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死者からの検索履歴、削除しますか? ~デジタル遺品整理室の暗号解読~  作者: U3
第一章:開かずのフォルダと遺された愛

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第7話 葬儀屋アキと消えた遺影

 神保町の地下、古書と電子機器の墓場のような『デジタル・アーカイブス社』。

 今日の所長・阿部邦彦は、珍しく真剣な表情でモニターを凝視していた。


「……ここだ。この隠し味が足りない」

「なんですか? 不正プログラムのコードですか?」

「いや、昨日の麻婆豆腐だ。花椒の香りが飛びすぎていた。やはりテンパリングの温度管理が甘かったか……」


 私は大きくため息をついた。

 この人は、デジタル遺品整理士なのか、中華料理人なのか、時々分からなくなる。

 私が呆れ顔でデスクに戻ろうとした、その時だった。


 バンッ!!


 地下室の重たいスチールドアが、爆発音のような轟音と共に開け放たれた。

 ノックもインターホンもない。完全なる不法侵入だ。

 入ってきたのは、漆黒の喪服に身を包んだ、背の高い女性だった。

 モデルのように長い手足。艶やかな黒髪をきっちりとシニヨンにまとめ、顔立ちは人形のように整っている。誰もが振り返るような美女だ。

 ただし、その美しい顔は、今は鬼の形相で歪んでいた。


「阿部ちゃん! いねが!? 阿部ちゃーん!!」


 美女の口から飛び出したのは、ドスの利いた大声と、強烈な方言だった。

 彼女は長い脚で大股に部屋に入り込むと、阿部さんのデスクにバンと両手をついた。


「助けてけれ! 大至急だ! あと3時間しかねえ!」

「……うるさいな。ここは葬式会場じゃないぞ、岡田」


 阿部さんは眉をひそめ、迷惑そうにモニターから顔を上げた。

 知り合いなのだろうか。


「岡田アキだ。……おい石川、塩を撒け。疫病神が来た」

「ひどい言い草だべ! 人が困って泣きついてんのに!」


 アキと呼ばれた女性は、喪服のポケットから一枚のSDカードを取り出し、阿部さんの目の前に突き出した。

 その指先は震えており、よく見るとSDカードのプラスチック部分にヒビが入り、くの字に曲がっていた。


「これだ! ババア……いや、お婆ちゃんの遺影が入ってるSDカード! 私が預かった瞬間にうっかり踏んづけてまった!」

「踏んだ? 貴様、遺品をなんだと思ってる」

「わざとじゃねえ! ハイヒールの踵がグキッとなって、運悪くそこに……! パソコンに入れても認識しねえんだよぉ! どうすりゃいいのさ!?」


 アキさんは泣きそうな顔で訴える。

 先ほどの怒号とは裏腹に、その目は必死だった。


「通夜は昨日のうちに済ませたけど、告別式は今日の午後1時からだ。あと3時間で祭壇に写真を飾らなきゃなんねえ。これ直せなかったら、私、遺族に殺される……!」

「自業自得だ。知らん」

「冷たいこと言うなよ! 腐れ縁だべ!?」


 阿部さんは冷たく突き放すと、再びキーボードを叩き始めた。

 私はおろおろしながら、二人の間に割って入った。


「あ、あの……所長。お知り合いなんですか?」

「……腐れ縁だ。こいつは岡田アキ。近所の葬儀社『カトレアセレモニー』のプランナーだ」

「プランナー兼、エンバーマー見習いだ!」


 アキさんが胸を張る。

 エンバーマー。遺体衛生保全士のことだ。亡くなった方の遺体を生前の元気な姿に修復し、保存処置を施す専門技術者。


「石川、こいつに関わるな。こいつが持ってくる案件は、いつも金払いはいいが、遺族が揉めてたり、時間がなかったりとロクなことがない」

