第二話
あの日、幸恵と待ち合わせたのはこの街の駅前第四ビルの一階にあるカフェテリアだった。郊外にある親類の家に息子を預けてから来ることになっていたが、息子がひどくぐずったとかで一時間ほど以上待たされた。
「お久しぶりです。」
「ああ、久しぶり。疲れてないか?」
「ええ、大丈夫よ。私よりも星音が寝不足だったせいで、おばあちゃん家で大泣きしてしまって…。」
「そうか…じゃ行こうか。これからいろいろ、専門的だったり法律関連だったり、難しい話になるけど、しっかり聞いておいてくれよ。」
「ええ、ご心配無く。これでも昔は法律事務所勤務ですよ。」
幸恵は笑ってみせるが、その眼元には濃い隈を化粧で隠そうとした跡が見えた。もともと細身だが、頬がこけて血色の悪い顔は三年前に会ったときとはまるで別人のようだった。
カフェテリアのある同じビルの四階にそのオフィスはあった。「ニューロマンス オフィシャルサポートセンター」のネームプレートがかかったすりガラスのドアを開け、受付で名を伝える。受付の女性スタッフは幸恵だけでなく俺にも身分証明書の提示を求め、タブレットを差し出してプライバシー保護の規定に同意を求めた。それが済むとすぐに小さな部屋に通された。
「お待たせいたしました、山路拳人様の奥様の幸恵様、ご友人の及川幸成様でいらっしゃいますね。今回のニューロメモリー・プログラムを担当させていただきます小坂と申します。」
皺ひとつない濃紺のスーツに身を包んだ青年が幸恵に頭を深々と下げる。
「まずは、この度は誠にご愁傷さまでございました。心よりお悔み申し上げます。」
二十代前半ぐらいだろうか、親族との死別はまだであろう青年の口から出てくる言葉を、三十路手前の幸恵がぼんやりとした顔で聞いていた。
「郵送いたしましたパンフレットとメールにてあらかじめお伝えさせていただきましたが、ご主人様がお勤めだった小西川製作所様の福利サポート活動の一助となるべく当社は」
「あの、その辺りはいただいた資料で分かったのですけど…その、主人は、遺体は、これからどうされるのでしょうか。」
「あ、はい、では先にその、技術的な説明をさせていただきます。法的手続きについては後にいたしましょうか―熊野チーフ、Aルームにお願いします。」
小坂君が内線で呼び出したのは五十代後半ぐらいの、肩まで伸びた白髪が見事な女性だった。白いスーツを上品に着こなし、先月発売されたばかりのホログラフィ完全対応の新型タブレットを抱えていた。
「初めまして、プログラムエンジニアの熊野と申します。当プログラムの技術面での管理を担当しております。ニューロメモリーについては開発当時から関わっておりますので、いわば我が子のようなものです。至らない点は私が責任を持って対処いたしますので、どうぞご安心ください。」
そこまで言って、熊野さんは少し頬を緩めた。
「現在では私の両親とも『そこ』におりますので、今では、我が子なのやら親なのやら、ちょっと複雑ではありますね。」
幸恵が少し怪訝そうな顔をしたのを見て、熊野さんが付け加える。
「ニューロメモリーは私の父が他界する一年前に発足しておりまして、母は月に一回、第三木曜日の夜に父に『会う』のを楽しみにしていました。」
「まあ、そういうことでしたか。では、ご両親ともこのプログラムで」
「ええ、そうです。母はいまだに『会う』のは木曜日が良いと言い張るんですが、私の仕事の都合もあるので日曜の昼過ぎにしています。」
熊野さんは穏やかに微笑み、幸恵もつられて頬を緩めた。
「あの、このプログラムは記憶の保存、なんですよね。」
この手の話に疎い俺は何から確かめたらいいのやら分からず、おずおずと口を出す。熊野さんが俺のほうを向いた。
「最初の段階はそうです。脳の中の蓄積された記憶をスキャンし、採取したデータをコンピュータ上に保管します。スキャン後のご遺体はすぐにお返しします。あらかじめ申し上げておきますけど、当社が保管した記憶データは厳重に管理され、プライバシーは完璧に保護されます。」
