5話
翌日の午後、ニコラスは再びエリザを訪ねた。
訓練を終えた後、校内でエリザの姿を探す。いつもなら仲間たちと賑やかに過ごしているはずだが、今日は一人で食堂の窓際の席に座っていた。
「エリザ」
声をかけると、エリザが顔を上げる。
「ニコ。来てくれたのね」
「ああ。…昨日の、続きを聞かせてほしい」
エリザは少し目を逸らし、言い淀む素振りを見せたが、すぐに柔らかく笑った。
「そうよね。ここじゃ人目があるから…訓練場に行きましょう」
二人は訓練場の隅、昨日と同じ場所に向かう。人気のない一角に、古びたベンチがある。そこに並んで腰を下ろした。
「それでね」
エリザが口を開く。
「昨日の続き。覚えてる?」
「ああ。『ここにいる女子の多くは』…そこで止まった」
「そう。…本当に聞きたいのね?」
ニコラスは頷く。
「一晩考えたけど私には分からなかった…教えてほしい」
エリザは小さく息を吐き、空を見上げた。
「ここにいる女子の多くは…将来のために、ここに来てるの」
「…将来?」
「ええ。良い家の男性と縁を作るため。訓練も勉強も、その手段なのよ」
ニコラスは黙って聞く。
「もちろん、本気で兵士を目指してる子もいるわ。でも、正直に言えば…かなり少数派ね」
「…そういうものなのか」
「そうよ。だって、女性が一人で生きていくのは難しいもの。特に平民は」
エリザの声に、少しだけ諦めのような響きが混じる。
「兵士になれたとしても、出世は見込めない。給金も高くない。…痛い思いも、怖い思いもするかも。なら、結婚して夫の家に入る方が…将来が安定してるのよ」
「…エリザも?」
「私も、ね」
エリザは自嘲するように笑う。
「だから、ここで良い人と知り合えたらって。そう思ってる。私も、他の子たちも。でもね、ニコ」
エリザがニコラスの目を見る。
「あなたは違う」
「…違う?」
「あなたは本気で強くなろうとしてる。誰かに気に入られるためじゃなく、自分自身のために。誰にも頼らず、自分の力だけで」
「…他に道がなかっただけだ」
ニコラスは視線を逸らす。
「孤児院を出て、問答無用でここに入れられて…生き延びるためには、それしか」
「分かってる」
エリザが優しく言う。
「あなたには選択肢がなかった。でもね、それが…余計に鼻につくの」
「…鼻につく?」
「ええ」
エリザは少し言いづらそうに、言葉を選ぶ。
「『私は違う』『私は特別』って、言ってるように見えるのよ。たとえあなたにその気がなくても」
「………」
「私たちは必死に笑顔を作ってる。必死に気に入られようとしてる。訓練の後も、髪を整えて、少しでも綺麗に見えるように。男子に話しかけられたら、愛想よく応えて」
エリザの声が、少しだけ震える。ニコラスは黙っているしか出来なかった。
「でもあなたは、そんなこと一切しない。それでも実力で黙らせることが出来る。万年4位。それは誰もが認める実力の証明なの」
「私は…ただ」
「生きるために必死だっただけ。分かってるわ」
エリザはニコラスの手を握る。
「でもね、それを知らない子たちには、あなたは『何でも出来る気でいる鼻につく女』にしか見えないのよ」
「…なんでも出来る訳がない」
「そうね、けれどそういうものなの」
エリザが苦笑する。
「それに、ね」
エリザが少し言いづらそうに続ける。
「あなた、ハリム様と対等に話すでしょう?」
「…ハリム?」
「ええ。私たちが憧れて、必死に話しかけようとしても、なかなか相手にしてもらえないハリム様。でもあなたは、普通に話してる。まるで友達みたいに」
「…それは、ただ」
「知ってるわよ。あなたにとっては普通のことなんでしょう。でもね」
エリザが少し恥ずかしそうに笑う。
