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恋愛もの

girlfriend

作者: 腹黒ツバメ



 俺の幼馴染みはアイドルだ。

 とはいえ、別に自慢するわけじゃない。……いや、自慢できるほど誰かに羨まれるような境遇じゃない、という方が的確か。

 俺なんて名前も知らないその他大勢となんら変わりはしない。

 ――だって俺自身は、しがない貧乏大学生だから。


 ――だって俺自身は、ただ彼女をずっと眺めているだけだったから。




〈girlfriend〉




「お疲れさまでーす」

 都内某所、深夜のアルバイトを終えた俺は、挨拶もそこそこに重い両足へ鞭打って勤務地のコンビニを離れた。

 仰いだ空は徐々に白み始めている。

 今日は午前中から大学で講義があるのだ。とっとと帰宅して、二時間程度でも仮眠を取らなくちゃいけない。

 そう胸中で考えながらも、俺の足は意図せず自宅とは反対方向に動いていた。

 睡眠不足やバイトでの疲労などそっちのけで、まだ薄暗く人通りの少ない小路を、ただ無心に歩く。気まぐれに、けれど明確な目的地を定めて。

 やがて立ち止まったのは、五階建てで幅広のマンションの前。その最上階のとある一室を見上げ、溜息を漏らす。

 右端から二番目のあの部屋は、幼馴染みだった女、皐月(さつき)が二年前から――きっと現在も――独り暮らしをしている部屋だ。

 俺たちは一年前まで、同じ大学に通っていた。幼稚園の頃からずっと、俺と皐月は一緒だった。ごく普通の若者、ごく普通の腐れ縁……の、はずだった。

 ふたりの転機は去年の四月。進学のために上京したのをきっかけに、皐月は長年の夢だったアイドルのオーディションに参加した。


 それ以来、彼女とは音信不通だ。


 手を握ることすら容易かったふたりの距離は、たった一日で赤の他人までに遠ざかった。胸裏を埋めたのは、虚無感。身体の中から、脳か心臓を引っこ抜かれたような感覚。

 自覚がなかっただけで、俺は随分と皐月に依存していたらしい。

 ――あいつの笑顔が好きだった。

 俺は異性としての皐月に心惹かれ、皐月もきっと俺に好意を抱いていると、漠然と期待までしていた。……あれは思春期特有の病気だったのかもしれないけれど。

 地上から、五階にある彼女の部屋を仰ぎ見る。

 遠い。背伸びしても、腕を伸ばしても、ちっとも届かない。

 夜明けを迎えた静かな世界で孤独に佇む俺は、かつての記憶に想いを馳せた。まだ彼女に触れられた頃の記憶。いつでも脳裏に浮かべられる――それくらい脳内には、皐月の姿が焼きついていたから。



 ★



 それは小学生時代、確か――四年生だったか。俺が皐月への好意を、次第に自覚していった頃の話だ。

「ねえ! これから“願い山”にいこう!」

 ある日曜の昼下がり、俺の家の玄関に転がり込んだ皐月は、開口一番にそう叫んだ。

“願い山”――俺たちの地元にある小山で、頂上にある石碑を拝むとなんでも願いが叶う……と、小学校で噂の場所だ。歩いていくには若干酷な道程(まず山自体が町のはずれにあるのだ!)なので、実際に登頂を目指す子どもは数少なかったが。

