
「……あれ。でもお兄ちゃん、どこにいたの?」
「…………」
「部屋の前にも、中にもいなかったよね?」
中にはいたよ。
「どこにいたの?」
「どこにもいなかったさ」
「テキトーなこと言わないで」
「自分の部屋だ」
「お兄ちゃんの部屋はあり得ないよ。今まで転移してた時、お兄ちゃんが部屋にいた時もあったけど転移しなかったもん」
「咲実の部屋方面の壁に張り付いてたんだよ」
「それだったら今までに一回もその理由で転移しなかったというのは考えにくいぐらいわたしはあの世界に言ってるんだけど?」
…………。
まあ、嘘をついても仕方ないか。
「咲実の部屋のクローゼットの中にいた」
「はあっ!?」
「だから、咲実の部屋のクローゼットの中にいた」
「いや、聞こえなかったわけじゃなくて!」
「そうか」
「え、え? いつ入ったの……? 入れるタイミングあったっけ?」
「咲実が部屋を一回出たときだ」
「あのときか!」
「結構落ち着く空間だったぞ」
「なに言ってんのへんたい!」
「妹のクローゼットの中があんなに落ち着くとは思わなかった。咲実の匂いがしたからかな」
「へんたい! へんたい!」
なんだか背中がぞくぞくしてきた。
…………。
……。
少し時間を掛け、咲実を何とか宥めた後。
「それにしても、またできたね」
転移のことか。
「そうだな」
「これはもう何度もできると判断してもいいのかな」
一度や二度じゃなく、俺は咲実の転移魔法で一緒に跳べる。これは確定事項だろう。そうであってほしいという俺の願望も含まれてはいるが。
「お兄ちゃん、とりあえずレノラさんのところ行ってみよっか」
異論はないので、俺たちはレノラさんの部屋に向かった。
コンコン。
咲実がドアをノックする。
「レノラさーん、いますかー?」
「いるわよ。入って」
中から返答があったので、それに従い入室する。
「おはようございまーす!」
「おはようございます」
「おはよう」
咲実の元気な挨拶に続いて俺も挨拶。レノラさんはそれに返してくれた。
「戻れたのね?」
執務机に座している、黒髪ロングの美少女――レノラさんはさっそく本題を切り出す。
「はい。それにまたこうして来れました」
レノラさんは顎に手を当て、思案している様子。
「戻れてまた来れたという事は、確実に魔法の影響を受けているという事」
レノラさんは紫紺の瞳で俺を見る。
「魔法の影響を受けているという事は、魔法が使えるかもしれない」
「マジですか」
「マジよ。あくまで可能性だけどね。試してみてくれる?」
「それはもう是非」
「なら、契約するマスコットを連れて来させるから待ってて――メリル」
レノラさんが聞き知らぬ名前を呼ぶと、いつの間にか、すっと人が立っていた。
メイド服を着ていて、煌めく金髪をポニーテールにしている人。
エメラルドの目がくりくりっとしていて、かわいい系の顔をしている。
それにしてもメイドか。
メイドいたんだ。
実在するメイドを見るのは初めてだ。秋葉原のメイドすら見たことないのに、本物を先に見てしまった。
立ち姿も、所作も、すべてが完璧にメイドだ。
メイド見たことないのに、そう思えた。
「ではすぐに連れてきますので、待っててくださいね~!」
メイドのメリルさんは、出てきた時と同じように、すっと部屋から出て行った。
「レノラさん、最近はどうですか?」
「そうね。それなりにはやってるけど」
咲実とレノラさんが話を始める。
魔法を使うという話から、マスコットを連れてくるという話になった。
昨日咲実に聞いた話からして、マスコットと契約しないと魔法が使えないのだろう。
いや、魔法が使えないでも合ってはいるのだろうが、魔法少女になれない、という方が正しいような気がする。
というかそれだと、俺が魔法を使えた場合魔法少女になるのか?