「といっても、これだけデータが流れまわっているこのご時世で、ちゃんとしたブロックが」
「そういうお問合せはよくいただきます。当社のセキュリティは常に最新かつ最善を期してアップデイトされており、半期ごとに発表されるネットセキュリティの世界ランキングでも七年連続で首位に立っております。…そうですね、」
不安そうな表情の幸恵をちらと見やり、熊野さんが続ける。
「誰も開けられない金庫の前に私が立っているものと思ってください。ご遺族様のご要望があればいつでも『再会』、データの閲覧が出来ますが、金庫の扉は他の方には一切開かれません。」
幸恵の表情がまた緩んだ。再会という言葉がよほど嬉しく、また羨ましいのだろう。
「それと…あまり詳細には申し上げられないのですが、私ども社内のスタッフにも厳しいアクセス制限が課せられております。」
ここまで言って、熊野さんはクスリと笑った。
「例えば、この小坂が二日前の昼食に食べたのがうどんだったのかサンドイッチだったのかを突き止めるのに、私のような古参のエンジニアがハッキングと解析に一千万年かけても不可能なのです…私なら小坂を直に問い詰めるほうを選びますね。」
つられてひきつるような笑いを浮かべた小坂君の肩を熊野さんは軽く叩いた。
「記憶データの収集と保存が完了しましたら、次は管理です。といってもデータの削除は当社スタッフは絶対に行いません。故人の記憶データをもとに、生前の趣味や嗜好を割り出し、それをもとにアーティフィットを作成します。」
首をかしげた俺に熊野さんが気づいた。
「ああ、アーティフィットというのは、以前AIと呼んでいたものの発展型です。自律式プログラムと呼ぶ人もいますが、完全自律の思考回路というわけではありません。当社のアーティフィットはネット上の情報を採取することだけに特化しており、それ以外の機能といいますか、行動原理はセーブしてあります。」
私はどの宗教にも属していませんが、と断りを入れ、熊野さんが続ける。
「一番わかりやすいのは、故人が雲の上から私たちのいる地上を見下ろしている姿をご想像いただくことでしょうね。ご遺族だけでなく、季節の移り変わり、世界情勢、新しいテーマパークの建設…アーティフィットはそれらを眺めているのです。決して、雷を落としたりはしませんよ。」
幸恵につられて俺も笑った。拳人がたまに息子を叱る時の威厳のない顔をふと思い出した。
「脳内データだけでも、そうですね、統計的には八割以上採取できればご本人とほぼ同じ『人格』をアーティフィット内で構築できますが、日記や肉筆の絵画等のご遺品をお預かりできれば、この場合はスタッフがスキャニングによる入力を行い、データとして登録保存させていただきます。」
熊野さんはタブレットを手にした。ニューロマンスの研究室でメモや書類を仕分ける白衣姿のスタッフ達の動画が映っていた。
「データの蓄積と解析が進めば、それだけ故人を身近に感じとれるようになります。メールのやり取りが出来るようになるまで一か月、電話での会話は五か月ほどお待ちいただければ大丈夫です。専用の端末はご用意いただかなくてもけっこうですよ。ご自宅の電話やケータイやタブレットからアクセスが可能です。」
ユーザーフレンドリーは当社のモットーですから、と小坂君が口を挟んだ。
「故人が応援していた野球チームの今年の成績について議論することも出来ますし、そのうち『野球なんて今はどうでもいい、それより台風が近づいているからベランダの植木鉢をしまっておけ』と言い出したり…これ、私の父なんですが」
熊野さんが苦笑いするが、幸恵はどうやら熊野さんの話に完全に乗せられてしまったようで、先ほどから表情が緩みっぱなしだ。本当は聞きたくなかったが仕方ない、憎まれ役に徹するつもりで聞いてみた。
