6話
約束の日。
ニコラスは部屋で、真紅のドレスに袖を通した。髪は昨日エリザに教わった通りに結い上げる。不慣れな手つきだが、なんとか形になった。鏡を見る。
そこには「自分ではない自分」がいた。
赤髪と赤いドレスが調和し、普段の訓練着では分からなかった身体の線が露わになる。スレンダーな体つきは、兵士としての鍛錬の賜物だ。それに顔にある小さな傷は、化粧で見えにくくしている。
「…意外と悪くない、のか」
自分でも驚く。けれど、今は驚いている場合ではない。ニコラスは深く息を吐き、部屋を出た。
寮の正門に着くと、ハリムが既に待っていた。いつもの訓練着ではなく、黒を基調とした礼装。貴族然とした佇まいに、ニコラスは一瞬言葉を失う。
「ニコ、今日は本当に……」
ハリムが振り向き、そして固まる。
「…どうした?」
「いや、その…」
ハリムが視線を逸らす。珍しく、動揺しているようだった。
「ああ。いや、その、君がこんなに…」
ハリムが言い淀む。
「こんなに?」
「…綺麗だとは思っていたが、まさかここまでとは」
ハリムが苦笑する。ニコラスの頬が僅かに赤くなる。
「からかうな」
「困ったことに本気だよ」
ハリムが真面目な顔で言う。
「今夜は、君に助けられそうだね」
「…仕事の話だな」
「ああ。行こう」
ハリムがまず向かったのは、見覚えのある場所だった。西区のデネブ食堂。今日は灯りがなく、営業をしていないのが外からでも分かる。
ハリムが扉を開ける。店内は静かだった。客の姿はなく、カウンターの奥にデネブが一人、グラスを磨いている。
「よう。"お客様"のお出ましだ」
デネブがニコラスを見て、口笛を吹く。
「こいつは驚いた。随分と様になってるじゃねぇか」
「…デネブ」
「まぁ座れ。話がある」
デネブが奥の個室を指す。ハリムとニコラスは促されるまま中に入る。個室には既に一人の男が座っていた。見た目は年配で、落ち着いた雰囲気を持っている。
「ハリム様、お連れの方は?」
「平気だ。信頼できる」
「…そうですか」
男はニコラスを値踏みするように見る。
「デネブから聞いています。ナイフの件、助かりました」
「…あれは」
「調査しましたが、アレは王国では流通している代物ではなさそうです。恐らく我々の邪魔をしにきたのでしょう」
男が静かに言う。
「我々?」
ニコラスがハリムを見る。
「…ニコ、今夜のことが終わったら全て話す。今は、俺を信じてくれ」
ハリムの本気の目を確認して、ニコラスは頷く。
「分かった」
「助かる」
「それでは、本題に入ります」
男が地図を広げる。
「今夜の標的は、ヴァレンス侯爵。王国を裏切り、帝国に機密を流している貴族です」
「…裏切り者か」
「ええ。今夜の集まりで、決定的な証拠を掴みます。そして……」
男が目を細める。
「始末します」
始末の意味に気が付き、ニコラスは息を呑む。
「ニコラス、君には俺の護衛を頼む」
ハリムが言う。
「俺が侯爵と接触している間、周囲を警戒してほしい。何かあれば、すぐに知らせてくれ」
「…分かった」
「それと」
デネブが口を挟む。
「念のため、これを持っていけ」
デネブがテーブルに小さなナイフを置く。
「…護身用だ。使わねぇことを祈ってるがな」
ニコラスはナイフを受け取り、ドレスの内側に隠した。
「準備はいいか?」
ハリムが立ち上がる。
「ああ」
ニコラスも立ち上がる。しかし、どうにも現実感がなく、“何か大きなことに巻き込まれている”。それぐらいしか分からない。
「それじゃあ、楽しい仕事をしに行こうか」
ハリムが不敵に笑う。その一言で一同は店を出た。夜は、まだ始まったばかりだった。
王国の北西にある地区。磨き上げられた石畳が連なり、等間隔に街路樹が植えられている。石壁の向こうには大理石の柱や、装飾豊かなバルコニーを備えた屋敷が整然と並ぶ。貴族街。正式名称ではないが、誰もがそう呼ぶ地区。貴族の館は、貴族街の高台にあった。
