2話 ここは異世界だよ
次の日。
気を取り直して、次の作戦。
俺は近所のコンビニでケーキを買ってきていた。
ちょっと高めなのを選んだ。
そう、物で釣るのだ。
咲実は甘いものに目がない。
言葉で駄目なら、次は好物を献上する。
昨日と同じで、部屋の前で待った。
やがて。
咲実が、恐らく朝食を食べるために部屋から出てきた。
俺が目の前にいると分かると、咲実は身構えて警戒する。
「むむむ……」
咲実は警戒の姿勢を解かないまま俺を睨み、唸る。
そんな妹の前に、俺は後ろ手に隠していたケーキを見せつけるように出す。
「咲実、これ欲しいか?」
「欲しい!」
目を輝かせて即答。
驚くほどの変わり身。
「なら話してもらおうか」
「うっ……」
顔を顰めて、咲実は黙る。
手がケーキに何度も差し伸ばされながらも、ほとんど硬直している。
結局、話してくれそうにない。
ならば。
「そっかー。咲実はケーキいらないのかー」
「え」
「こんなに美味しそうなのになー」
俺は手に持ったケーキの入れ物を開け、コンビニで貰ったプラスチックのフォークで一口切り分けた。
そうして切り分けたケーキを、咲実の目の前、それこそ眼前で、パクッと食べた。
「美味い! でも咲実は食べないんだなー。残念だなー」
さらにもう一口パクッ! 眼前で食べる。
こうすることで、ケーキを食べたいという欲望の我慢を崩す。
結果、ケーキを得るために大人しく話してくれるという寸法だ。
すると咲実は顔を崩し。
「う」
「う?」
「うわああああああんっ! お兄ちゃんだいっきらい!!」
咲実は走り去った。
何が間違っていたんだ……。
それからも、成果はない。
ドアの前に張り込んで延々と話しかけたが、応答がない。
喋るのも疲れてきた頃。
また出て来たところを捕まえるしかない。という結論に至る。
今度こそ話してくれるまで放さない。
俺の武の技術を総動員して逃がさない。
咲実に嫌われたくはないが。危険な何かが今咲実の傍にあるかもしれない、ということが問題だ。
あんな傷だらけな姿見たら、引き下がれるわけがない。
――と。
咲実の部屋から物音。
何の音だ?
部屋から出ようとドアに近づいてきている音、とは違う。
気になったので、耳を澄ます。
咲実の部屋のドアに密着して耳を付ける。
すると。
「『世界転移』」
咲実の声で、そんな言葉が聞こえた。
どういう意味だ、と思ってすぐ。
目の前が真っ白になった。
存在が、視界が、揺らぐ。
訳が分からないまま。
一瞬にして。
事は起こった。
――視界が戻る。
目の前を見る。
壁だった。
見たことがない壁のような気がする。
壁なんてどこも似たようなものだろうけれど。
「お、お兄ちゃんっ……?」
咲実の声がすぐ傍で聞こえる。
横を向くと、魔法少女らしき服を着て、ステッキを持った咲実がいた。
「どうしてお兄ちゃんが……お兄ちゃんは魔法少女じゃないのに……」
「魔法少女……」
「あ」
俺は咲実の失言を聞き逃さなかった。
「やっぱり魔法少女か、その恰好」
「ち、ちがっ、違うのっ」
「どう違うんだ?」
「え、っと。えっと……」
咲実が言い淀んでいる間に、周囲を確認する。
よく見ると、ここは見たこともない部屋だった。
ベッドに、古めかしい机に、そして俺たちが今立っている良く分からない台座のような物。
見たこともない部屋に、魔法少女な妹。
「どういうことだ」
結局分からず、咲実に聞くしかない。
「――もうここまで来ちゃったし、話すよ……。どっちにしてもすぐには帰せないし」
咲実は観念したように言った。
「なら、まずここはどこだ?」
「ここは異世界だよ」
…………。
「異世界?」
「そう、異世界」
にわかには信じがたい。
超回復する咲実の傷とか、一瞬の早着替えとか、咲実の部屋の前にいたはずが見知らぬ部屋にいつの間にか移動していたとか、信じ難いものを見ているし経験しているが、突然異世界と言われては信じることは難しい。
けれど、咲実の言うことは信じたい。
咲実はこんなイタズラはしない性格だし、嘘もほとんどつかない。
だから。
「魔法少女なんだろ。だったら、魔法とか使って見せてくれよ」
「……魔法、は今ここでは見せられないんだよね。強力過ぎるから、決められた場所と戦場以外で使うのは禁じられてるの」
「……俺も信じるつもりではあるが、他に証明する方法はないのか?」
咲実は顎に手を当て考え込み。
「証明する方法……」
「ボクが出ればいいんじゃないかな」
と。
俺と咲実以外の声が、聞こえた。
見ると、いつの間にか咲実の隣に変なものが浮いていた。
「ラクラ、確かにそうだね」
名はラクラというらしい。
薄いピンク色の犬、と言えなくもないような見た目。
そう、正に魔法少女のサポートマスコット、みたいな感じだ。
そんな身長数十センチの謎生物が宙に浮いているのだ。
「これで、証明になるかな?」
咲実が首を傾げて訊いてくる。
