Fall To Rise 4
すっかり窓の外が暗くなった頃、ソフィアは客人も居ないというのに応接間でカップを口に運んでいた。
ミルクがたっぷり入った紅茶は相変わらず好み通りだというのに、ソフィアはつい深いため息をついてしまう。
応接間には、静音の姿がなかった。
「寂しい、ですか?」
傍らで立っているクロードに、ソフィアはフンと吐息をついてそっぽを向く。
ジェスターを殲滅し、ストロムブラード邸へと帰宅した後、視力が回復した静音は大した別れの言葉も言わずにストロムブラード邸を後にしたのだ。
そりゃ可愛い兄弟達が居れば、赤の他人でしかない自分などどうでもいいだろう。そう理解していても、たった数時間しか逗留していないはずの静音が居ないストロムブラード邸は、ソフィアにはとても寂しく感じられた。
「……クロードだってデレデレしてたくせに」
「御巫様は確かに素敵な方ですが、私はお嬢様一筋ですよ」
そう言ってクスクスと笑う執事にソフィアは無言でカップを差し出す。クロードはそれを受け取り、サービスワゴンに置いていたポットから紅茶を注ぐ。
言ってしまえば、寂しかった。
両親との間に家族愛などない。友達らしい友達も居ない。そもそも人とどう向き合っていいかも分からない。
そんなソフィアにとって、静音はとても不思議な存在だった。
クロードと同様に利害関係があるとはいえ、クロードと同様に身を挺して自分を守ってくれる存在。
ずっと慕っていたミカエラにさえ裏切られたソフィアには、雇用関係があろうと2人が傍に居てくれたこの応接間が特別な意味を持ち始めていたのだ。
「クロードってシズネさんみたいな人がタイプなの?」
「私は、お嬢様一筋ですよ」
ダメだ、とソフィアはいつかのように紅潮する顔を俯いて隠す。
リップサービスだと分かっていても、知ることのなかった安心感に全てを委ねてしまいそうになる。
親も教師も誰も彼も、自分の傍らに居てくれる人は居なかったのだから。
「なら、クロードはアタシと一緒に――」
ソフィアの問い掛けを遮るように、チャイムの重厚な音が応接間まで響いてくる。
こんな夜に誰が、とソフィアが口にする前にクロードはカップをローテーブルに置いて応接間から出て行く。
その背を何も言えぬまま見送ったソフィアはローテーブルに置かれたカップを手に取る。2杯目と言う事もあってか、ミルクの色はどこか薄く見えた。クロードの心遣いに、はちょっとした気味の悪さとありがたみを感じるが、好み通りの紅茶でさえ味気なく感じてしまう。
クロードが誰かに取られてしまうのは嫌だが、クロードを取ってしまいそうな誰かが居なくなっても寂しい。そんな自分が滑稽に思えたソフィアは深いため息をつく。
ミカエラに裏切られたあの日以前から、友達が欲しいなんて思った事もなかった。誰かに思いやってもらえるなんて考えた事もなかった。
「……これでいいのよ」
カップに下唇を当てながらソフィアは呟く。もしソフィアに大事な人が出来れば、その人も襲撃の対象になってしまうかもしれない。そのせいでクロードに余計な苦労を負わせてしまうかもしれない。
だから、ずっと1人で居ればいい。
そうすれば、裏切られる事も迷惑を掛ける事もないのだから。
「そないな暗い顔されはってどうしたん? かいらしゅうお顔が台無しですえ?」
「え?」
聞き慣れた鈴の音のような声にソフィアが扉のほうへ視線を向けると、そこには日本に帰ったはずの静音が居た。
「今日からお世話になりますさかい、よろしゅうお願いします」
「ちょ、ちょっと待って、どういうこと?」
理解の追いつかない状況にソフィアは思わずクロードに問い掛け、後ろで巨大なスーツケースを涼しい顔で持っている執事は当然のように答えた。
「御巫様には"Sheep Tumor"の情報工作のために、""Sheep Tumor"の事を理解していてもおかしくない"環境にいていただく事になりました」
「そないな他人行儀な呼び方はおやめやす。クロードはんも静音でええで?」
そう言って浅葱色の袖で隠された真っ白な頬は紅潮し、灰色がかった黒い瞳はクロードに熱い視線を送っている。その帰ったはずの客人が再び姿を現し、自分達の世話になると言い出した。しかしソフィアに誰も近付けさせようとしなかったクロードが、取引の事があるとはいえ赤の他人である静音を受け入れた。
きっとそこには両者だけでなく、あらゆる人間達の思惑が絡んでいるのだろう。
たとえその中に自分商品価値が絡んでいたとしても、ソフィアには2人が近くに居てくれる事が嬉しかった。
「それはそうと、ソフィアはんに1つ訊ねたいことがあるんやけど」
「なに?」
予期せぬ展開に緩みそうに顔を引き締めてソフィアは、部屋についての質問だろうかと考えながら不安げに眉を顰める。
寄宿舎生活が長く、屋敷に帰ってきても特定の部屋に軟禁されていた上に、屋敷の管理を全てクロードに一任しているため、ソフィアは屋敷の事を全て把握しているわけではないのだ。
しかし静音が満面の笑みのまま問い掛けてきた内容は、ソフィアの考えているものとは程遠いものだった。
「"Sheep Tumor"は含有されているソフィアはんの血液を使う事で意味を成すナノマシン、違いますか?」
「な、なんで知ってるの!?」
「あん時のソフィアはんとクロードはんの会話だけで分かるさかい。迂闊すぎますえ」
返す言葉もない正論に、ソフィアは、うっ、と言葉を詰まらせる。
ソフィアは"Sheep Tumor"を使わなければクロードが負けてしまうと考えていた。
しかし結果としては、クロードはより過酷な戦闘を傷1つ負わずに勝利して見せた。
その事を考えてしまえば、ナイフを取り出してクロードに諭させてしまったソフィアの行動は、静音の言う通り迂闊な行動以外の何物でもなかった。
「ソフィアはんには交渉、情報の秘匿について、それと学校にも通えへんと聞いたから、そっちに関してもうちが授業をしますさかい。お気張りやす」
「ちょ、ちょっと待っ――」
「それは助かります。課題で単位をいただく形になっているのですが、そちらも見ていただく事は可能でしょうか?」
「これでも短大卒業しとるさかい、心配せんといてな」
クロードは良い教師が出来た事が、静音は物を教えるのが好きなのかは分からない。だが2人は困惑するソフィアを余所に、ニコニコと微笑みながら授業課程を考案し始める。
これから始まるだろう厳しくも優しい日常が、ソフィアには楽しみに思えた。
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