8話
1章最後です。
ぜひまとめ読みをお勧めします…。
翌日の放課後、ニコラスとハリムは屋上で落ち合った。ニコラスの袖の下に包帯が巻かれているのを、ハリムは気付き、指を指す。
「そこだけか?」
「ん? ああ、ここだけだな」
「一撃だけか。さすがだな」
「あの程度の連中なら、君だって出来るだろ」
ハリムは少し考える。自分ならどうするか、想像で試しているのだろう。
「…いや、出来ないな。ほぼ無傷で、相手に血を流さずとなると、俺には無理そうだ」
「いいや、君はやる。私よりも簡単にな」
「強情だな」
そう言いくっくっと喉を鳴らし、楽しそうにハリムが笑う。反対に呆れたように、ニコラスは溜息を吐く。ニコラスは一撃でも当てられたことが悔しく、まだまだ未熟だと感じていた。
「素手だけでいけると思ったんだが…悔しいもんだな」
「…ニコ、聞いていいか」
ハリムはニコラスの返事を待たずに問う。
「ニコは良く鍛えている。それに努力を厭わずに、鍛錬を積み続ける。強くなるのも道理だ」
「…そうかもな」
「けれど、あくまで君は女性だ。体格も筋力も男には敵わないだろう。なのに何故、あんな風に倒せる」
「ああ、それか」
今度はニコラスが少し考える。
「そうだな…、純粋な力勝負なら、ほとんどの男子にも組み付されるだろうな」
そう言いながらニコラスは自分の腕を見る。
「けど私の闘い方は、その力の差があるほど良いんだ」
ハリムは黙って聞いている。
「相手の力や早さを利用してるんだ。それが向かう方向を変えて、壁や地面に押し付けてやる。それが基本だな」
「いまいち分からないな」
「力で押し通せるなら、必要もないだろう。非力だからこそなんだ」
そんなもんか、いまいち納得がいかない顔をハリムは浮かべる。それを見て、ニコラスはやはり呆れる。
「他にも秘密やコツはある。けれど、それを全部明かせば、私が不利になるんだ」
「そうだな。で、もう一つだけど」
「まだあるのか」
「なんでそんなに武器が使える。それこそ俺にも無理だ」
ハリムが問い、ニコラスが考える。だが、碌な答えが出ない。
「そんな難しいことでもないだろう」
「いやいや、君は異常だよ?」
「何が異常だ。武器を手に持てば、どう使えば良いかくらい分かるだろう。その通りに使えば良い」
「…理屈なのか感覚なのか。面倒な才能だな」
今度はハリムが呆れる。それ少し納得できないニコラスだったが、面倒だと思ったのか、返答はなかった。
「それでハリム。商会の件は…」
「まだ答えを出すな。もっと色々知ってくれ」
「そうか…ありがとう」
面と向かって礼を言うのは恥ずかしい。けれど、ハリムは今、国の行く末よりニコラスの自由を優先している。ニコラスは多少の恥ずかしさを受け入れ、俯きながら礼を伝えた。
「…平気だ」
ニコラスはハリムの顔を見られない。耳に届くハリムの声は、いつもより小さく聞こえた気がした。
――――――――――――
その日の夕方、ニコラスが寮の部屋で傷の手当てをしていると、扉がノックされた。
「ニコ、いる?」
「ああ、開いてる」
扉が開き、エリザが顔を覗かせる。
「邪魔してもいい?」
「構わないが、どうした?」
「それが、その…」
エリザが少し恥ずかしそうに言う。
「気になっちゃって。集会、どうだったのかなって」
「ああ」
ニコラスが苦笑する。
「立ち話もなんだし、良かったら中で話さないか」
「ありがとう」
エリザが部屋に入る。
「あ」
エリザが部屋の隅に掛けられたドレスを見つけ、近寄る。一緒に買った真紅のドレス。しかし、裾が大きく裂け、袖も破れている。
「ニコ、これ…どうしたの?」
「ああ、それか」
ニコラスが平然と言う。
「一戦交えてね」
「………え?」
エリザが固まる。
「一戦、交えた…?」
「ああ」
「その、一戦って…」
エリザの声が震える。
「どういう…意味?」
「どういうって」
ニコラスが首を傾げる。
「文字通りだが?」
「も、もしかして…その…」
エリザの顔が真っ赤になる。