魔法少女服を着た自分の姿を想像する。
男のガタイと顔で、フリフリで華やかな、スカート翻る可愛らしい魔法少女服。
脳がエラーを起こし中断される。
さすがにない。
魔法は使ってみたいが、魔法少女になるのはさすがに無理か。
でも魔法少女にならないと魔法が使えないパターンだったらどうしよう。
究極の選択だ。
……まあ。
まだ使えるのかも分からないのだし、今考えても仕方がない。
とりあえずやってみてから考えよう。
ドアが開けられる音。
「お待たせしました~!」
メリルさんがポニーテールを揺らしながら戻って来た。かなり早い。数分も経っていないのでは。
その腕の中には、ふわふわとした白い、雲に目が二つ付いたみたいなマスコットが抱えられている。
咲実とレノラさんは、俺が思索に耽っていた間していた雑談を止めた。
「クモッチョね。無難といったところかしら」
クモッチョ。
珍妙な名だな、とは思った。わざわざ口にはしないけれど。
「では、抱えてあげて下さいね~!」
メリルさんがクモッチョを差し出してくる。
「…………よろ」
クモッチョはそれだけ言った。
「よろ」
俺は同じ挨拶を返した。
「…………」
クモッチョは寡黙なやつのようだ。
抱えると、あまり重くない。しかもなんか、ふかふかのふわふわだ。
実際の雲はそんな感触はしないし、そもそも固体ですらないのだが、こいつは、クモッチョは、ふかふかのふわふわだ。
ちょっと気に入ったかもしれない。
何が何でも契約してやりたい気持ちになってくる。
「大士さん、そのまま、触れているマスコットと繋がりたいと強く思ってみて。物理的ではなく、感覚的、意識的によ」
「はい」
俺は思った。クモッチョを抱えて、見つめて。
クモッチョと繋がりたい。
お前と契約したい。
感覚。意識。繋がりたい。
繋がりたい。繋がりたい。
クモッチョは、俺を見つめている。
「…………どう?」
レノラさんが聞いてくる。
「どう、とは」
「繋がった、みたいな感覚がしたら契約成功だけど」
「しませんね」
「そう……失敗、ということね」
「マジですか」
「マジよ」
落胆。
気落ちする感情。
クモッチョぉ。
俺とお前は繋がれないのか。
「……ドンマイ」
クモッチョは慰めてくれた。俺を見つめている。
「まあまあお兄ちゃん。そう落ち込むことないよ」
咲実が頭を撫でてくる。
頭を撫でるのは俺の役目だというのに。
「では次の方法を試してみましょうか」
レノラさんが仕切り直すように言う。
「次?」
「そう、次。ステッキを借りて魔法が使えるかどうか試してみましょう」
「誰のを?」
「わたしのを貸すよ」
咲実はそう言って魔法少女姿に成り、出現したステッキを俺に差し出す。
手に取り、握る。眺める。
メタリックピンクの精巧なステッキ。
持つのは二度目だが、なんだか不思議な感じだ。
レノラさんは立って、執務机の向こうにある窓を開けた。
「ここで窓の外にステッキを向けて、攻撃魔法を発動させたい、と強く思ってみて」
言われた通りに窓の前に立ち、ステッキを窓の外、空に向ける。
攻撃魔法。発動。
念じる。
発動しろ。
ステッキを通して、放たれろ。
「発動、しないわね」
「しないね」
「しませんね~」
レノラさん、咲実、メリルさん、女性陣の声が聞こえる。
そしてレノラさんが決定的な一言。
「どうやらまた失敗のようね」
「そんなばかな」
いや、まて。まだ次の、別の方法があるはずだ。それに賭ける。
「次は?」
「ないわ」
「マジですか」
「マジよ」
なんてこったい。
「それにしても。一緒に転移出来て、魔法の影響を受けていることは確実なのに、マスコットとの契約が出来ない。咲実からステッキを借りても使えない――どういうことなのかしらね」
皆考え込む。
「大士さんの体、調べてみてもいい?」
やがてレノラさんがそんなことを言いだした。
「え、人体実験とか……」
なんか、やばそうな感じがするんだけど。
命に危険とか。
「あなたが想像しているような非人道的なものじゃないわ。治療院の検査と同じようなものよ」
レノラさんは安心させてくれようとしているのか、柔らかい声音で真剣な表情だった。
「まあ、それなら」
「わたしも今日はアポ取りとかやることがあるから、明日辺りでいいかしら?」
「では、それで」
「咲実も、いいかしら?」
レノラさんは咲実を見る。
咲実は少し眉を顰めたが。
「……はい」
そう答えた。