「なるよね? ボクみたいな存在あの世界にはいないからね」
犬もどきが咲実を援護するように言う。
確かに。
こんなヘンテコな生き物は、それこそ魔法少女モノの物語でしか見たことはない。
「触ってみてもいいか」
「好きにするといいよ」
犬もどきは寛容なようだ。
まず手に触れる。ふわふわ。犬っぽい。
頭に触れる。犬っぽい。
耳に触れる。犬っぽい。
身体を掴む。小動物っぽい。
けれど、生き物としての生を感じる。
この喋る犬もどきと言える謎でヘンテコな生物は、生きている。
そんな暖かさが手から伝わってくる。
「咲実の好物は?」
「甘い物」
「具体的には?」
「ケーキとか好きだね」
「信じよう」
「それでいいの!?」
信じてほしかったくせに咲実はそう言ってくる。
「甘い物とかケーキって、わたしじゃなくても好きな子沢山いるよ?」
不安そうに桜色の瞳を揺らして聞いてくる。
「その質問はついでだ。もうほとんど信じかけていたところにこんなのが出てきたら信じるしかない」
「こんなのとは随分だね」
と言いながらも別に怒ってはいなさそうな犬もどき。
「じゃあ、信じてくれるってことでいいんだね……?」
咲実、上目遣い。
「そうだな」
容易には信じがたい事が続いたが、現実に起きてしまっている時点で、信じざるを得ない。
咲実を信じて、それが起こっている事実を認めよう。
「よかった」
言って、パッと笑顔になる咲実。
「話続けてもいい?」
「いいよ」
咲実は気を取り直して、説明を再開する。
「わたしは前に呼び出されて以来、この異世界で魔法少女をやっているんだよ」
魔法少女。
咲実が今着ている、ピンクと白と黒の色が印象的な、フリフリな魔法少女服。
精工な作りのステッキ。
魔法少女のサポートマスコットのようなラクラという犬もどき。
魔法少女だろう。
「具体的に何をしているんだ?」
「敵と戦ってるんだよ」
…………。
「敵?」
「そう、敵」
傷だらけの姿だった咲実を思い出す。
あれは、戦闘での怪我だとでもいうのか。
「この世界には人を脅かす敵がいるんだよ」
咲実は、真剣で真面目な表情だ。
「どうして咲実がそんなこと」
「わたしが魔法少女だから」
「それとこれとは関係があるのか?」
咲実に危険はことはしてほしくない。
あんなに傷だらけだったのだ。死んでもおかしくはないのではないか。
そんなことは許せない。
「魔法少女になれる人は少ないんだよ」
「だからといって」
「それに、わたしに助けられる命があるのなら、助けたい」
「…………」
俺は、咲実のその言葉に、その姿に、昔の咲実を幻視した。
憧れた、強く、人を助けられる人間を。
「とりあえず、レノラさんに話を通そう」
「レノラさん?」
「この、魔法少女省庁国の長だよ」
「組織の長、ということか」
「うん」
というか。
「省庁国? ここは魔法少女の国なのか?」
「国、なのかもしれない。国だとしたら国民はすごく少ないけど、国レベルの力は持ってると思う」
「国って名前に入ってるんだから国じゃないのか?」
「……どうなんだろうね?」
「おいおい」
「一応国っぽい役割にはなってると思う」
役割ね。
まあ、それはいいか。今重要ではない。
「そういえば、こいつ、ラクラだったか、の種族名的なものってあるのか?」
薄いピンク色の犬もどきを指さして訊いた。
「マスコットだよ」
「そのまんまなのか」
「そのまんまだったんだよ。わたしも初めて聞いたとき驚いた」
おどけたように言う咲実。
「さっきは突然出てきたが、普段はどこにいるんだ?」
「ボクたちマスコットは姿を消したり出したりできるんだよ。だから出ちゃいけないときは消してるよ」
それにはラクラが答えた。
「だとしたら、俺のこともすでに知っていた?」
「それなりには見てるよ」
「マジか」
「マジだよ」
変なところ見られてないだろうな?
性別すら不明の犬もどきに見られて困ることなどないだろうが、咲実に知らされたら困ることはあるかもしれない。
「姿を消すとは言ってもそのまま主人から離れることはしないよ。だから変なところは見てないから安心していい」
顔に出ていたのか、ヘンテコなマスコットにそんなフォローをされてしまった。
「それはともかく、レノラさんの所に行く?」
「そうさせてもらう。この部屋にとどまり続けるわけにもいかないだろうしな」
「じゃあ、ついてきて」
咲実が部屋のドアを開け、外に出て行くのに追従する。
部屋の外は廊下だった。
石造りの内装だ。
歩きながら、咲実が俺を見た。
「お兄ちゃん、さっきまではごめんね。巻き込みたくなかったからあんな言い方して遠ざけたけど、怒ってるわけでも嫌ってるわけでもないからね」
眉を下げて恐る恐るな表情で言ってくる。
「ならよかった」
「怒ってない?」
「怒ってないよ」
「なら安心だよっ」
パッと笑みを浮かべる咲実。
「それはそれとして、ケーキは許さないけどね」
「今度買ってやるよ」