「そ、そんなこと言わずに……。阿部ちゃん、お願い! この通り!」


 アキさんは勢いよく頭を下げた。綺麗な黒髪が揺れる。

 しかし、阿部さんは動じない。


「うちはデータ屋だ。写真屋じゃない。SDカードの物理破損なら、専門の復旧業者に頼め」

「他の業者じゃ『一週間かかる』って言われたんだよ! 今すぐ直せるのは、あんたしかいねえべ!」

「断る。今日は麻婆豆腐のリベンジで忙しい」

「くっ……! こうなったら……!」


 アキさんは顔を上げ、決意の表情で大きな風呂敷包みをテーブルに置いた。

 結び目を解くと、そこには重箱が三段、鎮座していた。


「……なんだ、それは」

「『カトレア』特製、最高級仕出し弁当の予備だ。松茸のお吸い物付き」

「……」

「今日の葬儀、すげえ金持ちの家なんだ。弁当も一食1万円のやつだぞ。イセエビも入ってる。……どうだ?」


 ピクリ、と阿部さんの眉が動いた。

 視線がモニターから重箱へと吸い寄せられる。

 一食1万円。イセエビ。

 阿部さんの喉がゴクリと鳴ったのを、私は聞き逃さなかった。


「……石川」

「はい」

「実体顕微鏡と、ジャンパ線を用意しろ」

「はい!」

「やったー! さすが阿部ちゃん! 話が分かる男!」


 アキさんがガッツポーズをする。

 結局、食欲には勝てないのか、この所長は。


 阿部さんはルーペを目に装着し、破損したSDカードを慎重に観察し始めた。

 外装のプラスチックは割れ、基板が歪んでいる。普通に見れば絶望的な状態だ。


「……運がいい奴だ」

「へ?」

「踏んだ場所が良かった。力がかかったのは端子部分とコントローラーチップ周辺だけだ。肝心のデータが入っているNANDフラッシュメモリ自体は、奇跡的にクラックを免れている」


 阿部さんがピンセットで破片を取り除く。


「メモリチップが生きていれば、道はある。だが、基板の回路パターンが完全に断線しているな。これじゃ電気信号が通らない」

「直せるのか?」

「切れた神経を一本一本繋ぎ直すようなもんだ。……極細のワイヤーで回路をバイパスする。おい岡田、息をするなよ。手が狂ってチップに熱を加えすぎたら、今度こそデータは消えるぞ」


 阿部さんは極細のハンダごてを握り、顕微鏡を覗き込みながら作業を開始した。

 地下室に緊張感が走る。

 ジュッ、という微かな音と、松脂の焦げる匂い。

 髪の毛よりも細い銅線を、顕微鏡越しにハンダ付けしていく超精密作業だ。


 アキさんは息を止め、祈るように手を組んで見守っている。

 その横顔は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように真剣だった。

 整った顔立ちに、うっすらと汗が滲んでいる。


「……アキさん、お水どうぞ」


 私がコップを差し出すと、彼女はハッとして私を見た。


「あ、ありがと。……ごめんね、騒がしくして。私、岡田アキ。あんた、ここの新しいスタッフ?」

「はい、石川彩です。よろしくお願いします」

「彩さんか。美人だねぇ。なんでまた、こんな変人の巣窟で働いてんの?」

「あはは……まあ、色々ありまして」


 私が苦笑すると、アキさんは水を一気に飲み干し、ふぅと息をついた。


「私さ、今回の葬儀、絶対に失敗できないのよ」

「そんなに大切なご葬儀なんですか?」

「ああ。亡くなったお婆ちゃん、享年98歳。大往生だけど、身寄りが少なくてね。喪主の息子さんが『どうせ誰も来ないから適当でいい』なんて言ってたんだ」

「それは……寂しいですね」

「だべ? でも、私が死に化粧してたら、お婆ちゃんの手が、すっごく荒れててさ。働き者の手だったんだ。この手で息子を育てて、孫を抱いてきたんだなって思ったら、泣けてきてさ……」


