Secret In My Ashes 4
残された最後の1人は恐怖に駆られるままに引き金を引くが、未だレザーグローブを纏う手に囚われたままの仲間の死体によって阻まれてしまう。
ついには弾丸が尽き、虚しくも情けないハンマーの音と震えだした歯がガチガチと音を立て始める。
絶望的な状況に目眩を覚えたミカエラは、自然と引きつり始めていた自分の頬を両手で押さえ込む。
相手の存在を知らなかった訳ではない。だからこそ取引を持ちかけ、誰もが損をしない方法を提案し、最後には傭兵を雇ったのだ。
戦災孤児などを拾い、戦闘訓練を施して傭兵とする傭兵一族の出身。
戦場を渡り歩き、のさばる矮小な戦火を踏み荒らし、更なる暴力で燃やし尽くす暴力の執行者。ソフィアの傍らに立ち、ソフィア好みの紅茶を淹れる最高の執事であり、いくつもの戦場を踏破した最強の傭兵。
それこそが、クロード・ファイアウォーカーだった。
しかしミカエラは本当の意味で、ファイアウォーカーという存在を理解出来てはいなかった。
いくらクロードが最強の傭兵であったとしても、予備動作も無しに3mの距離を詰め、1発のパンチで首をへし折れるはずはない。だというのに、クロードの手から地面へと崩れ落ちた死体の頭部には不自然な痕跡が残っていた。
体の内側で猛る暴力の炎の激しさを物語るように。
クロードが右手を振り払うように燕尾服の袖を振ると、袖口から煌めく棒状の物体が姿を現す。
それが刃物だとミカエラが理解した時には、ゆっくりと後ずさっていた最後の傭兵の喉が切り裂かれてからだった。
アイスブルーの双眸に捉えられたのが先か、血を噴出しながら最後の味方が絶命したのが先か。
ミカエラは向けられた高純度の殺意から逃れるように後ずさるが、踵の高いヒールの足は何かによってすくわれてしまう。
固いアスファルトに尻を打ちつけたミカエラは、苛立ち紛れにそれを睨みつけ、一気に顔を青褪めさせていく。ミカエラが躓いたのは、最初に殺された隊長格の男の死体だったのだ。
「私は何度もチャンスを与えました。お嬢様に寄り添い、お嬢様の御心を慰め続けた、他ならぬあなたに」
掛けられたバリトンボイスにミカエラが恐る恐る顔を上げると、セラミックブレードを手にしたクロードが眼前へと迫っていた。
「や、やめ――」
ミカエラはそう言いながら逃れようとするも、クロードは取り合う事もせずに肩を踏み倒すようにしてミカエラを地面を縫い付ける。
すらりとしている足は見た目以上に重く、ミカエラがどれだけ暴れようともビクともしない。
「お嬢様に牙を剥きさえしなければ、あなた程度は捨て置くつもりでしたが」
もう手遅れだ、と言外に付け足してクロードは刃の切っ先をミカエラへと向ける。
本来であれば最初に取引を持ち掛けられていた時点で、クロードはミカエラを抹殺すべきだったのだ。
しかしミカエラがソフィアの心の拠り所であった事を、察していたクロードには強硬手段に出る事が出来なかった。ソフィアを裏切ってしまえばようやく築けた信頼関係は消え、クロードがソフィアを守る事は容易ではなくなってしまうのだから。
だからクロードはソフィアをあらゆる存在から遠ざけ、結果的にミカエラに執行猶予を与えたのだ。
だが信頼は裏切られ、ソフィアの心は酷く傷付けられてしまった。
刃を振りぬかない理由など、クロードにはなかった。
「……殺さ、ないで」
ミカエラの細い首筋に当てられた刃は、背後から掛けられた少女の声にピタリと止まり、クロードは抵抗の意思を再度折るようにミカエラの肩を強く踏みつけながら振り向く。
香水とは違う蠱惑的な匂いを漂わせるその声の主は、未だ顔を紅潮させているソフィアだった。
「よろしいので?」
「その人は、法に裁いてもらう。それが昨日までの、ミカエラさんへの恩返しで、昨日までのアタシへの決別の証よ」
「御心のままに」
そう言って恭しく頭を垂れたクロードは、セラミックブレードをミカエラの首へ軽く走らせて足をどける。白人らしい白い肌には、マーキングのように擦り付けられた血液の赤い軌跡が描かれていた。
まるでいつでも殺せるという意思のように、まるでソフィアがそう言わなければ殺していたと言わんばかりに。
ミカエラは首の血を乱暴に拭いながら、胸中で怒りが膨れ上がっていくのを感じる。
いつだって親に関心さえ持たれていなかったソフィアを気に掛けてやっていた。
いつだって何も出来ないソフィアを助けてやっていた。
いつだって鬱陶しいほどに懐いてきたソフィアに微笑んでやっていた。
そんな愚かで哀れで矮小な存在が自分の上に立っているのが、ミカエラにはただただ気に入らなかった。
「ふざけてんじゃないわよ! このクソガキがァッ!」
声を張り上げたミカエラは死体の手から銃を奪い、銃口をソフィアへと向ける。
安全装置が利いているのか、そもそも弾丸が入っているかすら分からない。だがその銃身はミカエラの怒りを表すように震えていた。
「ちょっと優しくしてやれば調子に乗って! アンタなんか、最初から大嫌いだったのよ!」
「そう、ですか」
告げられたその言葉に、ソフィアはどこか悲しげに顔を歪める。
考えてみればミカエラがソフィアを気に掛ける理由はなく、グレナという存在には近付くだけの価値があった。
それでもこれまでのソフィアの人生においてミカエラは誰よりも大きな存在だった。
だからこそ、ソフィアは悲しみを押し殺すように微笑んで告げる。
「アタシは、ミカエラさんの事、大好きでした」
ガチッという引き金が安全装置によって阻害された音が鳴るなり、世界最高水準の暴力が燕尾服の裾を翻して跳躍する。
振り上げられた刃は微かに残る赤い線をなぞり、更なる赤を辺りへと撒き散らす。
濃厚な死に囚われたミカエラの脳裏に最後の走馬灯がよぎる。
幼かった少女の、心からの微笑が。