If Only Had A Blaze 2
「今が幸せでその後のことなど考えもしませんでしたが、決して良いものではありませんよ」
「どうして、もう一度生きられるんだよ?」
胸中に湧いた不安から逃れるように、ソフィアは縋りつくようにクロードの手を握る。
皆いつかは死んで、いつかは一人ぼっちになる。
父と母が自分を子として見て意図いないと理解し、ミカエラに裏切られ、クロードにはきっと見捨てられると確信し、静音が日本に帰ってしまった時の全てに感じていた不快感。
言うなれば、この瞬間も迫っている死の恐怖と窒息するような孤独。
しかしソフィアにとっては耐え難い不快感でさえ、クロードは一笑に付すように華奢な手を握り返す。
「否定されているみたいじゃないですか。辿り着いた終わりを、そこに至るまでの過程の全てを」
向けられた笑みは美しく、紡がれた言葉は優しく、握られた手は暖かい。
それでもソフィアの華奢な指先は熱を失ったように冷え切り、胃は寂寥感に消化不良を起こしているように重い。
ソフィアは後押しを求めるようにアイスブルーの瞳を覗きこむ。
まるで海底から見上げたような水面、太陽の光を受けて輝く煌めきのような双眸。底知れない包容力に身を任すように、それでいて不安に押し殺されそうな心の拠り所を求めるようにソフィアは色素の薄い唇を開く。
「クロードは、ずっと一緒にいて――」
「テメエら、ここで何してんだよ」
背後から投げ掛けられたぶっきらぼうな言葉に、ソフィアは不可解な感覚に表情を凍りつかせる。
クロードの手に縋りついていたはずの右手は拳を握り、背後の声の主によって受け止められていた。
ソフィアのハンカチを巻きつけられた手は、裏拳の要領で節くれ立った手に叩きつけられていたのだ。
「……ずいぶんなご挨拶じゃんかよ」
ソフィアの拳を受け止めた姿勢のまま、声の主――トニーは眉間に皺を寄せる。
昨晩、ソフィアはクロードと静音を連れ立ち、改めてドロシー達に交渉を切り出していた。
リュミエール側の条件は、クロードに武器のモニターをしてもらう事。
ストロムブラード側の条件は、クロードに合う武器を必ず提供し、必要とあれば武器以外の物資を提供する事。
物資の運送役として御巫を仲介する事で両者は交渉を成立させ、ドロシーとトニーはストロムブラード邸に改めて招き入れられたのだ。
「ち、違うの。気付いたら、その――」
突然生まれた偏頭痛、訳が分からない自分の行動、突き刺さるようなトニーの鋭い眼光。ソフィアは意味が分からないとばかりに狼狽し始める。
友達も居ないソフィアは殴り合いのケンカもした事はなく、人を殴ったのはこれが生まれて初めて。
しかし咄嗟とはいえ、客人に手を上げたのは事実。トニーが受け止めてくれたからといっても、問題にならない訳がない。
静音に助け舟を出され、クロードに背中を押してもらった交渉を、ソフィアが台無しにしてしまったのだから。
胸中で燻っていた不安は嵐となり、真っ白な歯はソフィアの意思を無視するようにカチカチと音を立てる。
罰として自分が殴り返される分には構わないが、いくら過失が自分にあっても、執事はそれを許す事はないだろう。
世界中が狙うナノマシン被検体を守る執事、大企業の社長令嬢を1人で守る護衛。
その2人が戦ってしまえば、お互いが無事で済むはずがない事は考えるまでもなかった。
「ソフィア様、どうか落ち着いてください」
「で、でも、意味分かんなくて、気付いたら手が出てて、アタシ、こんな事したい訳じゃないのに」
なだめかすようなクロードの言葉に、ソフィアは乱れる呼吸に任すように途切れ途切れの言葉を吐き出す。
エメラルドの目には涙が溜まり始め、いつの間にか解放されていた右手をソフィアは色が変わるほどに強く握り締める。そうでもしないとまた殴ってしまうのではないか、と怖くてたまらないのだ。
あの瞬間、ソフィアの意識はどこにも向いていなかったのだから。
「分かっていますよ。ソフィア様が好き好んで誰かを傷付ける存在ないことくらい」
クロードはそう言って背後からソフィアを抱き締め、約30cm高い視線から微笑み掛ける。
自棄になっていたとはいえ、ストロムブラード社での襲撃で自分を守らせるよりも、裏切りを促したソフィアに人を傷つける事は出来ない。その事を理解しているからこそ、執事であるクロードは狼狽する主に理解してもらわなければならない。
ソフィアが理解しているように、自分以上に自分を守れる存在は居ないのだから。
「ですが、まずお謝りになられる事が先決ではないでしょうか」
クロードの優しい言葉に促されるように、ソフィアは執事を見上げていた視線をトニーへと戻す。
取引相手には殴り掛かられ、その当人は涙を浮かべて混乱している。意味不明とも言える状況に落とし込まれたトニーは、バツが悪そうに顔を顰めて特徴的な傷痕の残る頬をかいていた。
ソフィアは体を包み込むクロードの腕を軽く叩き、トニーへと歩み寄って頭を下げる。
許されるとは思えないが、謝らない事が不義理な事くらいパニックに陥っているソフィアでも理解出来るのだから。
「トニーさん、その……ゴメンなさい」
「別に構わねえから泣きそうなってんじゃねえよ。こっちが悪役みたいじゃんか」
トニーはぶっきらぼうにそう言いながら、頭を下げたまま詫びるソフィアの肩を叩いて顔を上げさせる。粗野な気質のトニーであっても、目を潤ませる5歳年下の少女を責められる訳もなかった。
「トバイアス様、主が大変ご迷惑お掛けしました」
「構わねえって言ってんじゃん。だから昨日の事は帳消しにしろよな」
あえて主に先に謝らせた過保護な執事にトニーはおどけるように言う。
無意味なプライドを植えつけるのではなく、人として大事なものを身につけさせようとするその姿勢は、執事というよりは保護者のそれ。
同じく年下の主に仕えるトニーには、最強の傭兵の庇護者としての姿勢がおかしくてたまらなかった。