「こ、これから? さすがに難しくないか……」

 今からだと夕食までに帰れるかすら怪しい時間だ。正直億劫だった俺はなんとか反論を探すが、台所から顔を出した母が、あっけらかんと許可を出した。

「いってらっしゃい。皐月ちゃんがいるなら安心だものね」

「はい! 大丈夫です!」

 笑顔で答える皐月。

 そう、彼女は昔から頼り甲斐のある子どもだった。俺の両親なんかは実の息子よりも信頼していたくらいだ。

 とにかく願い山に出かけるのは面倒だが、もう断る理由も思いつかない。

 俺は観念して、皐月の勢いに引っ張られるように慌てて着替えて自宅を出た。




 狭苦しい住宅街の歩道を走った。すこぶる小学生らしく、二本の足で。やる気に満ち溢れた皐月の背中についていくには、必死こいて駆けるしかなかったから。

 しかし道のりは長く、小学生の体力なんてたかが知れている。

 山道を登り始める頃には当然、俺たちは疲弊しきって、二足歩行を覚え始めた赤ん坊のような足取りになっていた。

「もう……歩けないよぉ……」

 道中で幾度となく弱音を吐いたのは、情けないことに俺。

 それに対して皐月は怒るでも励ますでもなく、ただ苦笑しながら「ごめんね」と謝り続けた。

「あたしの勝手な我が儘につきあわせちゃって」

 その言葉の意味と曖昧な笑顔の理由を尋ねたかったが、喋る余裕もなかった俺は無言で、男の意地だけを引きずって歩いた。

 やがて頂上に辿り着いたのは、青空が夕焼けに燃え盛り出す時分。

 その場で無様に腰を落とす俺を尻目に、皐月は意外と小さな石碑の前に立ち、その表面を撫でた。

「これが願いを叶えてくれる石かな……?」

 よくわからない漢字が刻まれた石碑をしげしげと観察する皐月。俺なんかは墓石を連想させるその形状に内心でびくついていたのだが、彼女はむしろ石碑に対する好奇心を剥き出しにしていた。

「も、もう日が暮れちゃうよ」

「あー確かにそうだね! じゃあ用事だけ済ませて帰ろっか」

 俺が一刻も早くその場から退散したい気持ちに駆られて急かすと、石と相対する皐月の背筋がピンと伸びる。姿勢を正してお祈りをしよう、ということだろう。

 そして彼女は両手を合わせ、石碑に向かって――煌々と世界を赤く染める夕陽に向かって叫んだ。


「アイドルになれますように!」


 ずっと昔――それこそ物心ついた頃から聞かされ続けてきた、皐月の将来の夢。彼女はなにを思って今日、唐突に“願い山”に願掛けをしようと決意したのだろうか。

 ――その真相は、結局今でもわからず仕舞いだ。

 ふと俺の方に向き直った皐月が、不思議そうに呟く。

「お願い、言わないの?」

「……俺、夢とかよくわかんないし」

 気まずそうに視線を逸らした俺の言葉は本心だ。

 すぐ隣で一直線に夢へと羽ばたこうとする皐月を眺めながら、俺自身に人生の指針となる夢はなかった。サッカー選手とか宇宙飛行士とか、無邪気に思い描くそんな将来が至極荒唐無稽なものだと、ちょうど理解する年頃だったからかもしれない。

 しかし、小学生らしからぬ冷めた胸中を悟られないよう俯く俺の左胸に、続けられた彼女の言葉が突き刺さる。

「じゃあ、また一緒にこよう! それで、今度はふたりでお互いの夢をお願いするの!」


 ――なぜ。


 その台詞を聞いた瞬間の俺の胸中は、まさにその二文字に尽きる。

 幼かった自分たちにとって、この登山計画は大冒険だった。それには当然、数々の苦難や逆境がつきまとう。疲れたし転んだし犬に吠えられたし――馬鹿らしいと思うだろうが、当時の俺たちはとにかく必死だったんだ。

 そのべらぼうに大変だった道程を再び、それも俺のために?

