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Kissin' The Flames  作者: J.Doe
Rollin' The Flames
30/77

Just Hold Your Lips 5

「終わった、の?」


 響いてくる爆音を遠く聞きながら、ソフィアはゆっくりと目を開く。未だ熱に浮かされた頭はシズネの膝に乗せられ、血を啜り出した指にはハンカチが巻き直され、華奢な手はドロシーに握られていた。


「クロードはんがあんじょうやってはるさかい。もうちびっとゆっくりしときやす」

「……うん」


 背中に感じる床の固さから逃れるようにソフィアは身をよじる。体調は大分マシになったが、コンクリート打ちっ放しの固い床を心地良いとは言えるはずもない。そこで正座している静音も楽なはずがない。

 それでも静音は未だ余韻が横たわるソフィアの頭を膝の上に戻し、エメラルドの瞳は天井を見上げるように辺りの様子を窺っていた。


 膝枕をしてくれている静音は嫌な顔一つせずに微笑んでいる。

 手を握っているドロシーは安心したように強張っていた肩を降ろした。

 両手に銃を持っているトニーはソフィアに視線を向ける事無く、離れ周辺の警戒を続けていた。

 クロードに命を張らせてはしまったが、自分の選択で皆が生きていてくれた事がソフィアには嬉しかった。


 しかしソフィアが安堵するのもつかの間、仮初めの平穏は簡単に壊されてしまう。


「こんな時になんですが、1つ聞かせて下さい――クロードさんの異常な身体能力は、"Sheep Tumor"によるもの。"Sheep Tumor"の起動にはソフィアさんの血が必要、で間違いないですよね?」


 キャンディを口にし、突然核心を突いたドロシーの言葉に、ソフィアは思わずレンズ越しの碧眼を見詰めてしまう。

 脳裏によぎるのは皆の前で行ってしまった"Sheep Tumor"の起動、辛そうに顔を歪める最高の執事。

 今一度覚悟を決めなければならない、とソフィアは静音の静止を振り切って体を起こす。

 裏切りの末に失望させてしまったのかもしれないクロードはここには居らず、クロードの取引相手である静音に頼る事も出来ないのだから。


「……何の根拠があってそう思われたんですか?」

「急に具合が悪くなったソフィアさん、反動のせいで誰も扱えなかった銃を銃座も無しで使いこなしたクロードさん。きっかけは、その、2人の……キス、だったはずです」


 自分の覚悟とは裏腹に頬を紅潮させて俯くドロシーに、ソフィアは背中に体を支えてくれている静音の温もりを感じながら考える。

 クロードと自分以外、誰もが知らない"Sheep Tumor"の情報を交渉材料とした場合、自分は何を要求するだろうか、と。

 社と"Sheep Tumor"を含めたストロムブラード家の財産。御巫家の当主候補である静音との絆。最強にして最高の傭兵であるクロード。ソフィアがドロシーの立場であれば、結果的に全てを手に入れられるように策を尽くすだろう。


「それで、たとえそうだとして、何がどうだっていうんですか?」


 ソフィアはドロシーの手を振り払い、纏り切らない言葉を吐き捨てる。

 戦う準備は出来ていない。心構えだってありはしない。

 それでも、ソフィアに退く事は出来ない。

 奪われるかもしれないものは、ソフィアにとっての全てなのだから。


「……えっと、あの、その」

「ちゃんと言えよドロシー。ソイツもバカじゃねえ、ちゃんと言えば絶対分かってくれるから」


 ソフィアの鋭い眼光にどもり始めるドロシーに、トニーは背中を押してやるように言う。

 家族に生贄にされそうになった自分を唯一救ってくれたドロシー。優しくて弱い親友の望みを分かってやり、背中を押してやるのは他ならぬトニーの役目なのだ。

 恩も義務も関係ない。そうしてやりたいと思えた親友としての願望なのだ。


「じょ、情報というものはとても大切です。情報工作に長けたシズネさんが近くに居るとはいっても、ソフィアさんが情報漏らし続ければ、その、台無しと言いますか……」


 トニーの後押しを受けたドロシーは、どもりながらもゆっくり語り始める。睨みつけるようなソフィアの視線が怖くない訳がないが、それでも身手を挺して守ってくれる親友の後押しはドロシーにとって心強いものだった。