 アキさんの目が潤む。

 この人、見た目は派手で口も悪いけれど、すごく情に厚い人なんだ。


「だから、私が一番綺麗な姿にして送り出してやりたいんだよ。遺影だって、最高の笑顔の写真を選んだんだ。それを……私の不注意で壊すわけにはいかねえ」

「アキさん……」

「葬儀屋は、人生最後のセレモニーの演出家だ。やり直しはきかねえ。……だから、頼むよ阿部ちゃん!」


 その時、阿部さんが手を止めた。


「終わったぞ。……フランケンシュタインの手術完了だ」

「えっ!?」


 見ると、SDカードからは無数の細いワイヤーが飛び出し、直接カードリーダーの端子へと繋がれていた。見た目はグロテスクだが、回路は繋がっているはずだ。

 阿部さんがPCに接続する。

 認識音が鳴る。

 画面にフォルダが表示された。


「データ抽出。……画像ファイル、108枚。破損なし」

「うおおおお! 神! 阿部ちゃんは神だ!!」


 アキさんが阿部さんに抱きつこうとするが、阿部さんは椅子を回転させて華麗に避けた。


「まだだ。写真を確認しろ。どれが遺影用だ?」

「これ! この『IMG_0988.JPG』ってやつ!」


 アキさんが指差した画像を開く。

 モニターに映し出されたのは、縁側で微笑むお婆ちゃんの写真だった。

 確かにいい笑顔だ。しかし――。


「……ピンボケしてるな」

「えっ?」

「それに逆光だ。顔が暗い。これを引き伸ばして遺影にしたら、黒い染みみたいになるぞ」

「そ、そんな……! カメラの液晶で見たときは大丈夫そうだったのに!」

「元画像がこれじゃ、いくらSDカードを直しても意味がない。……遺族はこれを選んだのか?」

「いや、『写真なんてねえから探してくれ』って丸投げされたんだ。私がアルバムをひっくり返して、やっと見つけたのがこれだったんだよ」


 アキさんが絶望的な顔で頭を抱える。


「終わった……。こんなピンボケ写真じゃ、お婆ちゃんが可哀想だ……」


 タイムリミットまで、あと1時間。

 今から別の写真を探す時間はない。

 私は阿部さんを見た。

 彼は、呆れたような顔でアキさんを見つめていたが、やがて小さくため息をつくと、マウスを握り直した。


「……おい、岡田」

「へ?」

「あんたは『一番綺麗な姿にしてやる』って言ったな」

「言ったけど……」

「なら、俺もデータ屋としての仕事を全うするまでだ」


 阿部さんは画像編集ソフトを立ち上げた。

 その手つきは、先ほどの精密なハンダ付け作業と同じくらい、迷いがない。


「最新のAI補正でピンボケを除去する。露光量を調整して顔の影を飛ばす。肌のトーンを上げて、背景の余計な映り込みを削除……」


 画面の中のお婆ちゃんが、みるみる鮮明になっていく。

 ぼやけていた目元がハッキリとし、暗かった表情がパッと明るくなる。

 まるで、魔法のようだった。

 いや、これは阿部さんが得意とする「復元」ではない。「創造」に近い。


「……すげえ」


 アキさんが呟く。


「でも、これだけじゃない。……石川、アキさんのスマホを見せてもらえ」

「えっ?」

「あんたが今朝撮った、エンバーミング後の遺体の写真があるはずだ。見せろ」


 アキさんは戸惑いながらも、スマホの写真フォルダを開いた。

 そこには、棺の中で眠るお婆ちゃんの顔が写っていた。

 死後数日が経過しているはずなのに、その肌は血色が良く、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。まるで、いい夢を見ているかのような安らかな寝顔。

