Secret In My Ashes 1
「ミカエラさん!?」
「気安く名前を呼ばないでちょうだい。うざったいわね、本当に」
そこから逃げて。続けようとした言葉は行き先を失い、ソフィアは縋るように伸ばした指先から一気に熱が引いていくのを感じる。
見目麗しく、温和怜悧なキャリアウーマン。家族よりも自分の事を思いやってくれる温和怜悧な姉のような存在。ろくに家族というものすら知らないソフィアにとっての唯一の拠り所。
そのはずだったミカエラは、酷薄な笑みを浮かべていた。
「まだ片付いてなかったの。意外と役に立たないのね、傭兵って」
「そっちが手はず通りやれなかったせいだろうが。俺達に落ち度はねえよ」
ソフィアに投降を促してきたリーダー格の男はそう言いながら、ミカエラの細い腰に腕を回す。
スーツを着崩した粗野な男と優美なキャリアウーマン。かえって絵になるような、絵に描いたようなミスマッチ。
しかしミカエラは嫌がる様子どころか、ソフィアですら見た事のない笑みを浮かべて抱擁を受け入れていた。
「なに、その"傷ついてます"みたいな顔。アンタみたいな貧相なガキ、本気で相手すると思ったわけ?」
ソフィアの様子に気付いたのか、ミカエラはうっとりとした笑みを嘲笑に変える。
皮肉にもソフィアの知らないミカエラから、知りたくもなかったミカエラへと変わるように。
「で、でも、クリスマス・カードだって――」
「だから、仕事だっての。親が優秀でも子が優秀って訳じゃないのね――ミスター・ファイアウォーカー、いい加減に意地張るのやめて取引に乗ってくださいよ。そんなつまらない小娘についていても無駄ですよ」
あきれ果てたとばかりに自分を無視してクロードへと語りかけるミカエラに、呆然と立ち尽くしていたソフィアはようやく全てを理解する。
保護と名ばかりの監視、課とは名ばかりの檻、情愛とは名ばかりの嫌悪。
グレナは切欠を与えただけで、全てを与えていたのはミカエラだったのだと。
そのミカエラから既に誘いを受けていたのだろうクロードは、会見場の準備を押し付ける事でミカエラをソフィアから遠ざけていた。
ミカエラが用意した水の1滴さえ拒むように紅茶を淹れ、偽りの情愛を嘲笑うように傍らに在り続けた。
クロードはソフィアを守り続けていたのだ。
「……もういいよ」
「もういい、とは?」
「逃げちゃってもいいし、アタシを連れて行ってもいいよ。アタシが行けばあの人達はアンタに何もしないでしょ」
そう言ってソフィアは、聞き返してくれたクロードの優しさと、自然と口から出ていた言葉に自嘲するような笑みを浮かべる。
寄宿舎のある学校に通わされていたのは研究の邪魔だったから。
長期休暇のみ帰宅を許されていたのは被検体としての仕事があるから。
そもそも自分が産み落とされたのは、秘密裏に実験が行える被検体が必要だったから。
ソフィアは物心ついた時には全てを理解し、ミカエラが仕事の一環で書いていたクリスマスカードだけを楽しみにするだけの日々を送っていた。
だがついに3年前、ソフィアは変化を余儀なくされてしまう。
社長、開発主任という2足の草鞋を履くグレナに代わり、社がアフガニスタンに新造したナノマシンプラントの視察に訪れていたマザーがテロに巻き込まれて死亡したのだ。
皮肉にも緊急用の医療ナノマシンはマザーの命を繋ぐ事は出来ず、グレナは復讐に狂い、最後の一線を容易く越えた。
自分以外効果を知らないナノマシン、"Sheep Tumor"をソフィアに投与し、3年の最適期間を見守った後に姿を消したのだ。
幼い頃からナノマシンを投与され続けたソフィアの体は、激痛と共に"Sheep Tumor"を受け入れる事が出来た。
だが、たとえそうでなくてもグレナはソフィアを被検体に選び、マザーの仇をおびき寄せる囮にしただろう。
グレナとマザーにとってソフィアは便利な実験体でしかなく、本当の子供は心血注いで生み出したナノマシンだったのだから。
同じテーブルに着いた事も、手を繋いで歩いた事も、子守唄を歌ってもらった事も何もない。
だから、ソフィアは3年というナノマシン適応期間を耐え続けるしかなかった。
突然自分を襲う死んでしまいたくなるような激痛に。
身を切るような冷たい無関心に。
唯一自分をストロムブラードにしてくれる義務に。
1度で良いから母に抱き締めて欲しかった。少しで良いから父に関心を持ってもらいたかった。ソフィアはそんな事すら望む事も出来ずに受け入れるしかなかった。
しかしソフィアに与えられたのは僅かなナノマシンの情報と、拒否する事も許されなかった復讐だけだった。