「それで、仕組みは分かったんですが、あのぉ、どうしても聞いておきたくて…世間で言われてる『電脳化』って、こちらのアーティフィット、でしたっけ、起きたりは」
「大丈夫です。絶対にありえません。」
熊野さんがあまりにもきっぱりと言い切るので、ひどくバツが悪かった。
「電脳化、そう、最近騒がれるところの『ゴースト・イン・ザ・マシーン』ですよね。まず、当社のアーティフィットと『ゴースト』とは明確な違いがあります。製作者のコントロールを離れた自律プログラムとしてネットの中をうろつくゴーストというものが存在し私どもに危害を加えようとしたならば、確かに脅威ではあります。しかし、」
熊野さんは言葉を切り、幸恵と俺を交互に見やりながら続ける。
「銀行員だった方のアーティフィットがネットバンキングの犯罪を実行することはありませんし、新聞記者のアーティフィットが追いかけていた特ダネをあげるべく個人情報のデータにハッキングをかけたりすることもありません。銀行員だった方は自分の勤めていた銀行の業績が上向いたことを、記者だった方は自分が取材していた大物政治家が汚職で捕まったことを、それぞれネット配信のニュースで知る―この場合はそれぞれのアーティフィットが情報を収集する、そこまでです。」
熊野さんの説明は明快だった。俺は手を組み、黙って聞いていた。
「もちろん、当社が管理するデータへのゴーストの干渉は決して許しません。セキュリティの堅固さは先ほど申し上げたとおりです。また、当社のお預かりした故人のデータが流出してゴースト化することは絶対にありません。完全自律の思考回路への変貌を防ぐ、行動原理のセーブという表現は非常に分かりにくいと思いますが、そうですね…」
熊野さんが手を顎に当ててしばらく考え込む。
「アーティフィットとしての居心地の良い部屋を提供する代わりに、靴をお預かりしている、と考えていただければけっこうです。もちろん、ご本人は納得し、喜んでおられます。」
小坂君が横から差し出した資料を手に取り、熊野さんはなおも続ける。
「それと、当社の方針として、犯罪歴のある方、反社会的な傾向のある方はこのプログラムへの参加をお断りしております。非常にレアなケースですが、精神科の受診を条件にお受けすることもあります。」
熊野さんは言葉を切り、銀縁の眼鏡を外した。その眼で俺の顔を少し睨むように見すえた。
「ニューロメモリーを悪事に使う方は、ニューロメモリー、ニューロマンスには不要なのです。閉鎖的であるとか、恣意的だという批判は避けられませんが、故人の思い出をお預かりする上での全ての責任は果たしております。」
熊野さんの視線に気圧されてしまい、黙るしかなかった。すると小坂君がタブレットの画面を俺と幸恵に示した。
「ニューロメモリーでは、ご遺族のお誕生日やご入学、ご卒業に合わせてお手紙や記念品を、故人のお名前でお送りするサービスがあります。これがどうやら、話に尾ひれがついて広まってしまったようですね。」
熊野さんが横で苦笑いする。
「このサービスはもちろんご遺族の同意が無いと行いませんし、差出人の名前には必ずニューロマンスまたはニューロメモリーの名を入れてお送りしているのですが、それでも入学シーズンには何件かのお電話をいただきますよ。ご説明すればすぐに思い出していただけますけどね…」
小坂君はまたタブレットを触り、別の画面を示しながら続けた。
「当プログラムの参加に当たっては、大変お手数ですがこれだけの書類や証明書のご提示をお願いしております。故人の法的な立場というか、故人の名をかたったり、成りすまそうとしたりしても無効であることを証明するためです。当プログラムの参加者である故人の名を借りた詐欺や脅迫などの犯罪は現在まで一度も発生しておりません。万が一発生した場合、故人やご遺族に代わって当社が全ての法的な措置をとることになります。あ、山路様はその辺りは私よりもお詳しいはずでしたね。失礼いたしました。」
小坂君は少し顔を赤らめた。