 これが、アキさんの技術なのだ。


「いい仕事だな」


 阿部さんが短く褒めた。


「目元のシワの入り方、口角の上がり方。これがこの人の『一番いい表情』か」

「……うん。生前のスナップ写真を見ながら、一番優しかった頃の顔を再現したんだ」

「なら、遺影もそれに合わせる」


 阿部さんは、スマホの写真を見ながら、画面上の遺影の表情を微調整し始めた。

 目尻をほんの少し下げ、口角を数ピクセル上げる。

 それは、データ上の数値操作ではない。

 アキさんが遺体に込めた「想い」を、デジタルデータに移植する作業だった。


 数分後。

 完成した画像がモニターに表示された。


 そこには、優しく、慈愛に満ちた笑顔のお婆ちゃんがいた。

 ピンボケも暗がりもない。

 ただ、家族を見守るような、温かい眼差しだけがあった。


「……完璧だ」


 アキさんが、モニターに触れんばかりに顔を近づける。


「ありがとう……阿部ちゃん。これだよ、これ。これがお婆ちゃんの本当の顔だ」

「データはUSBに入れた。近くのコンビニで写真プリントできる形式にしてある。……走れ」

「うん!」


 アキさんはUSBメモリをひったくると、喪服の裾を翻して走り出した。


「恩に着るよ! 今度、最高級の線香持ってくるから!」

「いらん! 二度と来るな!」


 阿部さんの怒鳴り声を背に、アキさんは風のように去っていった。


 静寂が戻った地下室。

 テーブルには、置き去りにされた高級仕出し弁当の重箱が残されていた。


「……やれやれ。騒がしい女だ」


 阿部さんは肩を回しながら、重箱の蓋を開けた。

 豪華絢爛な料理が詰まっている。


「石川、箸を持て。冷める前に食うぞ」

「……阿部さん、実はいい人ですよね」

「は? 俺は弁当のために働いただけだ」

「でも、最後の修正……あれは別料金ですよね?」

「……データが汚いまま納品するのは、俺の美学に反するだけだ」


 阿部さんはイセエビの半身を箸でつまみ上げた。

 素直じゃない。

 でも、アキさんの「一番綺麗な姿にしてやりたい」という想いに、阿部さんは技術で応えたのだ。

 物理的な遺体を直すエンバーマーと、デジタルな遺品を直す整理士。

 手段は違っても、見ている方向は同じなのかもしれない。


 その日の夕方。

 再びドアが開き、アキさんが戻ってきた。

 喪服のまま、手にはコンビニの袋を提げている。


「お疲れ! 無事終わったよ!」

「帰れと言っただろう」

「まあまあ。これ、差し入れ! 缶ビールと、あと葬式饅頭の余り!」


 アキさんは勝手にソファに座り込み、プシュッと缶ビールのプルタブを開けた。


「いやー、遺族も泣いて喜んでたよ。『お袋、こんなにいい顔してたんだな』って。阿部ちゃんの魔法、大成功だね」

「魔法じゃない。技術だ」

「はいはい。……彩さんも飲みなよ。女子会しようぜ」

「えっ、私も?」

「いいじゃない。どうせ暇なんでしょ? ここ」


 私は阿部さんをチラリと見た。

 彼は呆れた顔をしていたが、「勝手にしろ」とばかりに肩をすくめた。

 

「……じゃあ、いただきます」


 私もビールを受け取った。

 乾杯、と缶を合わせる。

 アキさんは豪快にビールを煽り、ケラケラと笑った。


「これからよろしくね、彩さん。私、厄介な案件見つけたら、またここに持ってくるからさ!」

「えぇ……お手柔らかにお願いします」


 苦笑いしながらも、私は悪い気はしなかった。

 この地下室に、また一人、頼もしい仲間が増えたようだ。

 阿部さんの作る中華の香りと、アキさんの持ち込んだ線香の残り香が、奇妙に混ざり合っていた。

 それは、死と生が交差する、この場所特有の匂いなのかもしれない。


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