始まりも雷
「なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!」
土砂降りの雨がふる森の中で一人の男が吠えていた。
冒険者ギルドからはそれほど難しくない依頼を受けていたはずだった。
この状況に陥っているせいか精悍ながらも、どこか優しげのある顔は
苛立ちからか怒りに歪んでいる。
男の名前はトール・オールドリバー。今は没落したオールドリバー家の当主だ。
「クソッ……、どうしてこうなった! __うおっ!?」
今の状況に対する不満が意識を散漫とさせていたせいか、段差があることに気が付かずに
トールは足を滑らせ、数メートルの急斜面をもんどり打って転がり落ちる。
ズシャン! という音と共にトールは地面へと体を強く打ち付けた。
その際に腰に佩びていた剣は鞘から抜け出してしまう。
「がはっ! ふざけやがって……! ふざけ……やがって……」
トールはこの状況に陥るまでのことを思い出していた。
生まれた頃は両親が健在で、自分が生まれたことをすごく喜んでくれたこと。
幼い頃は将来が有望されていて子供ながらに自信に満ち溢れていたこと。
成人するまでもう少しというときに両親が流行り病で死んだこと。
自分が当主になってから家が衰退していったこと。
ついに家が没落して冒険者として生きることになったこと。
悔しさと情けなさから自然と「うっ、うっ」と嗚咽が漏れる。
それに追い打ちを掛けるかのように黒々とした雨雲は厚みを増し、
時折、閃光と轟く様な音が響いてきていた。
鞘から抜け出した剣を片手に掴み、杖代わりにするようによろよろと立ち上がる。
行き場のない苛立ちに手に持っていた剣を振り上げ、声を荒げる。
「どうしろってんだよ……っ! どうしろってんだよぉぉぉ!」
だが、その剣が振り下ろされることはなかった。
カッ! っと空が光ったのは剣を振り上げたそれとほぼ同時だった。
黒雲から放たれた白い稲妻は吸い込まれるように振り上げた剣へと落ちていく。
地面を揺らすほどの衝撃はあたりの空気を震わせるほどだ。
「っ! がっ__」
すさまじい衝撃により、トールは息を吐くことも吸うこともできずにその場に膝をつく。
身体の感覚が消え、虚無感が体を包む。しかし、一つだけ分かることがある。
熱い、身体が燃えるように熱い。そして、それが雨で取り除かれていく。
トールは不思議な感覚に見舞われていた。今しがた自身に降りかかったこの状況に
以前も遭ったことがあるような気がしたのだ。もちろん記憶の限りこんな事初めてだ。
「ハッ……」
それは、トールの自嘲と諦めに満ちた失笑だった。
今更だ、今更過ぎる。前に同じ目に遭っていようがいまいが関係ない。
生きていたところで何も残っていない、周りの奴らが妬ましかった。
笑っている奴らが憎かった。俺を見下した奴らを見返したかった。
だから、頑張った。けど、もう無理だ。
だったらこのままここで朽ち果てた方が__。
そんなトールの視界には黒く澱んだ霧のようなものが見えていた。
__瘴気か。 そうトールは直感的に感じ取った。
死の際に深い恨みや後悔の念を抱くと、人はその魂が穢れるという。
そして、瘴気はその穢れに集まるのだと。
魂が穢れた者は生き物としての理を外れ、
全ての生あるものを脅かす存在。不死者となる。
俺にはお似合いの結末だ、と心の中で自分への嘲りに満ちた事を思う
瘴気はそんなトールに反応するかのように全身をゆっくりと覆っていく。
トールの視界もその暗闇の中へと落ちていく。だが不意に、言葉が聞こえる。
__これで終わっていいのか?
動くことのなかったトールの体がピクリと震える。
__誰だ? どこにいる?
__全部ほっぽりだして諦めるのか?
__……っ! 誰だって聞いてんだよ!
__俺は……お前だよ。
その言葉と共にとある光景が浮かぶ。
黒い服を着た少年が雨の中を走っている。周りには今まで見たことがない作りの建物が
立ち並んでおり、地面も石畳のそれではないことが簡単にわかる。
しかし、「俺だ」と、トールは直感的にそれが分かった。
もちろん、この少年も似てはいるが自分ではない。周りの景色も初めて見る。
それでもトールは分かったのだこの少年が自分であるということが。