「実は私も、ハリム様のこと素敵だなって思ってたの。だから余計に…あなたが羨ましかった」
「…エリザ」
「過去形よ、過去形。今は違うから安心して」
エリザがニコラスの手を握る。
「でもね、その時は本当に悔しかったの。『どうしてあの子だけ』って」
「………」
「私たちは、必死に取り繕って、必死に近づこうとしてる。でもあなたは普通に。そう、あくまで普通に、対等に話してる。それも…妬ましかったのよ」
「…そんなつもりは」
「分かってる。今は、分かってる」
エリザはニコラスの手を優しく握り返す。
「あなたはただ、生きるのに必死だっただけ。縁作りなんて考える余裕もなかった。でも…それが妬ましいのよ」
「妬ましい…のか」
「ええ。私たちは、そうするしかない。でもあなたは、自分の道を歩いてる。それが…羨ましくて、妬ましいの」
ニコラスは黙り込む。初めて知った。自分がどう見られていたのか。孤独だったのは、自分のせいでもあったのかもしれない。でも、どうすればよかったのか。笑顔を作って、誰かに媚びを売れば、受け入れてもらえたのだろうか。
そんなこと、出来なかった。
「…ごめん」
ニコラスが小さく呟く。
「え?」
「そんなつもりはなかったけど…すまなかった」
「ニコ、勘違いしないで」
エリザが慌てて首を振る。
「あなたは悪くないわ。誰も悪くない。ただ、立場が違っただけ。あなたが謝ることはないの」
「…でも」
「でも、何?」
「私は…変われない。笑顔を作って、誰かに気に入られようとして…そんなこと、出来ない」
「当たり前よ」
エリザがきっぱりと言う。
「あなたはあなたのままでいい。変わる必要なんてない。いいのよ。こんなことで、こんな風に悩む、どこにでもいる普通の女性だもの」
エリザはニコラスの目をまっすぐ見る。
「それに私は、あなたの味方よ。だって友達だから」
「…エリザ」
「あなたが一人で頑張ってきたこと、誰にも頼らずここまで来たこと。それは、誇っていいことよ。胸を張りなさい」
「………」
「それに」
エリザが悪戯っぽく笑う。
「その男性は、そんなあなただから誘ったんでしょう?だったら、あなたはあなたのままでいいのよ」
「…ありがとう」
ニコラスは小さく頷く。
「教えてくれて。それに…味方でいてくれて」
「どういたしまして」
エリザが優しく笑う。
「さぁ、暗い話はおしまい。続きの特訓、やりましょう」
エリザが手をパンっと叩きながら立ち上がり、ニコラスに手を差し伸べる。ニコラスはその手を取り、立ち上がった。ニコラスが歩き出すと、エリザが目を見開く。
「…上手くなってるわ。昨日よりずっと」
「…本当か?」
「ええ。まだ少し硬いけど、でも…様になってきてる」
エリザが嬉しそうに笑う。
「この調子よ、ニコ。次はお辞儀」
何度も繰り返した所作が、少しずつ身についてきている。エリザの根気強い指導と、ニコラス自身の努力の成果だった。
「完璧!」
エリザが手を叩く。
「これならきっと大丈夫。自信持って」
「…ありがとう、エリザ。本当に」
「どういたしまして」
二人は顔を見合わせて、笑った。
訓練を終えて寮に戻ると、ニコラスの部屋の扉に小さな紙片が挟まっていた。開いてみると、簡潔な文字が並んでいる。
『明後日の夜、迎えに行く。日没後、寮の正門で。』
ハリムからだ。ニコラスは紙片を握りしめ、部屋に入る。寝台には、昨日購入した真紅のドレスが置かれていた。包みから出し、丁寧にたたんでおいたものだ。
「…明後日か」
鏡に映る自分を見る。いつもの自分。赤髪を適当に束ね、訓練着を着た、見慣れた姿。明後日の夜には新しい自分がそこにいる。不安はある。けれど。
「…やってみせる」
ニコラスは静かに、そう呟いた。




