3話
「…無理だ」
自室で鏡を前にして、ニコラスは呟いた。いや、呟くというよりは、諦めに近い吐息だったかもしれない。
試しに、と街着の一つを手に取る。濃い灰色の、襟元がやや詰まった上着だ。動きやすさを重視して選んだもので、装飾は一切ない。袖を通して鏡の前に立つが…やはりいつもの自分だ。
「…これじゃ、ただの街人だな」
次に、もう一着の街着を試す。こちらは少し明るい茶色で、丈も先ほどより長い。が、結果は同じ。どう見ても「貴族の集まり」に相応しい装いではない。
ニコラスは脱ぎ捨てた服を寝台に放り、深く息を吐いた。
ふと、孤児院にいた頃のことを思い出す。年長の女性職員が、たまに「ニコラスももう少し女の子らしくすれば可愛いのに」と言っていた。けれど、ニコラスにはその意味がよく分からなかった。
女の子らしく?それは一体、何を指すのだろう。
髪を結い上げること? 装飾のついた服を着ること? それとも、笑顔を絶やさず、物腰柔らかくあること?
ニコラスにはどれも縁遠く、そして、必要がなかった。孤児院を出て、訓練校に入ってからは尚更だ。生き延びるため、少しでもまともな将来を掴むために必要だったのは、研鑽された実力と冷静な判断力。「女性らしさ」など、何の役にも立たなかった。
少なくとも、今までは。それがこの結果だ。
鏡に映るのはいつもの自分。赤髪を適当に束ね、顔には訓練で付いた小さな擦り傷もある。「女性らしい」と形容されたことは一度もない。そもそも、そう見られたこともなければ、そう見られようとしてもいなかった。
寝台の上には、手持ちの服が全て広げられている。訓練着が三着、街着が二着、そして冬用の外套が一着。…以上だ。どれもこれも動きやすさ重視で、装飾など煌びやかな要素は皆無。
「…どうしたものか」
ハリムの言葉が頭を過る。『護衛と同伴として』。つまりは、ただ傍にいるだけではなく、その場に溶け込まなければならない。ハリムが同伴を伴うような場所だ。恐らくは貴族か、それに準ずる者たちの集まり。そんな場所に、訓練着で行く訳にもいかない程度は分かる。
ニコラスは深く息を吐き、頭を抱えた。
「…戦う方がまだ楽だな」
その呟きは、誰に聞かせるでもなく、部屋の空気に溶けて消えていった。
翌日、ニコラスは訓練を終えた後、ある人物を探していた。一人で悩むだけではとても解決できそうになく、導いた答えは詳しい人に頼ること。ただ気恥ずかしさがあり、出来れば頼りたくなかった。
探している人物はエリザ。他の女子に頼めば、嘲笑されるか、冷たくあしらわれるのが目に見えている。男子に相談するのは論外だ。エリザは、少なくとも表面上はニコラスに悪意を向けてこない。それに、センスもある。ハリムの周りにいる女子の中でも、ひときわ洗練された装いをしている…ように、ニコラスには見えていた。
しかし何処にも見当たらない。普段、女子たちが集まりそうな場所は全て巡っているが、全て外れていた。
「…何処にいるんだ」
総勢で千人程度の訓練生がいる中で、素性もよく知らない一人を探すのは意外と難しい。ニコラスが再び廊下を歩き出そうとした時、中庭に面した窓から声が聞こえてきた。
「……それでね、あの教官ったら」
「えー、そうなのー」
聞き覚えのある声。窓から外を覗くと、中庭のベンチにエリザと他の女子が座っていた。笑い声が弾んでいる。楽しそうだ。
ニコラスは窓枠に軽く寄りかかり、そのまま待つことにした。あの輪の中に割って入るのは…何というか、無遠慮な気がする。それに、頼みたいことの性質上、他の誰かに聞かれるのは避けたい。
しばらくすると、もう一人の女子が手を振り離れていく。エリザはベンチに座ったまま、何かの本を開いている。好機。ここしかないとニコラスは意気込む。
ニコラスは中庭へ降り、エリザの元へと向かった。足音に気付いたのか、エリザが顔を上げる。
「エリザ、少しいいか」
ニコラスがそう話すと、エリザは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「あら、ニコラス。珍しいわね、あなたから話しかけてくるなんて」
「…ちょっと、頼みたいことがあってね」
ニコラスの声はいつもより僅かに低く、そして少しだけ、ほんの少しだけ、弱々しかった。
それに気付いたのか、エリザは目を細めて首を傾げる。
「頼みたいこと? あなたが? 私に?」
「…ああ」
「ふぅん…?」
エリザは興味津々といった様子で、ニコラスの顔を様々な角度から覗き込む。ニコラスは僅かに視線を逸らした。
「…服のことで、相談に乗ってほしい」
「服?」
「…ああ」
「……ぷっ」
エリザが堪えきれずに吹き出す。ニコラスの頬が僅かに赤くなる。
「…笑わないでくれ」
「ご、ごめんなさい。でも、あなたが服の相談だなんて…ふふっ、意外過ぎて想像もしてなかったから」
「…もういい、忘れてくれ」
居心地が悪くなり、踵を返そうとしたニコラスの手を、エリザが慌てて掴む。
「ごめんごめん! その、面食らっちゃって! 本当に。ちゃんと聞くから」
「…本当か?」
「ええ、本当よ。だって」
エリザは悪戯っぽく笑う。
「…あなたが私を頼ってくれるなんて、滅多にないもの。これは聞かないと損よ」
ニコラスは小さく息を吐き、そして諦めたように頷いた。
「…助かる」
「それで? どんな服が必要なの?」
「…貴族が集まるような、その、場に行くことになって」
「貴族の? あなたが?」
「ああ。それで、その……」
ニコラスは言葉を探すように視線を泳がせる。エリザは腕を組み、じっと待つ。
「…女性として、装わないといけない」
「……!」
エリザが固まる。
数秒の沈黙の後、エリザは深く、深く息を吸い込む。
「詳しく聞かせてもらおうかしら、ニコ」
その笑顔は、とても、とても楽しそうだった。