浮かんだ光景は広場の様な開けた場所へとやってきていた。
ドクンドクン、とトールは心臓の鼓動が大きくなったように感じる。
この先の出来事は”覚えて”いる。
少年が公園の中央当たりへと差し掛かった。
一瞬の閃光。そして、糸が切れたかのように体を地面に打ち付ける少年。
激しく降る雨の音、冷えていく身体。どちらも覚えている。
__全力で生きてやる。
魂に刻むような強い、強い思い。
死の間際の、次に来るであろう生へのたった一つの願い。
そうして気がつけば黒い服の少年が、目の前にいた。
真っ直ぐな目でこちらを見つめている。しかし、その瞳には非難は含まれていない。
「そんでどうするんだ? 終わりにするのか?」
「……ダメだ」
「見せといて今さらこんなん言うのもどうかと思うけどさ」
「なんだ?」
「そんなに気にすんなよ。結局のところアンタとは別のアンタの話だしな」
「ふっ、随分な言い草じゃないか。でも、気にして言ったわけじゃない」
「本当か?」
「気にしてない、と言ったら嘘になる。それでもお前の最後の思いで大事なことを思い出した」
「そっかそっか、それなら良かったよ」
「俺にはやるべきことが沢山ある。大変だ。それでも、生きていれば少しずつでもやっていける。
なのに、焦って周りが見えなくなっていたんだ。周りが見えないから自分が一人に感じていた。
だけどそうじゃない。援助してくれたり、支えようとしてくれた人もいたのにそれを払いのけて
自分がやらなきゃならないって背負い込んだんだ。それがその重さで潰されちまった」
トールは不思議なほど落ち着いて自分を見つめ直していた。
それは、目の前の少年の思いのおかげに他ならない。
少年はうんうん、とうなずきながらも顔には笑みを浮かべている。
「そんだけ言えるならもう大丈夫そうだな。ただし、アンデッドになるか人間に戻れるかは
五分五分だぞ? 人間になれたとしても雷に打たれたからな、大怪我してるぜ?」
「ああ……、でも、『全力で生きる』ってのに諦めたらダメだろ?」
そうトールが言うと少年はニッと笑いながら言葉を返す。
「言うじゃんか。……じゃ、俺はそろそろ消えるぜ。元々は死にかけてたからこうやって
姿と声を聞かせられたんだしな」
「待った。名前を教えてくれ」
「ん? 名前? アンタ達風にいうとトオル フルカワになるかな。いいかト・オ・ルだぞ」
「トオルとトールか。名前まで似てるんだな。トオル。すまんな、世話を掛けた。そして一つ頼みがある」
「別に礼なんかいいよ。頼みってのは?」
「このまま俺と生き返ってくれ」
トオルと名乗った少年は目をパチパチと瞬きさせる。トールの言葉の意味を理解するのに
手間取っているのだ。無理もないことだが。
「えっと……、え? どういうことだ?」
「なに簡単なことだ。さっきお前はアンデッドになるか人間になるか五分五分だと言ったな。
俺に発破を掛けてくれたんだろうが実際は二割がいいとこだろ?」
「……気づいてたのか」
「当たり前だ。お前よりこっちの事は俺の方がよく分かってるさ。
俺だけだといいとこ二割かもしれんが魂二人分、この場合は精神二人分か?
とにかくその方が人間に戻れる可能性は高いだろう? 危険性もわかってるつもりだ」
危険性というのは、この場合は失敗するとより強力なアンデッドになる事と
どちらか片方の人格が消えるかもしれない事を指す。
「……」
トオルは押し黙った。
トールの言ったことは間違いない。しかし、トールの人格が無くなってしまったら?
そう考えるとやはり__。
「ダメだ」と口にしようとする。だが、先にトールが口を開く。
「お前は俺で、俺はお前だ。失敗するはずもない。俺”達”で全力で生き返ってみようじゃないか」
「……そーだな。やってみるか!」
俺”達”、その言葉をはストンとトオルの胸に収まった。
自分がやろうとしていることを自分が手伝わないのはおかしな話というものだった。
「さて、じゃあやるぞ」
「おう、準備いいぜ」
二人は精神を集中させる。これがあっているのかどうかは分からない。
それでもそうすればいいような気がしたのだ。
二人の集中が高まるにつれて意識が重なっていく。
そして、強く思う。生きると。
次の話は登場人物紹介になります。