 理解できなかった。俺への優しい態度も、この“願い山”へのこだわりも。

 そして、異様なまでの夢への執着も。

 彼女の夢だって相当に無茶な話だ。そりゃ俺が宇宙飛行士になるよりは現実的だろうが、アイドルになるのだって簡単なことじゃない。目指す女の子が何百人といる中で、実際に夢を掴めるのはほんの一握りだ。

 なぜ皐月は、そこまで頑張って夢を追うことができるのか。

 実際に尋ねたわけじゃないが、鋭い彼女は俺の弱気を察したのか、いつもの頼もしい笑顔を携えてこう告げた。

「“努力したって夢は叶うかわからない”――なんか偉い教授がテレビで言っててさ」

 その口調はまるで世間話を語るような風情で、けれどやたらと力強くて。

「……まあ、正論なんだけど。だからって最初から夢を諦めてたら、いつか空っぽの手のひらを見て、後悔すると思うんだ。自分を磨く努力だけじゃ無理なら、神頼みもすればいい。不確定でもなんでも、夢のためなら頑張れる。少なくとも夢を引き寄せられるのは、ずっと必死に手を伸ばし続けてきた人だけだもん」

 大人が聞けば鼻で笑うような理屈を自信満々で語る彼女は、沈みかけてなおも強い存在感を残す斜陽を全身に浴びて――


 彼女自身も、眩しいほどに光輝いていた。



 ★



 そして皐月は――たぶん――夢を叶えた。

 二十歳になるまで引っ張って彼女はアイドルとなり、同時に俺とは別世界の住人になった。

 拙い彼女の言葉が今にして思えば真理だったのだろう……そう考えると意図せず苦笑が漏れてしまう。

 努力だけじゃ駄目でも――神頼みだけじゃ駄目でも――自分にできるありとあらゆる手段を出し惜しみなく尽くせば、どんな無茶な夢も掴み取れるのだ、と。


 ――今日、それを実践しよう。


 毅然とした表情で、眼前に聳えるマンションの最上階を見上げる。現在の皐月の部屋と思しき場所に、まだ照明は点いていない。

 ヘタレで間抜けだったあの頃の俺とは違う。今の俺には夢がある。二度目に彼女と赴いた願い山で、結局適当に「給食でステーキが出る」なんて叫んではぐらかした小学生の俺とは、違うんだ。

 口の端を引き結んだままでマンションの自動ドアを潜り抜ける。早朝だからか、住人の気配すらあまり感じられない。

 エレベーターに乗り込み、迷わず五階へのボタンを押した。

 十数秒の僅かな待ち時間で、止まりそうな呼吸をどうにか整える。いくら決意を固めても五臓六腑に染み渡った緊張は拭えない。


 俺の夢――それは、再び皐月と会うこと。


 他愛ない会話をして、彼女の勢いに引っ張られながらも、ふたりで笑い合うこと。そしてあわよくば、友達以上の……

「……ふぅ」

 アイドルは恋愛禁止だとか、そんなもん知ったことか。

 少なくとも皐月のアイドル人生に関しては、俺はまったくの無関係だ。そう、俺にとって現実の彼女は、ただのめちゃくちゃかわいい幼馴染み。気にしてやる筋合いはない。

 全力で当たって、皐月に本気で迷惑がられるようなら、思い切り砕け散ってやる。

「……遅すぎたかもしれないけど、今いくから」

 五階まではあっという間だ。チンと小気味いい音と同時にエレベーターの扉が自動で開く。風が前髪を揺らす。

 そして過ぎた日の想いを胸に抱き、俺はアイドル・サツキの元へ至る道、その一歩めを踏み出した。







 読んでいただきありがとうございます!


「夢はありますか?」と問われると、大多数の人はなりたい職業であったり、この先の人生設計などの返答を用意するかと思います。

 ですがそんな規模の大きなものでなくとも、たとえば「恋人をつくりたい」とか「もっとよい小説を書けるようになりたい」とか、なんだったら「筋肉ムキムキになりたい」とかも、立派な夢です。

 十人十色の夢や目標、それに向かって力を尽くせば、きっといつかオリジナルな形でその成果が実るでしょう。



 拙作は以前に書いた〈boyfriend〉の前日譚となっております。

 よろしければ、そちらもお願いいたします。



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