5.奪われたオルゴール
テニスコートの近くのあずまやに、昼餐の用意がされていた。
少しのぼったところで、広々とした芝生の向こうには、湖のきらめきも見える。
アデライードは、カップに注いだポタージュと柔らかいパンを少し。
アルフォンスとカタリナは、オーブンで焼いた具だくさんのオムレツやら、チーズに焼き野菜のマリネも食べた。
客人扱いのマルグリットも、相伴する。
食事が終わった後、ふと気がつくと、アデライードは無言のまま湖を眺めていた。
アルフォンスは、アデライードの横顔をしばし見やった。
伯母は、老いた。
痩せて、小さくなって、衰えて。
一人、この離宮で寂しく暮らし──この後は、どうなるのだろう。
もっと会いに来ようと、アルフォンスは思った。
だが、次に来られるのは、最短でも春休みだ。
「伯母上。あの……」
なに? とアデライードが振り返る。
「なにか、伯母上にして差し上げられることはありませんか?
せっかく来たのですから、なにかお役に立つことなり、喜んでいただけるようなことなり」
「……わたくしが喜ぶことと言えば、まずはお前にふさわしい妃が決まることだけど」
アデライードは、ちらりとカタリナを見た。
カタリナは知らん顔をしている。
「それは、その……まだ。
そそそれ以外で、なにかありませんか?」
もがもがと言うアルフォンスに、アデライードは深々とため息をついた。
「……ああ、そうだ。
あのオルゴール……」
ふと、なにか思い出したようにアデライードは呟いた。
「オルゴール?」
アデライードは、小さく笑いながら首を横に振った。
「いや。古い話だから」
「アデライード殿下。気になりますわ。
どうかお聞かせくださいませ」
カタリナがそっと促す。
しぶしぶ、アデライードは口を開いた。
「……さっきの絵が描かれた時……
つまり、わたくしが今のお前と同じ年だった夏」
確かに、古い。
40年以上前のことだ。
「わたくしは、母上に連れられて、この離宮で過ごした。
あの絵を描いた、ギアールも招いてね。
彼女は、弟子を一人連れてきていた。
赤毛をぼうぼうに伸ばした、ぎょろっとした眼の、おかしな顔立ちの青年で。
一度だけ、この東屋でたまたま行きあって、デッサンを描いてもらった」
後ろで話を聞いていたマルグリットが、息を飲んだ。
「その人が、モデルをしてくれたお礼だと言って、くれたのよ。
小さなオルゴールを」
アデライードは、気恥ずかしげな笑みをちらりと浮かべた。
「嬉しかった。
個人的な贈り物なんて、初めて貰ったから。
ベッドの中で、何度も何度も聴いた。
……でも、ある朝、目が覚めたら、オルゴールがなくなっていて。
ギアール達は、急に予定が変わって出立したと」
「それは、」
どういうことか、と訊ねかけて、アルフォンスは言葉を詰まらせた。
そんなことができるのは、アデライードの母である王太后だけだ。
「わたくしは、生まれて初めて、母上と言い争った。
泣いて、暴れて、罵って……
やっと、母上はオルゴールを取り上げたことを認めたけれど、返してはくれなかった。
『あれは、時の女神クロノアにお預けした』と、わたくしを嗤って」
アデライードの母、亡くなった王太后といえば、豪腕にして狷介。
強烈な権勢欲、支配欲で知られている。
16歳のアデライードに、そこまでしたのか。
「そのオルゴールは、それっきり。
捨てるのなら、わたくしの眼の前で打ち砕いてみせたはず。
わざわざ王都に、持ち帰ったとも思えない。
この離宮のどこかに、まだあるんじゃないかと思うけど……」
アデライードは、首を横に振った。
「わかりました、伯母上。
僕、オルゴールを探してみます!」
アルフォンスは、勢いよく申し出た。
「ありがとう、アルフォンス。
優しい子ね」
アデライードは微笑んで、ふとカタリナに視線を向けた。
「カタリナ。あなたにも頼みます。
アルフォンスと一緒に探してちょうだい。
大きさは、手のひらに載るくらい。
淡い空色の、円形のオルゴールよ」
「……承りました。アデライード殿下」
カタリナも、恭しく頷いた。
侍医がアデライードに昼寝を勧め、一同は宮殿に戻ることになった。
アルフォンスとカタリナは、それぞれ着替え、サロンに集合した。
カタリナは、紺のデイドレスに着替え、髪をハーフアップに戻している。
離宮で探し物と聞いて、ロルサンジュも同行したがったが、話を広げたくないカタリナが巧く言いくるめ、付き添い役はマルグリットだけだ。
「さて。どうするかな……
マルグリット夫人。この件について、なにか心当たりはないか?」
アルフォンスは、マルグリットに訊ねた。
マルグリットは、首を横に振る。
「私が出仕したのは、もっと後のことですし。
ただ……ずっと気にかかっていたことがございます」
「どんなことだ?」
「これを申し上げてよいのかどうか、わかりかねますが……」
ためらいながら、マルグリットは切り出した。
「二十年ほど前のことです。
いつも通り朝食をお持ちしたら、アデライード殿下が急に取り乱されて、寝室にこもられまして。
慌てて医者を呼んだり、ちょっとした騒ぎになりました。
しばらくして、忘れられていた朝食の片付けをしようとしたら、新聞の訃報欄が開いたままになっていて……」
マルグリットは、あたりをはばかるように声をひそめた。
「エルメネイアの風景画家、ヴィジェが亡くなったことが、報じられておりました。
ギアールの弟子で、若い頃、我が国を訪問したこともある人だと」
「あー……ヴィジェなら、領地の館に習作があったはずだわ。
ギアールが描いた、曽祖父様達の肖像画は、王都の本邸に飾っているし」
カタリナが、はいはいと頷く。
王太后に招かれたついでに、師弟はサン・ラザール公爵家でも作品を制作したようだ。
「マルグリット夫人、よく覚えていたな」
アルフォンスは、感心した。
二十年前と言えば、自分が生まれる前の話だ。
「その日の訃報欄で、アデライード殿下と関わりがありそうだったのは、彼だけでしたから。
私がお仕えしていた間、殿下が急に公務をキャンセルされたのは、その一日だけ。
普段は鋼のように強いお方が、いったいどうされたのかと、印象に残っていたのです」
「そうか……
さっき、伯母上はちょっとした知り合いのようにおっしゃったが。
ずっと、心の支えにされていたのかもしれないな」
話したのは、ただ一度だけ。
もちろん、二人きりではなく、侍女もついていたはず。
だが、心が深く通い合うような、なにかがあったのだろう。
「これは、なにがなんでも見つけたいな」
カタリナも、真剣な眼で頷いた。
「そうね。けれど『時の女神クロノアに預けた』って、どういう意味なのかしら。
女神フローラや眷属の花の精霊達なら、あっちこっちに彫像や浮き彫りがあるけれど」
この国の主神は、豊穣の女神フローラ。
クロノアも神々の一柱として知られてはいるが、そこまで崇敬を集める神ではない。
むむむむむ……と、考え込んだアルフォンスは、壁際に大きな柱時計があるのに気づいた。
ピキーンと閃く。