「ワタ、シは、情報管理が甘かったせいで大事な作品の1つを盗まれました。でも、ソフィアさんが盗まれるのは作り直せる物じゃないはずです。だから、その……」

「あんなぁ、ドロシーはんはソフィアはんとお友達になりとうて、そんなソフィアはんを心配しはっとるんやさかい」


 しどろもどろになり始めたドロシーの言葉を引き継ぐ、静音は主観が大いに混じった言葉。返されたのはキャンディが床を打つ固い音。

 ドロシーの策略に警戒をしていたソフィアは意味が分からないとばかりに首をかしげ、顔が真っ赤になっているドロシーは言葉を失ったように口をパクパクと開閉させていた。


「おいおい、それはざっくばらんに言いすぎじゃんかよ」

「まだるっこしいさかい。言わなきゃ分かれへんなら、言うしかないやろ?」


 稚拙ながらも、しっかりと会話のキャッチボールをしていた2人のミットに、大暴投叩き込んだ大和撫子にトニーは顔を引きつらせてしまう。家業を鑑みれば持っていて当然の豪胆さではあるが、か弱いそのルックスから想像できるはずもなかったのだ。


「あ、あの友達って――」

「そ、そそその、心配で見てられないっていうか、ちゃ、ちゃちゃちゃんと話を聞いてくれて嬉しかったって言うか、あのその――」


 緊張感というものが消え去った空気に耐え切れなかったソフィアは、何が言いたいのかいまいち分からないドロシーの答えに嘆息する。

 クロードは執事で、静音は教師。屋敷に帰る度にやつれていた自分と友達になってくれる人など、ソフィアは出会った事すらなかった。


 だからだろうか。ドロシーの意思を正確に理解してしまったソフィアの顔が、段々と紅潮していったのは。


「ただいま戻りました」


 聞き覚えのあるバリトンボイスにソフィアが視線を扉へ向けると、そこには腰に漆黒の太刀を下げたクロードが居た。

 クロードはトニーを労うように頭を下げるなり、未だ体の自由が利かないソフィアへと歩み寄って跪く。

 汚れや破損が見られない燕尾服はルヴァの圧倒的な勝利を窺わせたが、ソフィアは勝利を意味するそれらと、熱の篭もったドロシーのクロードへの視線を無視してクロードを近くに寄らせ、白磁のような肌の頬を上手く力の入らない手でその胸倉を掴み寄せた。

 予想だにしないその光景に静音は浅葱色の袖で口元を覆い、ドロシーとトニーは言葉を失ってしまう。クロードがやってみせたのは他の誰にも出来ない大逆転で、その立役者であるクロードが責められる理由など2人には分からなかったのだ。


「アンタがアタシを主と認めてくれるのならこそ、アタシを守ってくれるならこそ、他の誰かじゃなくてアタシを試しなさい。アタシを守るのなら皆も守ってみせなさい。アタシの執事なら、それくらい出来るはずよ」


 返事はいらない、とクロードのアイスブルーの瞳を見つめながらソフィアは告げる。

 勝手な事だとは分かっている。望みすぎたと言う事も分かっている。

 それでも、ソフィアは自分のせいでクロードに誰かを裏切らせたくはなかった。

 自分という枷がなければ、クロードにはそれが出来るはずなのだから。


「その前に、屋敷の改修が必要なのかな」

「全ては、ソフィア様の御心のままに」


 内外からの弾丸に惨状と成り果てた離れを見渡しながらソフィアは言う。

 被害を受けていないとは考えがたい本邸は、ソフィアと皆が一緒に居るための最後の場所なのだから。

 Theorems Up >> error

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