煌びやかな照明、着飾った人々。ニコラスは場違いな気がしたが、ハリムの隣に立つことで、なんとか平静を保つ。
「ハリム様、ようこそ」
執事が恭しく頭を下げる。
「招待に感謝する」
ハリムが貴族然とした口調で応える。
中に入ると、多くの貴族たちが談笑していた。ニコラスは視線を感じる。好奇の目、値踏みする目。そのどれもが身に纏わりつくようで不快に感じる。
「大丈夫か?」
ハリムが小声で聞く。
「…問題ない」
「そうか。それじゃあ、俺は侯爵を探す。君は周囲を見ていてくれ」
「分かった」
ハリムが人混みに消える。
ニコラスは壁際に立ち、会場を見渡す。それだけでも、周囲の貴族たちの会話が耳に入ってくる。
「——帝国との取引が——」
「——王家も長くはないでしょう——」
「——商会が動いているらしい——」
“商会”。またその名前だ。国に関わりがある者には当たり前の存在なのだろうか。
ニコラスが視線を巡らせると、ハリムが一人の男と話しているのが見えた。初老の男。恐らくあれが例のヴァレンス侯爵だろう。
二人は親しげに談笑している。けれど、ハリムの目は笑っていない。その時、侯爵が何かの書類をハリムに手渡した。ハリムがそれを受け取り、目を通す。そして、ハリムが手を上げる。
それを合図に、周囲から数人の男たちが現れ、侯爵を取り囲む。
「な、何を——」
侯爵が狼狽える。
「ヴァレンス侯爵。貴方を王国への反逆罪で拘束する」
ハリムが冷たく言う。
「な、何を馬鹿な!私は何も……」
「王国内での麻薬取引は禁止されている。それに…これは帝国産だな。充分に反逆罪に該当する」
ハリムが書類を掲げる。
「そして、これには残念だが貴方の署名がある」
「そ、それは罠だ!おい、貴様——」
「連行しろ」
ハリムが命じると、男たちが侯爵を連れて行く。会場は静まり返っていた。ハリムがニコラスに目配せする。
「行こう」
二人は静かに、会場を後にした。
館を出て、人気のない路地に入る。ハリムが「ふぅ」と小さく溜息を吐く。
「…ハリム」
「ああ、分かってる」
ハリムが立ち止まる。
「俺は、"商会"に属している」
「…商会」
「ああ。ハボリム商会。表向きは商業協会の一部だが、実態は王国の諜報組織だ」
ハリムが真剣な目で言う。
「王国を守るため、帝国の間者を排除し、裏切り者を始末する。それが俺たちの仕事だ」
「…始末」
「今夜の侯爵は例外だ。麻薬取引で拘束したが、これから帝国周りを洗う。だが、多くの場合は…殺すってことだな」
ハリムが言葉を濁さずに端的に答える。その言葉には感情がない。
「…そうか」
ニコラスは静かに言う。
「ニコが俺のために運んでいた手紙は、商会の連絡だった。デネブも商会の一員だ」
「…そんな感じはしていた。薄々だけどな」
ニコラスが言う。
「…そうか」
ハリムが少し安堵したように笑う。
「隠していたこと、怒っているか?」
「…どうかな。でも」
ニコラスがハリムを見る。
「ハリムがそれを必要と望むなら、手伝うのも良いかもしれない」
「…ニコ」
「ただし」
ニコラスが付け加える。
「もう秘密はなしだ」
「…分かった。ありがとう、ニコ」
ハリムが頷いたその時、ハリムの背後の暗闇から一瞬だけ光を反射する。
「ハリム、伏せろ!」
ニコラスが叫び、ハリムを押し倒す。
次の瞬間、ナイフが二人がいた場所を通過する。
「…ッ」
ニコラスが素早く立ち上がり、周囲を警戒する。
暗闇から、複数の人影が現れる。
「…帝国の間者か」
ハリムが呟き、ニコラスが構える。
「…ニコ、殺しは“なし”でいけるか?」
「…可能だ」
人影が一斉に襲いかかる。戦いが、始まった。