「男性と、その、一戦を…」
「そうだが?」
ニコラスがあっさりと答える。
エリザが、爆発した。
「ええええええ!?」
「ちょ、ちょっと待って!」
エリザが慌てて手を振る。
「一戦って、その、あの一戦!?」
「…一戦は一戦だろう?」
ニコラスが不思議そうにエリザを見る。
「だ、だって! ドレスがこんなに破れて!」
「なかなか激しかったからな」
「激しかった!?」
エリザの声が更に上擦る。
「そ、それで、その、ど、どうだったの?」
「どうって?」
「そ、その…痛くなかった?」
「ああ、そうか。痛いのは痛いが、すぐに慣れたな」
「そうなの!?」
エリザが悲鳴を上げる。
「そ、そんな激しいのは初めてでしょう!? 大丈夫だったの!?」
「まぁ、何とかな」
「何とかって…」
エリザが涙目になる。
「ニコラス、あなた…無理してない?」
「無理?」
「だ、だって、初めてなのに、そんな激しいのは…」
「…エリザ、何を言ってるんだ?」
ニコラスが困惑する。
「え?」
「私は、襲われたって話をしてるんだが」
「…………え?」
エリザが呆然と聞き返す。
「襲われた…?」
「ああ。集会の帰り、何者かに襲われて」
「襲われた…おそわ…襲撃された、ってこと?」
「そうだが」
「………」
エリザの顔が、みるみる真っ赤になる。
「あ、あああああ…」
「どうした?」
「な、何でもない! 何でもないわ!」
エリザが顔を覆う。
「そ、そう…襲撃されたのね…」
「ああ、そうだ。それで、一戦交えた」
「そ、そうよね…戦闘よね…」
エリザが小さくなる。
「…エリザ、まさか」
ニコラスが気づく。
「…違う想像したな?」
「な、何も! 何も想像してないわ!」
エリザが必死に否定する。しかし、その顔は真っ赤だった。
「と、ところで!」
エリザが話題を変えようとする。
「襲われたって、大丈夫だったの?」
「ああ、問題ない」
ニコラスが頷く。
「相手は五人だったが、問題なく制圧した」
「五人!?」
エリザが驚く。
「ああ。心配するな。殺してはいない」
「殺して…」
エリザが息を呑む。
「ニコ、あなた一体…」
「…護衛の仕事だからな。こういうこともあるさ」
ニコラスが静かに言う。
「でも、闇雲に戦いたい訳じゃない。信じてくれ」
「………うん」
エリザは少し考えて、頷いた。
「分かった。無理に聞かないわ」
「…ありがとう」
「でも」
エリザが真剣な顔で言う。
「何かあったら、言ってね。私に出来ることなら、協力するわ」
「…ああ」
ニコラスが小さく笑う。
「頼りにしてる…それと、ドレスのことだけど」
ニコラスがドレスを見る。
「折角一緒に付き合ってくれたのに…破いてしまって、申し訳ない」
「いいのよ」
エリザが優しく笑う。
「無事で何よりだわ。ドレスなんて、また買えるわ」
「…そうか」
「それに」
エリザが悪戯っぽく笑う。
「また買い物に行く口実ができたわね」
「…ふふ」
ニコラスが吹き出して笑う。
「ありがとう、エリザ」
「どういたしまして」
「じゃあ、私はそろそろ帰ろうかな」
エリザが立ち上がり扉に向かう。が、途中で振り返る。
「ねぇ、ニコ」
「ん?」
「その人、もしかしてハリム様でしょう?」
「…うん、そうだな」
「そう」
エリザが嬉しそうに笑う。
「良かった。あなたと対等な人がいてくれて」
「…そうかな」
「大切にしてもらってるのね」
「…かもしれないな」
ニコラスは、つい今日の屋上の出来事を思い出し、苦笑する。
「まぁ、悪い関係ではないな」
「うん」
エリザが扉を開ける。
「それじゃあ、また明日」
「ああ、また」
扉が閉まる。
ニコラスは一人、窓辺に立つ。
「大切、か」
ハリムの顔が浮かぶ。
友人として。仲間として。
そして——
「…少し、エリザに影響されてるかな」
ニコラスは小さく呟いた。夜風が、部屋に流れ込む。日常が戻る。でも、何かが変わった。また、変わろうとしている。
ニコラスは確かにそれを感じていた。




